20 負けたくない勝負(デュアンSide)
ジーク王子のあとに続き、王太子宮の厩舎に着いたデュアンは、その広さに驚いた。馬数は少ないのに、広さは騎士団の厩舎の二倍はある。
振り返ったジークがデュアンに「さぁ、勝負に使う馬を選べ。どれでもいいぞ」と言うので、デュアンは馬を一頭ずつ見て回った。
(どれもいい馬だ。しかも、全頭、白毛馬とは)
王太子宮の厩舎には純白の毛を持つ馬しか入れない、とデュアンは聞いたことがあった。
生まれたときから毛が真っ白な馬は珍しく、数が少ない。その希少な白毛馬の中からさらに選び抜かれた馬だけが、王太子の馬として献上されているらしい。
献上される馬には、毛並みや馬体が美しいことはもちろん、足の速さや性格の穏やかさも求められるそうだ。
そのすべての条件をクリアしてここにいる馬達は、手入れが行き届いており毛艶がいい。忙しいジークが馬に乗れなくても、馬丁達がしっかり世話をしているのがデュアンにも分かった。
近くにいた馬が、耳をこちらに向けながらデュアンをジッと見つめている。
「私が気になるのか?」
優しく声をかけながらデュアンは、左手を下からそっと馬の鼻先に出した。馬はクンクンと嗅いだあと、デュアンになでてほしそうに頭を寄せる。
手のひらで首をなでてやると、馬は気持ちよさそうに鼻先を伸ばして目を細めた。
(そういえば、昔はルルの頭をなでたこともあったな)
――お兄様! お母様に叱られたぁ!
ボロボロと涙を流す幼い妹の姿が、デュアンの脳裏に浮かぶ。
兄妹仲は良かったはずなのに、ルルの年が十を過ぎた辺りから、なぜかぎこちなくなっていった。
ルルは日課の訓練をさぼるようになったし、そのことを注意するとむくれて、しばらく口を聞いてくれなくなった。
そんなルルが、洗濯中のメイドに「ちょっと! 私の訓練着をお兄様達の訓練着と一緒に洗わないでよ! 臭いが移ったらどうしてくれるのよ⁉」と言っているのを聞いたときは、少し傷ついた。
母に相談すると「あれくらいの年の女の子は難しいのよ。そのうち落ち着くと思うから、そっとしておきなさい」と言われ、解決策は分からないままだった。
その後、デュアンは王宮騎士団の試験に受かり、オーデン子爵領を出て王都で暮らすことになった。
数年後、両親からの手紙でルルも王太子宮のメイドとして王都にいることが分かったが、嫌われているようなので会いに行っていいものか悩んだ。
結局、デュアンからルルに手紙は送らなかったが、偶然、仕事中のルルを見かけたことがあった。メイド仲間と一緒に働く姿は、領地にいる頃よりも楽しそうに見えた。
妹が幸せそうに笑っている。デュアンからすれば、それだけで充分だと思っていた。
今朝、ルルから、不穏な手紙が届くまでは。
手紙には、『お兄様、助けて! ロアンナ様に殺される』とだけ書かれていて詳細がなかった。
(ルルは、物事を大げさに言う癖があるからな……)
訓練中も木剣が少し腕にかすっただけで、『骨が折れたわ! 痛くて動かせない!』などと大騒ぎしていた。しかし、そんなルルでも他人を貶めるような嘘はつかない。
だから、殺されるは誇張表現だとしても、ロアンナとの間で何かがあったのだろうなとデュアンは予想できた。
(ロアンナ様といえば、昨日、陛下の許可を得て、王太子宮の管理を怠った不届き者をムチ打ち刑にしたらしいな。……まさかっ⁉)
それがルルだという話は聞いていないが、その流れでルルもなんらかの罰を受けることになっていたとしたら?
そう考えると居ても立っても居られなくなり、許可も得ず王太子宮に押しかけてしまった。
事情があったとはいえロアンナに先に無礼を働いたのはデュアンのほうだが、一生懸命働いているルルを『お飾りメイド』などと揶揄したことには強い怒りを感じた。
その後、なぜかジークの指示で、ロアンナと勝負をすることになったが、デュアンとしては都合が良かった。
勝負に勝てば、ロアンナを調べることができて、ルルの手紙の真相が分かる。
それにジークは、ルルは無事だ、と言い切った。会わせてくれることも約束してくれている。
(ルルの元気な顔を見れば、私も安心できる。それに……)
デュアンは、純粋に英雄の子孫の実力にも興味があった。ロアンナの兄マックスは、馬術の腕前が抜きん出ていると聞いている。そして、ロアンナの弟レイは、王宮騎士団員になるくらいの実力はあるし、剣筋も悪くない。
(平和な今の世で、英雄の子孫と真剣勝負できる機会など、めったにないからな)
そんなことを考えていると、厩舎の外からジークの声が聞こえ、デュアンは馬をなでる手を止めた。
もっとなでて、と甘える馬に「またあとでな」と伝えて離れる。
厩舎を出ると、ジークの前で使用人が身を縮めていた。
「なぜルルは来ない?」
「それが、お部屋から出られないそうで……」
「なぜだ?」
「わ、分かりません」
「仕方がない。私が直接迎えに行くか」
優雅に前髪をかき上げたジークは、デュアンに「ルルを連れてくる」と言い残し去っていった。礼儀正しく頭を下げたデュアンは、ジークの足音が聞こえなくなった頃にようやく頭を上げる。
すると、ちょうど厩舎に向かって歩いてくるロアンナと視線が合った。そのとたんに、ロアンナはサッと顔をそむける。先ほどは、挑戦的なまでにまっすぐデュアンを見据えていたのに。
不思議に思いそのままロアンナを観察していると、なんだかオドオドしている。
こちらに近づくに連れて。独り言が聞こえてきた。
「ほ、本当に俺がやるんですか?」
それは、何もない空中に話しかけているようにも見える。
「いや、確かに俺が言い出したことですけど……。えっ、途中で代わってくれるって? 絶対ですよ⁉」
ロアンナのあまりの変わり様に、デュアンは驚きを隠せなかったが、勝負に油断は禁物だ、と気を引きしめた。