14 月明かりの下で②(ルルSide)
薄暗い室内を行ったり来たりしている一人の少女がいた。窓辺を通るたびに、肩で切りそろえられた銀色の髪が月の光に照らされている。
その顔には、焦りとも恐怖ともとれる表情が浮かんでいた。
「どうしよう。どうしようどうしよう」
王太子宮のお飾りメイドであるルルは、無意識に自分が親指の爪を噛んでいたことに気がついた。
子どもの頃の癖が久しぶりに出てしまったせいで、せっかく綺麗に伸ばしていた爪が割れてしまっている。
ルルの実家のオーデン子爵家は騎士家系で、『剣を持つ手に相応しくない』という理由から爪を伸ばすことを禁じられていた。他にも、騎士家系特有の様々な制約があった。
「わ、私はあの堅苦しい家を出て、自由におしゃれを楽しみたかっただけなのに……」
両親には「王太子宮のメイドになって、王太子殿下の婚約者様に誠心誠意お仕えしている」と手紙で伝えている。当初は、本当にそうだった。
しかし、ルルの美貌がジーク王子の目に留まり、メイドとしての格が上がり使用人の仕事をしなくてよくなった。しかも、自由に着飾っていいし、おしゃれを楽しむお金もくれるという。
元のメイド仲間の中には「それ、ここでは『お飾りメイド』って呼ばれているのよ。やめたほうがいいわ」と言う子もいたが、ルルは「それって嫉妬?」と鼻で笑い飛ばした。
(働かなくていいし、おしゃれができて、お金がもらえるなんて最高よ)
それだけではない。
ジークは、婚約者であるロアンナを「地味だ」と冷遇し、お飾りメイド達を「華やかだ」と優遇した
お飾りメイドになったばかりの頃は、『ロアンナ様、お可哀想……』とルルも思っていたが、日々「ロアンナより美しい」と王子に褒められるので、ルルの自尊心はどんどん高くなっていった。
そんなある日、お飾りメイド仲間の誰かが「ロアンナ様って、流行りの悪役令嬢みたいよね」とクスクス笑った。
悪役令嬢というのは、大衆小説や舞台で流行っている言葉だ。素敵なヒーローと可憐なヒロインの間を引き裂こうとする悪い女役のことを指している。
そのときのルルは、『言われてみれば、そうね』と納得した。
ジークの愛は、お飾りメイドのエリーにあるのは一目瞭然。しかし、婚約者のロアンナがいる限り、二人は結ばれることができない。いつしか、ルルの中でロアンナは、二人の恋仲を邪魔する悪役令嬢になっていった。
ロアンナは悪い女なのだから、ジークに暴言を吐かれても、お飾りメイドである自分達に嘲笑われても仕方ない。そう信じるようになってからは、ジークにひどい言葉を投げかけられるロアンナを見るたびに、悪者退治を見ているような爽快感を楽しみながら、王子に褒められる自分のほうがロアンナより上だという優越感を味わっていたのは事実だ。
「だからって、だからって、普通ムチで打つ!?」
今日、ジークの寵愛を一身に受けているはずのエリーが、ロアンナの指示でムチ打ち刑にあった。
騎士達に取り押さえられ、ムチを打たれる光景が、ルルの脳裏に焼きついている。
王子に愛されているエリーでさえそうならば、ただのお飾りメイドのルルはどうなってしまうのか?
淡々とムチ打ちの指示を出す、ロアンナの冷たい目を思い出すと、全身が恐怖で震える。
「次にムチで打たれるのは、私かもしれない……。いいえ、もっとひどい目に遭うかも……」
今になってルルは、ロアンナが侯爵令嬢だったことを思い出した。子爵令嬢のルルからは、声をかけることすらできないほどの身分差がそこにはある。
「そ、そうよ、ロアンナ様は英雄の末裔であるクラウチ侯爵家のご令嬢……。私達を処分しようと思えば、いつだってできたんだわ」
ただ、今までロアンナに見逃がしてもらえていただけ。
「どうしよう、どう、しよう……。明日にでも、殺されてしまうかも……」
それほどの無礼を、お飾りメイド達はロアンナにしてきた。
両親は、子爵領にいるので助けを求めても、王都に来るまで時間がかかる。噛み続けている親指の爪は、もうボロボロだ。
「誰か、助けて……」
『ルル。爪を噛む癖を直しなさい』
子どものルルが母にそう叱られる度に、兄は優しくルルの頭をなでてくれた。
「そ、そうだわ! 王都にはお兄様がいるじゃない!」
子どもの頃はそれなりに仲が良かったが、今では同じ王都にいながら顔を合わせることはない。なぜかというと、成長するにつれて、兄が騎士家系のオーデン子爵家を代表するような堅苦しい性格に育ってしまったので、小言を言われたくないルルが一方的に避けていた。
「お兄様に助けてもらえばいいのよ!」
ルルは急いで兄への手紙をしたためる。
不安にかられながら震える手で書いた手紙の内容は、『お兄様、助けて! ロアンナ様に殺される』だった。