11 見よう見まねのデート②
ライズの笑顔は、とても満たされているように見える。それは、未練や後悔を断ち切った幽霊達が、消える前に浮かべる笑みにそっくりだった。
(よく分からないけど、あなたの未練もなくなったのね。良かった……)
ロアンナが少しだけ寂しく思ってしまうのは、短い間だったが頼もしい味方ができて嬉しかったから。
ソファーから立ち上がったライズは、「行きましょう!」と元気いっぱいに本を掲げる。
「そうね」
いつまでも地上に留まっていたら、幽霊は悪霊になってしまう。お空に行けるのなら、早く行ったほうがいい。
(これで、ライズさんともお別れね)
ロアンナの今までの経験では、未練がなくなった幽霊は憑りついた体から自分の意志で出てくる。しかし、ライズはレイの体から出てこない。
不思議に思い見つめていると、ライズはロアンナにも見えるように、手に持っていた本の表紙を見せてくれた。
本の題名は『一度は行ってみたい、王都の観光名所【恋人編】』だ。
(えっ!? 難しい本を読んでいたんじゃなかったの?)
ロアンナが予想外のことに驚いている間に、ライズはいそいそと本を棚に戻している。
「下調べはバッチリです! ロアンナ様、行きましょう」
張り切るライズは、来るときに通った市場まで戻ってきた。そして、甘く香ばしい匂いを漂わせている屋台を指さす。
「ここのお菓子が、恋人達に人気だそうです!」と言いながら、ハート型の焼き菓子を二つ買ってきた。ベンチに座って待っていたロアンナに、満面の笑みで焼き菓子を手渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
お礼を言われたライズは、照れるように頭をかいた。
「普段の俺だと買うのをためらうような可愛い流行りものも、弟さんの美形顔だと堂々と買えますね」
「フフッ、それってどういう意味?」
おかしなことを言うので、ロアンナは噴き出してしまった。そんなロアンナをライズが、ボーッと見つめている。
「どうしたの?」
「あっ、いえ……」
焼き菓子を食べ終わっても、ライズがお空に行く様子はない。
(まだ未練が残っているのかしら?)
ライズの願いは『女性とお付き合いしたかった』なので、もっと恋人らしいことをしないといけないのかもしれない。
(恩人を悪霊にするわけにはいかないわ。えっと、お付き合いしている男女っぽいこと……)
ふと、【恋人達のおそろいリボン】の看板がロアンナの頭をよぎった。
「ライズさん、買いたいものがあるの」
「あっ、はい!」
ロアンナは、リボンを売っている屋台を探した。
「確かここらへんに……あったわ! あそこよ」
屋台を覗くと、色とりどりのリボンが並んでいる。
「どれにしようかしら? ライズさん、好きな色はある?」
「い、いえ……」
悩むロアンナに、屋台の主人が「ピンクが一番人気だよ」と教えてくれる。
「じゃあ、それをお願いするわ」
お金を払い、二本の長いピンクリボンを受け取る。看板には【お互いにつけ合おう】と書かれていた。
「つけ合うそうよ」
「どこにつければいいのやら……」
困りきっているライズに、ロアンナは左腕を出した。
「ここはどう?」
「いいですね!」
長いリボンをロアンナの腕にくるくると巻きつけたあと、ライズは器用に蝶々結びする。
「次は私の番ね」
「あっ、はい」
左腕を出したライズを無視して、ロアンナは背伸びをした。驚くライズに向かって両腕を伸ばし首にリボンをかけ、蝶ネクタイのように結んであげる。
「可愛いわよ」
からかうとライズの頬は、真っ赤に染まった。
「こういうのって、だいぶ恋人らしいんじゃない?」
「そうですね」
恥ずかしそうに目をそらしながらライズは頷く。
「ロアンナ様。本当にありがとうございます。これから行くところを最後にしますね」
「最後……」
二人は広場の中心にある、立派な噴水へと向かった。噴水に近づくにつれて水音が大きくなり、涼やかな風が吹き抜けていく。
噴水の中心に建つ女神像は右手に天秤を持ち、煌めく水しぶきを一身に浴びていた。
ライズは女神像を指さしながら「願いを込めたコインが、あの天秤の中に入ったら叶うそうですよ」と教えてくれる。
(言われてみれば、そんな話を聞いたことがあるかも?)
そのとき、ライズの隣にいる男性が、掛け声と共にコインを投げた。力が強すぎたようで、コインは女神像を飛び越えてしまう。ロアンナの側にいた、女の子が投げたコインは、逆に力が足りずポチャンと噴水の中に落ちた。
女神の天秤にコインを入れるのは難しいようで、噴水の中には夢破れたたくさんのコインが沈んでいる。
ライズは、革袋からコインを二枚取り出した。
「せっかくだから、やってみませんか?」
「いいわね」
コインを受け取ったロアンナは、心の中で『ジーク殿下と婚約を解消できますように』と願い「えいっ」と投げた。まっすぐ飛んでいったコインは、女神像の腕に当たり落ちていく。
「惜しかったけど、失敗だったわ」
目を瞑ったライズは、コインを両手で握りしめて真剣に何かを願っていた。
(ライズさんの願い……)
もっと生きたかったとか、死にたくないとか。願いはたくさんあるだろう。
ライズが投げたコインは、見事、女神像の天秤に乗った。
周囲で歓声が上がる中、ライズは「やった」と喜んでいる。そして、ロアンナに微笑みかけた。
「ロアンナ様、馬車に戻りましょう」
「そうね……」
行きはあんなに楽しかったのに、帰りの二人は静かだった。
馬車に乗り込み向かい合わせに座ると、ライズはロアンナに改めてお礼を言う。
「ロアンナ様、ありがとうございました。とても楽しかったです。幸せで……もうなんの悔いもありません」
「私もとても楽しかったわ」
ロアンナは、久しぶりに心の底からそう思えた。
(ライズさんが側にいてくれたら、今日のように笑って過ごせるような気がする)
でも、ライズはもうこの世にはいない。二度と会うことはない。だからこそ、ロアンナはポツリとこんなことを言ってしまった。
「……あなたのような優しい人が、私の婚約者だったら良かったのに……」
「ロアンナ様……」
ライズは何度も手を出したり、引っ込めたりしている。ロアンナが不思議に思っていると、ギュッと手を握られた。
「大丈夫です。ロアンナ様のこれからの幸せを願ったコインは、女神の天秤に乗りました。あなたは必ず幸せになれます!」
「自分のことではなく、私の幸せを願ってくれたの?」
「はい! 俺はお空からずっとロアンナ様の幸せを願っています!」
レイの体からスッと白く丸い幽霊姿のライズが出てきた。握っていた手が、力をなくしたようにダラリと下に落ちる。
(あれ?)
ロアンナが違和感を覚えたのは、今までお空に行く前の幽霊達は皆、生前の姿をしていたから。でも、ライズは白く丸い幽霊のままだ。
しかも、ライズは幽霊姿のときに大事そうに抱えていた本を持っておらず、代わりにロアンナが贈ったリボンを身につけていた。
ライズは、小さな手をピョコピョコと動かしながら、『このリボンは俺の宝物です』と教えてくれる。
(幽霊達が身につけているものは、皆、彼らの宝物だったのね)
ライズは、ペコリと頭を下げるような動きをすると、馬車の壁をすり抜けて、フワフワと飛んでいった。今までの幽霊達のように、光の粒に変わり消えない。
「姉さん……」
そうロアンナを呼ぶのは、ライズではなく弟だ。
「レイ、大丈夫? 体に変わったところはない?」
ロアンナは、身につけていた幽霊よけのネックレスを外し、レイに手渡した。ネックレスをつけながらレイは、難しい顔をしている。
「どうかしたの?」
「あのライズさんって人……本当に幽霊?」
「え?」
「上手く言えないんだけど、なんだか違う気がする」