01 プロローグ
白く丸いその生き物達は、どこにでもいた。
王都にある侯爵家の邸宅は、騎士達によって厳重に守られているはずなのに、いつの間にか入り込んでいる。
この白い生き物達にあるのは、つぶらな瞳とピンク色の頬。そして、ピョコっと生えた小さな手だけ。姿形は同じだが、ときどき飾りをつけていたり、手に何か持っていたりすることがある。
生き物達は、何かしてくるわけではない。ただ、おしゃべり好きが多いので、まだ幼い侯爵令嬢ロアンナは、その声をうるさく感じ、ときどき耳を両手で塞いでいた。
ある日、ロアンナが「お母様。あの白いの、なぁに?」と尋ねたら、母は「そこには、何もありませんよ」と眉をひそめた。
いつも優しい母のそんな顔を、ロアンナは初めて見た。だから、なんとなく、白い生き物達のことを話してはいけないのかもしれないと子どもなりに察した。
その日から、ロアンナも皆と同じように見えていないふりをしている。
五歳になったばかりのロアンナが、弟レイのプニプニほっぺをツンツンしているときも、三つ年上の兄の誕生パーティーが開かれている今でさえも、生き物達は、パーティー会場の人々をすり抜けながら、空中をフワフワと漂いおしゃべりをしている。
そして、いつものように、ロアンナ以外、誰も気にしていない。
それでも、白い生き物達が、ロアンナの近くに来たら目で追ってしまうのは仕方がない。
パーティー用のドレスを着て、お行儀よく座っているロアンナの前で、生き物達がいつものようにおしゃべりを始めた。
男の人の声が聞こえてくる。
『これが侯爵様の開く誕生パーティーか。さすがだなぁ。最後の思い出作りに、来てみてよかった』
隣の生き物からは、女性の声がした。
『本当ね。こんなに素敵なパーティーが見れるなんて。あら?』
生き物の小さな手は、ピョコピョコと動いて、ロアンナを指している。
『この女の子を見てよ。噂には聞いていたけど、本当に髪が黒いのね』
ロアンナは、自身のゆるくウェーブがかかった黒髪をチラッと見てから、紫水晶のように透き通った瞳を動かして、生き物達に視線を戻した。
『侯爵様は、確か異世界から来た英雄の末裔なんでしょう? だから、生まれてくる子ども達は皆、黒髪になるんですって。不思議よね』
『一人だけ金髪な方は、よそから嫁いで来られた侯爵夫人かな? 美人だなぁ』
生き物達が、ロアンナの母のほうへフワフワと移動する。それを見届けたあと、ロアンナはパーティー会場をぐるりと見渡した。
(今日は、あの子、来ていないのね)
あの子とは、最近ロアンナの周りに良く現れる黄色い花飾りを頭につけた生き物のことだった。人懐っこいのか、子どもが好きなのか、いつもニコニコしながらロアンナや弟のレイを見ていた。
(パーティーにも来るかと思っていたのに。レイのほうに行っているのかな?)
二歳の弟レイは、見ているだけで面白い。ニコニコ笑いながらよだれを垂らすので、ロアンナもニコニコしながら、よだれかけでいつも口元を拭いてあげていた。そんなレイは、お昼寝をするために、乳母に連れられ部屋に戻ってしまっている。
(私もレイのところに行こうっと)
今日の主役は、誕生日を迎えたロアンナの兄だ。なので、ロアンナがパーティーを抜け出しても問題はない。
ロアンナの父は少し離れた場所で、招待客と談笑していた。父に部屋に戻ることを伝えようと、ロアンナが椅子から立ち上がったそのとき、お昼寝しているはずのレイが、なぜか一人でバルコニーにいるのを見つけた。
ロアンナは、目を見開き息を呑む。
おぼつかない足取りのレイは、バルコニーの柵に近づいていく。ここは、三階。落ちたら無事ではすまない。だからこそ、常に乳母やメイドがレイを見守っていた。それなのに、今はレイの側に人の姿がない。
声にならない悲鳴を上げながら、ロアンナはバルコニーへと走った。
「ロアンナ!? どこへ行く! 待ちなさい!」
背後から父の声が聞こえたが、説明している時間はない。だって、レイが今にも柵の隙間から落ちてしまいそうなのだから。
「レイ! ダメよ、レイ!」
名前を呼んだら、レイが振り返った。ロアンナを見てニッと笑うその顔は、なぜかレイに見えない。
ロアンナがバルコニーへと飛び出した瞬間、レイは、まるで自分から落ちようとするように、体をゆっくりと傾けていった。
「レイ!」
駆け寄り必死に伸ばしたロアンナの手は、なんとかレイの服を掴んだ。そのとたんにロアンナの肩や腕に激痛が走ったが、決して掴んでいるレイの服を離さなかった。背後から大勢の足音が近づいてきたかと思えば、複数の悲鳴が上がる。
ロアンナはすぐに父に支えられ、父の手でレイも引き上げられた。レイを抱きしめた母の腕の中で、ニタニタと笑うその顔は、弟のはずなのに弟に見えない。レイの頭には、見覚えのある黄色い花飾りがついていた。
「レイ……じゃない? あなた、誰?」
そのとき、レイの体からスッとロアンナと同じ年頃の女の子が出てきた。女の子の体は透けていて、髪には花飾りがついている。
『あーあ、失敗しちゃった。この子なら、一緒に行けると思ったのに』
「行く? どこに?」
ロアンナが尋ねると、女の子は、まっすぐ上を指さす。
『お空』
「お空?」
『そう。行きたくても行けなくて。ずっと一人で寂しくて。でも、もう一人でもいいや。私の願いが、今、叶ったから』
女の子は、ロアンナを見てニッコリと微笑んだ。
『ずっと誰かに助けてほしかったの。私は誰にも見つけてもらえず、一人で死んじゃったから。私を助けてくれてありがとう。なんだか、心が温かいな』
女の子の体が淡く光ったかと思うと、細かい粒に変わり空へと昇り消えていった。
バルコニーに残されたのは、母の腕の中でスヤスヤと眠るレイと、父に後ろから抱きしめられているロアンナ。そして、その場に立ち尽くす兄。パーティーに参加していた者達が「何事か」とバルコニーに集まってきていた。
父がロアンナと向き合い、その両肩を掴む。
「ロアンナ……。今、何と話している? 何が見えているんだ?」
その顔が、あまりに深刻そうでロアンナはすぐに返事ができなかった。見かねた兄が父をたしなめる。
「お父様。そんなに怖い顔をしていたら、ロアンナも答えられませんよ」
「そ、そうだな」
フゥと息を吐いた父は、いつもの優しい顔に戻った。
「ロアンナ、話を聞かせてほしい。これは、とても大切なことなんだ」
こくんと頷いたロアンナが、白く丸い生き物達のこと、そして、その生き物が実は女の子で、レイの中から出てきたこと。女の子は、レイをお空に連れて行こうとしていたことを話した。
「その生き物達は、いつから見えていたんだい?」
「気がついたらいたわ」
「産まれたときから見えていたのか……。そうか、ロアンナは失われたはずの英雄の能力を持っているのだな」
首をかしげるロアンナを、父は優しく抱きしめた。
「それは、おそらく英雄の能力のひとつ【死者を見る目】だ。ようするにロアンナが見えている白くて丸い生き物達は、幽霊ってことだな」
「それって、皆、死んでるってこと?」
「そうなるな」
「じゃあ、さっきの幽霊はレイに憑りついて、レイを殺そうとしていたってことなの?」
父が頷いたとたん、ロアンナは恐怖のあまり気を失ってしまった。
この事件がきっかけで、ロアンナは幽霊が見えることが分かり、またレイは幽霊に憑りつかれやすい体質だと判明した。
レイの体質は、神殿から取り寄せたネックレスを身につけることで解決したが、ロアンナの能力を抑えることはできなかった。
成長と共に、能力がなくなることを期待したが期待は空しく、美しく成長したロアンナは、今でも幽霊が見えている。