38話 異教徒
浅久良がエルンテルを目指して歩みを進め、朔たちがテオス・アナテマ学園の追試験のためにピタヤという女性と遭遇しているころ、エルンテルを囲む赤い大地を越えた樹林の中に狐のお面を付けた人物が潜んでいた。
その狐のお面にはひびが入っており、塗装も剝げてボロボロになっている。
負傷した足取りは重く、よろよろと一歩一歩を踏み出していた。
「 くそ......あの大男、話も聞かず殴りやがって 」
狐面は高く登る青い空を仰ぐと、ボロボロになった仮面を片手で覆いもう片方手で固く結ばれたひもをほどいた。目以外の隠されていた皮膚が久しぶりの日光を浴びる。広くなった視界で一気に入り込む光に、狐面は思わず顔をしかめた。
「 ありえないだろ、神の子があの場では一番の脅威だったはずなのに、あの力は予想外だった 」
樹林の中の川まで歩いた狐面は、隙間から草が生えている岩に一旦腰を掛けると、懐から水筒を取り出して水を汲んだ。そして、岩から降りて膝をつき、揺れる水面まで顔を近づけると両手で冷たい水を掬ってびしゃびしゃと顔を濡らした。
その時、ゴウ、という風が吹いて狐面の濡れた顔に吹き付けて熱を奪う。
狐面はもう一度水面を見つめると、茶色に色の抜けた髪の毛を濡らすために、頭を川の中に突っ込んだ。
狐面が水中でためらうことなく目を開けると、顔を突っ込まれて驚いた小海老が踊りながら逃げていくようだった。目の前で逃げていく小海老を見た狐面は、思わず水の中で笑う。口をあけて笑ったせいで水が流れ込み、気道に入って、川から顔を上げてゴホゴホと水を吐き出した。
茶色い癖毛から滴る川の水が白い頬を伝って、地面に落ちる。
苔が生えて緑になった地面が水滴を受け止めると同時に、狐面も岩の上に腰を下ろした。
足と肩の力が抜けたためか、自然と「ほう」と肺の息がぬける。
狐面は呆けた顔でただ、ぼうっとし、焦点の合わない目で虚空を眺めた。
狐面の名前はソルアスと言った。
彼には一つの野望があった。
それは、遥か昔、神話の時代。
突然この世界に舞い降りて、あらゆる神を統制し今の世界の土台を作ったと呼ばれる存在。
彼はその存在を崇拝していた。
そして、その存在を再び現世でよみがえらせること。
だが、その崇拝はこの世界で認められているものではなかった。
この世界において神とはあらゆるものであり、世界そのものだったからだ。
そんな神を統率し土台を作る存在など、決して許されるべきでない存在であった。
その存在を崇拝し崇め、復活を目論む者たちを、人々はこう言った。
異教徒と。
異教徒の幹部である者は仮面をつけている。
狐・牛・豚・亀・蛇・鹿・梟
の、7つの仮面をつけた者たちは七陽と呼ばれた。
このソルアスというものは、狐だったのだ。
そして異教徒は、とある噂を耳にした。
マルティネスという街に異世界の神を宿す異世界人の少女がいることを。
そのため隠密や索敵に優れたソルアスが今回の任務にあたっていたのだ。
だが、異教徒側に一つの誤算が発生した。
それは、斥宮朔の存在。
神代命に比べたら矮小な力しか持っていないはずの異世界人だったはずの彼は、命を誘拐しようとしたソルアスの時間を奪って立ちふさがっただけでなく、有り得ない力をもってして撃退しドメストにつなげた。
ソルアスが任務を失敗したことと、邪魔であったドメスト、斥宮、について憤りを感じていると、樹林の奥から静かな足音が近づいてきた。魔力の気配はとても鋭く、どこか冷たい雰囲気が漂ってくる。
ソルアスはそれが誰か気づいていた。
「 あら、必ずとらえると言って出てきたのに、成果を全く出すことなく、子供一人に時間を使った狐じゃない 」
そうやってとげのある言葉を吐く女性は梟のお面をつけており、すらりとした体系に乳白色のさらっとした長髪、そして細い指が特徴敵だった。
「 あれは誤算だった、奴にあそこまで強大な力は眠っていなかったはずだ」
「 だから、私が行こうかと聞いていたのよ、あなた一人で務まる案件じゃなかった 」
「 なら、お前は魔力を隠せるのか、あの学園にお前が入った途端にドメストが出てくるぞ 」
正論を言われた梟面の女はバツが悪そうな顔をする。
そして、肩にかけたバッグから一つの袋を取り出してソルアスに投げつけた。
「 これは? 」
「 鹿が作った魔道具よ、まぁ、せいぜい失敗しないで頂戴 」
ソルアスが袋を縛っている紐をほどき中を見ると、6つの指輪が紐を通ったネックレスが入っていた。
つまむように取り出したソルアスは目元まで持ち上げ、まじまじと見つめる。
そして一応に観察すると訝しむような顔で自身のポケットにしまった。
「 指輪一つ一つに私達の魔法が一つ組み込まれてるわ、魔力を流せば発動できるわ、非力な貴方にはちょうどいいでしょ 」
梟面の女はそう言ってソルアスに背を向ける。
そして、梟面の女の周りの空間がねじ曲がったかと思うと、梟面の女は陽炎のように消えていった。
「 はぁ、また余計なものを 」
ソルアスの髪の毛は既に乾いていた。
自然に乾燥したことで癖毛がふんわりとしてボリューム感が増している。
ソルアスは手元の狐面のお面を手に取ると、上を向き、顔にお面を載せて、両手でお面の紐を結んだ。
そして、ポケットにしまった指輪のネックレスを取り出した。
細いチェーンの紐に通してある指輪は一個一個で取り外せるようになっており、細かく作られている。
そして、指輪にはデフォルメで書かれた個々のお面と対応するマークが書かれていた。
ソルアスは梟面の女の前ではポケットにしまったネックレスの留め具を外して首にぶら下げた。
「 ま、お守りぐらいにはなるか 」
そういって、鼻で笑うソルアスの足取りは少しだけ軽くなっていた。
負傷した身体を魔法で癒したソルアスは森の中を進んで行く。
目的はこの樹林の中にある寺院に眠っている、魔道具を盗み出す事。
その魔道具は、あらゆる術式効果を一時的に無効化できる結界という魔道具で、各冒険者ギルドや国が探している品物であったが初めに見つけたのは異教徒だった。
そして、命の誘拐に失敗したソルアスはそのまま寺院付近の樹林の中に飛ばされていたのだ。
「 ここは...... 」
ソルアスが森を進むと、全体がツタで覆われ半壊した建物が見えてきた。
周りが巨木で囲まれており、その木が全壊することを防いでいた。
その建物は瓦屋根で本体より広く出た屋根、観音開きの扉、美しい木の彫刻で作られていた。
そして、その建物の前には二柱で一番上が2枚の板でつなげられて、中央には見たこともない文字が書かれている用途のわからない建物があった。
ソルアスは物珍しそうにその柱の間をくぐる、
そして、柱の間をまたいだ瞬間、辺りの景色がガラリと一変した。
日が入る樹林の中だったはずのソルアスの周りは、真っ暗の夜となり木が生えていない原っぱとなっている。
「 転移?! いや、結界の中か...... 」
次第に目が慣れてきたソルアスが辺りを見回すと、一体の魔獣の姿が見えた。
だが、魔獣というにはその姿は醜くあまりにも人に酷似していた。
高さは大柄の男とそこまで変わらない。
だが、腕は3対もあり一つ一つが見たことのない形をしている。
首があるようには見えず、大きな胴体に乗った大きな顔に吊り上がった目が6つも付いていた。
その怪物は胡坐で地面に浮いており、異様な雰囲気を醸し出してソルアスを見ていた。
「ざ、ざ、ざ、ざ、ざ.......」
怪物はソルアスが一歩近づくと、ざ、ざ、ざ、と不気味に声を発する。
ソルアスはさっき渡された指輪の一つを千切って指にはめると、僅かに魔力を込めて仮面の奥の目でにらみつける。その怪物は近づかれることを異様に嫌がっているようで、ソルアスは一度足を止めた。
( 恐らく、この結界はあの見たことのない魔獣が生み出してる物、固有結界に近いけどスキルも術式も付与されてない気がする )
ソルアスは状況を確認すると、恐る恐る一歩を踏み出した。
すると、怪物は「ざぁぁぁぁぁ!」と叫びだした。
その瞬間、ソルアスの背筋に冷たい汗が走る。
ソルアスは足に力を込めてその場から逃げると、その場に落雷が起こった。
さらに地面が隆起してソルアスを追いかけるように地面からとげが突き出てくる。
「 挨拶もしてないのに、殺意高めだな!! 」
ソルアスが叫ぶと、それに呼応するように落雷が降り注ぐ。
目の前に飛び出る硬く鋭い針を掌底でへし折りながら、走って怪物に近づいた。
怪物は腕の一本をソルアスに向けると手のひらで止まれというようなしぐさをする。
すると、爆炎の波がソルアスを飲み込まんと表れて覆い広がった。
だが、ソルアスも黙っていなかった、一瞬して停止してバックステップすると手を広げて一拍手を打ち鳴らす。すると、爆風が起きて炎の波に穴をあけた。だが、開けた炎の波からは無数のとげが飛び出てきて追撃していった。
「 ふくろぉぉぉぉ!! 」
その瞬間ソルアスの指輪が光って、ソルアスの全身を包み込む。
元々ソルアスが居た場所は大穴があけられており落雷と爆炎で草が真っ黒になっていた。
「 そっちがその気なら、俺も考えがある 」
指輪の魔法により上空にいたソルアスは、じっと怪物の目を見る。
「 誘導 」
怪物は上空のソルアスを見ていたが、急に全く違い方向へと魔法を放つ。
そして、死角の中に入ったソルアスは、自身の親指の皮膚を食い破り血を流れさせる。
血が滴る親指を肘裏に押し付けると手首まで一本の線を引いた。
「 固有結界解放・真中圧花 」
ソルアスの固有結界が解放される。
結界はソルアスを中心として瞬く間に放射状に広がり、怪物の結界を塗り替えた。
真っ暗の草原だった景色が、一瞬して灰色の空に白い雪が降る景色に代わる。
そして、瞬く間に怪物の腕の一本がつぶされるように千切れ飛んだ。
「 裏術・集中 」
そこからは見ているものが目を背けるぐらい、ソルアスの一方的な暴力だった。
怪物は見えない何かによって、大気圧で潰されるペットボトルのようにべこべこと、一部ずつつぶされていく。ソルアスが一歩近づくと呼応するようにその勢いは強くなっていき、ついには原型すらなくなり、ボールのように丸くなった。
ソルアスは怪物が死んだのを見下ろして確認すると、固有結界を解除して片膝を突く。
そして、足元にある元怪物のボールを手に取ると、見たくないものを捨てるかのように遠くに投げ飛ばした。
ソルアス(狐面の男)
異教徒のトップの一人であるである狐面
多彩な隠密スキルを使いこなし、対面では術式である「誘導」を用いて敵をかく乱しながら戦う。固有結界も会得しておりその中で敵を圧死させることができるが、一度結界を解除すると酷く体力や魔力を消耗してしまい、次の戦闘ができない。




