新章 36話 いざ、尋常に世界へ
空は高く澄み渡り海水で湿った風が、テオス・アナテマ学園の屋上に立っている、朔、命、ルシアの髪の毛を揺らす。そんな3人の前には、体長が20mを超えているような一匹のドラゴンが居た。
そんなドラゴンには長いハーネスと手綱がつけられており、その巨体を優雅に休ませている。
「 じゃ、皆はこのゴーグルと安全服を装着してね 」
3人にゴーグルと安全服を手渡すしたのは、今回の試験官であるシャルロッテだった。
長い金髪を前髪だけ残して無造作にひとまとめにしており、ごつく分厚いゴーグルを額に当てている。
そして、暑いのか上着は薄いシャツのみでダボっとした太いズボンを履いている。
その様子は、前の世界の米軍人を朔に連想させた。
だが、乗り込むのはジェット機ではなく、ドラゴンである。
3人に服を渡したシャルロッテは巨大なドラゴンの首筋を撫でて、「よろしくね」と、普段と何も変わらない様子で語りかける。つぶっていた目を僅かに開けたドラゴンはちらりとシャルロッテの方をみて、再び目をつぶった。
ドラゴンにつけられているハーネスには手すりが付いており、安全服のカラビナを取り付けれるようになっている。朔らが乗り上げると、3人のことを一人一人点検したシャルロッテが満足そうにうなづいた。
「 ドラゴンは進む時の空気抵抗だけを減らすためのスキルを使うが、それは私たちにとっては豪風だからな、ちゃんと安全服を装備しないといけないんだ 」
そういいつつもシャルロッテは服を着る様子はない、そしてシャルロッテは3人の一番先頭に座ると、とても長い手綱を握った。
シャルロッテが手綱を振って、引っ張ると手綱の中央部から破裂音が鳴る。
すると、優雅に寝ていたドラゴンがゆっくりと顔を上げた。
眠たげなドラゴンは長い首を曲げて、シャルロッテの方を急かすように見る。
再びシャルロッテが手綱を優しく振ると、ドラゴンは数回大きく羽ばたいた。
朔たちの髪の毛が巻き上げられてぼさぼさとなる、次第にドラゴンの体は重力を無視するかのようにふわりと浮き上がった。
3人は、どんどん遠ざかっていく学園とアクアウルプスを覗き込む。
「 すご! わたし、こんな大きなドラゴン初めて乗った 」
「 風が気持ちいねぇ~ 」
「 以前アナスタシア様に乗せてもらったカームドラゴンより断然速度が違う、 」
下を向いて驚いてる命をしり目に、ルシアは様々な方向から浴びせられる風を楽しんでいた。
曇より僅か下を、ドラゴンは羽ばたきながら進む。
耳を切る風の音が気持ちよく、生身で上空を旅していた。
30分ほども飛ぶと、どこか見覚えのある景色が見えてくる。それは、朔たちがいつも過ごしていたマルティネス領で、高い上空からだがハッキリと住民の様子が見ることができる。
目のいいルシアは、遠くで買い物をしているメイドさんがいると指をさすが、ただの人間である命と朔にはわかるはずはなく、ただただ目を細めるばかりであった。
「 そういえば、君たちはクロエの所の居候なんだろ? 」
地面を確認していた、シャルロッテが朔たちに問いかける。
そうですよと、命が言うとシャルロッテは聞いてた通りだという顔で笑った。
「 この前、手を合わせたんだけど、あの後何か言って無かったか?」
「 えぇ! 学園にいる知り合いってシャルロッテさんのことだったの?」
「 いや、そこまで驚かなくても、予想できただろ......」
やっぱりという顔をする朔に反して、ルシアが驚愕の顔をする。
「いや、むずかしいよ」と反論するルシアが、クロエとどういう関係なのかをシャルロッテに聞くと、シャルロッテは少しだけ悲しそうに過去の話をしはじめた。
「 昔、戦争があったことは聞いてるか? その戦争で私とクロエは敵同士で友人でもあったんだ。 クロエ率いるマルティネス小隊と私の父上が率いていたダルマチアという今はない国の小隊がダルマチアの関門でぶつかり合った。 そこには私も居た、父上が戦場の後方から指揮を執り、私が前線で隊長として戦った。 その戦いは3週間続いて膠着状態だった、でも、なかなか戦況が変わらない事にしびれを切らしたマルティネス総監部は、無血開城のために全力を出すことを渋っていたクロエに命じて、私や父上などの強い兵士以外を核魔法と呼ばれる強力な魔法で全滅させたんだ 」
シャルロッテはそこまで言うと、はっとしたように顔を上げて3人に「すまないな、マルティネスが悪者のように話して」と、笑った。だが、その顔は少しだけ無理をしているようで、悲壮感が漂っていた。
無理して話さなくて良いと、命とルシアが言うが、ちゃんと話さないと3人に顔向けができないと言ってシャルロッテは話をやめなかった。
「 一瞬だったんだ、クロエの結界が関門を包み込んでしまったと思えば、結界の中全てが核魔法の効果範囲だった。 3週間も続いていた戦いは僅か1日で決着がついた。 クロエは生き残った私達を形だけの捕虜として3日ほどとらえた後、総監部の目を盗んで逃してくれたんだ。 だが、地獄はそこからだったんだ。 ダルマチアの中枢に何とか戻った私達は関門を突破されたことへの責任を問われたんだ。 そして私たちは殉死しろと、命じられた 」
話を聞いているのはドラゴンの上で、物凄い風が音を消しているはずなのに、シャルロッテの深い息が3人の耳に届いていた。朔はシャルロッテの後ろで、シャルロッテの背中が僅かばかり揺れている事に気が付いた。だが、それを口に出すことはなく、少しだけ背筋を伸ばしてその動きを隠した。
「 父上は私を愛していたのだろうその場で自身の首を断ち切って、私が殉死しないようにしたんだ。 そのおかげもあって、私は生き延びた。 だが、戦争には負けて国も家も失った私は途方に暮れていたところ学園長に拾われたんだ。 そして、私が生きていることを聞きつけたクロエがこの前訪ねてきたんだ、逃がしたことを誤りにきたんだ。 私は怒りをぶつけたよ、クロエを責めたって意味がないのに......」
シャルロッテは僅かに後悔するような顔で、話を終えた。
戦争を知らない命と朔は何も言えなかった。
僅か数年前の戦争、今のマルティネスにはその爪痕は一切残っていない。
だが、違和感はあったのだ。
若すぎるリヌイが、領主になっていること。
孤児院での子供の多さ、度々話題となる戦争の話。
歳を取っている者が異様に少ないこと、アナスタシアギルドのスタンピードへの異様な対応の速さ。
朔も命も、気づかないふりをしていた物が一気に流れ込んでくる。
シャルロッテの話が終わって一番初めに口を開いたのは、唯一戦争を経験しているルシアだった。
「 私は先代に拾われる前の事はあまり覚えてないんだけどさ、一つ覚えてるのが、どこかの戦いに巻き込まれたことでさ。必死に逃げて、気づいたら戦場に立ってたのは私だけだったんだよねぇ 」
辛い記憶を話しているはずだが、ルシアの声は軽く明るかった。
朔が気になって少し後ろを見ると、ルシアは誇らしそうにどや顔をした。
「 ハハハハ、それは凄いね、噂通りの子みたいだ、元気が出たよありがとう 」
後ろを向いていた朔の後ろから、シャルロッテの笑い声が降ってくる。
シャルロッテは目尻を赤くして、溜まった涙を指で掻き取って笑っていた。
海を超えて山を見下ろして草原の風を作る、空を飛ぶ鳥の隊列を乱して4時間ほど飛び続ける。
疲れたルシアと命は、ドラゴンのゆったりとした羽ばたきの揺れでウトウトし始めて、次第に静かになる。
その様子に気づいたシャルロッテは、朔に寝てもいいんだよと言うが、話し相手が居ないとつまらないでしょと朔は言って起き続けていた。
「 ほんとに敵なだけだったんですか 」
黙って手綱を握っていたシャルロッテに、朔が質問する。
手綱をゆらゆらとたなびかせていたシャルロッテの手が止まる。
一時、硬直していたシャルロッテは、思い出したかのように手綱を揺らめかせた。
「 昔の話だ、忘れたよ 」
「 そうですか 」
「 あぁ 」
シャルロッテは手綱を大きく振って、ドラゴンに飛ぶ速度を上げさせる。
耳にあたる風が強くなり、轟く風の音も強くなった。
ゆったりと飛んでいる他のドラゴンや鳥などが、全速力で飛行するシャルロッテのドラゴンを見て道を開けていく。ふと、地上を見れば、点々としている村が見渡せて世界が広く感じられた。
尖った針のような森を抜けて、白い雪に閉じ込められた剣山を横目に通り過ぎる。
通り過ぎると、緑の多い平原に出てきた。
背の低い草本が地面を埋め尽くしておりまばらに低木が植わって、人が通るであろう道が赤く変わっている。赤い道を通る行商人を見下ろして、狩人の猟の上を通り過ぎると、高い建物がかなり集まった大きな都市が見えてきた。
「 やっと見えてきたな、世界一の工業都市、エルンテルだ 」
いつの間にか、寝ていたルシアと命が起きており、始めて見る巨大都市に歓声を上げて目をキラキラさせている。だんだんと近づいて見てみると100mほどの建物がガラクタのような金属でできており、錆びだらけになっている。建物自体の作りもかなり粗雑で、大きな建物をレンガ遊びのように積み上げており、いつ倒壊するのだろうかと心配を覚える見た目だった。
「 街には留めることができないから、ある程度場所を探してそこに降りてもらおうかな 」
シャルロッテはエルンテルから数キロ程離れた場所に降りると、3人のカラビナを外す。
そしてドラゴンの手綱を離すと、ドラゴンに向かって「もういいよ、ありがとう」と言った。
すると、ドラゴンは豪風を巻き上げながら飛び去っていく。
その速さは、朔たちが乗っている時よりさらに早かった。
「 ドラゴンは自力で帰ってくれるからな、帰りは自分たちで帰るよ 」
そう、シャルロッテがいうと、ルシアとミコトが「えー」と不満そうに声を上げた。
朔はそんな3人を見ながら、赤い地面を踏みしめる。
砂交じりの乾いた風が吹いて、エルンテルまでを後押ししているようだった。
「 それじゃ、いこうか 」
朔が、見えていたエルンテルに足を踏み出すと、ルシアが「頑張ろうね」と一言言い、命も「楽しみだね」といって横に並んだ。シャルロッテは、そんな若い3人の背中を見ながら後に続く。
乾いた土に4人の足跡が残り、風が吹く。
快晴の空は飲み込まれるほどに高くなっていた。




