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第7話 腹違いに、思惑あり



 沙夜が「今日から更衣(こうい)だ」と一方的に魅侶玖から言われた、数日後。

 後宮には「夜宮(よるのみや)」という新たな部屋ができた。

 

 皇妃もしくは皇妃候補として後宮へ参内(さんだい)する、公家(くげ)や上流階級の子女がなる女御(にょうご)という身分がある。

 

 更衣というのは、その女御に次ぐ位置づけだと聞いて、沙夜は眩暈(めまい)のする思いだった。皇帝の服を着替える(更衣)のを手伝うために、寝所(しんじょ)に入る権限を持つ()()女官である。寝所に入るとはつまり……と思い至ってからは、ずっとクラクラしている。


 更衣となると専用の部屋が与えられ、部屋には名前が付き、以降は個人の名ではなく部屋の名で呼ばれるようになる慣例だ。

 身の回りの世話をする侍女までつけられ、つい最近までただの村娘だった自分にとってあまりにも大きすぎる変化に、一体どうしろと! と首をひねるばかりである。

 

 しかも、女性には全く興味がないと(ささや)かれていた第一皇子である魅侶玖(みろく)直々の召し抱えかつ、ギーの紹介状まである。

 図らずも沙夜の名は、皇都の貴族女性の間中に響き渡ってしまった。つまり、高位貴族全ての耳に入った、と言っても過言ではない。

 

 さすがにギーが状況を(おもんぱか)り、沙夜へ文を寄越した。

 

『今はなにかと物騒である。侵入したあやかしのこともあるし、護衛をつけよう。見知った者を行かすゆえ、安心するがよい』

 

 当然、「護衛!?」と驚く沙夜が迎えたのが――

 

「ねえ愚闇(ぐあん)、どうしてこうなったの!?」

「くぅ~ん」

「えーっと、夜宮(よるのみや)様が殿下と仲良くなって、かつ、あやかしを消したからですね」

「仲良くはない! 呼ばれ慣れないから名前がいい! 敬語やめてーーーーー!」

「はっは。ご命令とあらば」

「命令って!」


 通常は女しか入れない後宮だが、暗黙の了解で護衛(と監視)のため黒雨(くろさめ)は普段から配備されている。

 

 愚闇が表立って歩けるよう『魅侶玖の命』として押し通したギーの配慮は心強くありがたかった。が、『更衣』は愚闇の階級より上のため、配下として扱わなければならないと聞いて困惑するしかない。

 


(自分は何も変わっていないのに……一瞬でそんなことになるだなんて。切ないな……)


 

 

 ◇

 

 

 

 ようやく落ち着いて身支度ができるようになった、ある朝のこと。

 鏡台の前で侍女のすず――二十五歳で年上だからと、沙夜が『おすずさん』と呼んだらこっぴどく叱られた――に整えられながら、他愛もない会話をしていた。

 

 武家出身のすずは、公家の人々とは違って嫌味もなくさっぱりとした話しやすい女性である。

 これもまたギーの采配だと聞いてホッとした沙夜は、それでも何度も聞いてしまう。

 

「愚闇もすずも、私みたいなただの村娘に従うのって、嫌じゃないの?」

「まあ! 夜宮(よるのみや)様ったら。魅侶玖親王(しんのう)寵姫(ちょうき)に仕えるだなんて、望外の喜びなのですよ」

「ちょうきなんかじゃないってば!」


 部屋の名前で呼ばれるのも、何かと魅侶玖のお手付きみたいに言われるのも、沙夜にとってはなかなか受け入れがたい。

 

「ひひひ」

「んもー愚闇、笑ってないでなんとか言って!」

寵姫(ちょうき)じゃないんです?」

「ちーがーうー!」

「おん、おん!」

玖狼(くろう)~! わたしの味方は玖狼だけだよ~」

「わん!」

 

 渡殿(わたどの)(壁のない屋根だけの廊下)の端、簀子縁(すのこえん)(縁側のようなところ)には玖狼が寝そべって日向ぼっこをしている。沙夜は部屋をトトトと出るとその横に座り直し、撫でながら()ねた心を解きほぐす。玖狼は目を閉じたまま、耳を一度ぴくりと動かし、あとは好きなようにさせてくれる。ふわふわの黒い毛が、暖かさと手触りで癒してくれるようだ。

 

夜宮(よるのみや)様。そろそろお時間にございます」

「……わかったわ」


 すずに声を掛けられ、重い腰を上げる。

 (くし)すら通らなかった髪の毛は、垂髪(すいはつ)(結ばず垂らすだけ)にしているので動くたびにサラサラと音を立てる。肌も手も整えられて、まるで別人のようだと自分でも思う。

 未だに着慣れない(うちき)の襟元を引っ張って正し、内袴(うちばかま)の裾を踏みそうになりながらも「えいっ」と立ち上がった。

 

 後宮主殿近くの小部屋で、今や大嫌いになった時間が始まるため、大げさなぐらいの気合いが必要なのだ。

 

 

夜宮(よるのみや)。今日はお作法である」

「げ……はい」


 キッ。

 

 音が鳴るぐらい睨んでくる尚侍(ないしのかみ)は、不満な態度を隠そうともしない。

 

 平民が更衣になるのは異例中の異例。当然沙夜は、家で習ってしかるべき基本すら全く知らない、ド素人だ。しかも沙夜の『更衣』という身分は尚侍より上なのだから、このような態度も致し方ないと甘受(かんじゅ)するしかできない。


「……すみません」

「ほんに、なぜ殿下はこのような田舎娘を」


 このように強く()()()()ても仕方がないと思えるのは、彼女が公家(くげ)出身だからだ。自尊心が高く、細かい嫌がらせもしてくる。身分や出自は努力でもどうしようもないものであるからして、耐えるしかないと思っている。

 

 そんな尚侍も、沙夜には護衛として愚闇が常に付き従っているため、すずいわく「これでも大人しい方」らしい。

 沙夜が、あれで!? と驚いたら、すずはコロコロと笑いながら「何人もいじめ抜いて、辞めさせているのですよ」とそら恐ろしいことを言った。


 

 強制的に女官として必要な勉強の時間を入れられ、環境に慣れるのに必死のうちに、あっという間に時が過ぎていく。

 毎日もたらされる気苦労と肉体疲労が、祖母の遺言や離宮で見たあやかし、それを自分が消したかもしれないという事実から、目を()らさせていた。

 

 

 ――その間、皇城内では当然、さまざまな陰謀や欲望が渦巻いていたのだが。




 ◇



 

「なぁんだ。ただの田舎者じゃないか」


 その、宵。

 沙夜が自室の机に向かって文字の練習をしていると、唐突にそんな言葉を投げかけられた。

 

 いきなりそのようなことを言われて、(いら)つかない人がいたら教えて欲しい――と思いつつ顔を上げると、敷居の向こうに見覚えのない男が立っていた。この部屋を訪れる者はいないからと、几帳(きちょう)もせず開け放っている。部屋から廊下、そして中庭まで筒抜けで丸見えであるからして、留守のフリもできない。


「……どなたです?」


 沙夜は慌てて袖を持ち上げて顔を隠す。後宮での女官は、みだりに男性に顔を見せてはならないと教わったばかりだ。

 

「僕のこと知らないの? やっぱり平民の、どこの馬の骨とも知れない小娘だねえ」

 

 その男性は、許しもなくずかずかと敷居をまたいで部屋に上がり込んでくる。


「あのっ!」


 非常識な振る舞いではあるものの、気づくと愚闇もすずも畳に額をこすりつける勢いで座礼していた。かなり高位の人物なのは確かだ。

 その証拠に、(うちき)(たもと)越しに金糸を贅沢に使った刺繍の、(みやび)紅花(べにばな)色が見える。紅花、ということは――皇族だ、とようやく思い至った。


 仁王立ちのまま、彼は「これ」と持っていた(しゃく)で袖を持っている沙夜の手の甲をぽんと叩く。


()が高いぞ」



(あ、嫌い。)



「慣れぬゆえ、ご無礼をお許しください」

 

 沙夜は素直に、袖で顔を隠しつつ膝ごと向き直ってから、頭を下げた。三つ指を突いて、三角になるように――と尚侍のお小言が思い出されて余計に苛々(いらいら)するが、耐える。


「いいよ」

 

 再び袖を持ち上げ、ゆっくりと上体を起こす沙夜の前に片膝を突いて、彼は(しゃく)の先でぽん、ぽん、と自身の膝を打っている。こうしてわざと煽るような行動をするのは、何か目的があるのかもしれない、と気を引き締める。


「うーん。とりたてて器量良しでもなし。兄者はお前の何が良かったのかな? (ねや)が得意とか?」


 兄者ということは、こいつが噂の第二皇子だと確信し、口を開く。


龍樹(りゅうじゅ)殿下。このような場所までわざわざご足労を賜り、光栄に存じます」


 沙夜の部屋は主殿から最も遠い場所にあるため、『果ての宮』と揶揄(やゆ)されているぐらいである。

 目的地としない限り、来られるような場所ではない。

 

「……ふうん」


 す、と片膝立ちの姿勢から、胡坐(あぐら)に変わった。

 早く帰って欲しいと思いながら、袖越しに畳の(へり)を見つめていると、ふわりと座る(ころも)に包まれた膝が目に入る。魅侶玖と比べるとずいぶん華奢だな、とどこか非現実的なことを考える。

 

夜宮(よるのみや)

 

 さきほどちらりと見た龍樹は、美少女と見紛(みまご)うほどの美貌だったと思い返す。

 

 立烏帽子から胸元まで下りている黒髪は、つややか。目の色は、少し赤みがかったとび色。白磁のような肌に、華奢な手首。自分よりよっぽど美人だと思ったが、声音と口調に性格の悪さがにじみ出ているのを残念だとも思う。

 

 魅侶玖とは、骨格から仕草まで似ても似つかない。そういえば、腹違いと言っていたなと思いだす。



(この人きっと、性根が歪んでいる。綺麗なのに、もったいない。)

 

 

「多少は言葉が通じるみたいだから、聞くけど。……どうやって、兄者に取り入った?」

 

 そのひん曲がった心が、どろりとした感情を乗せつつも柔らかな声を発する。耳心地の良い、軽やかな音だ。歌でも詠んだら、誰もが耳を傾けるに違いない。

 

「取り入る、とは」

「そのまんまだよ。兄者は身も心も固いからね。どのような手練手管(てれんてくだ)を使ったのか、興味があって」

「足を、拭きました」

「え?」

「わたくしは離宮のお掃除番でした。殿下の御御足(おみあし)が大層汚れていらっしゃったのを、たまたま見つけたのです。そうしたら、気が利くと」

「兄者の足を、拭いた?」

「はい」

「それで更衣(こうい)に召し抱えられたって、そう言うの?」

「はい」

「それを、誰が信じると思う?」

 

 憤った様子を隠しもせず、龍樹はさらに問うが沙夜は負けなかった。


「事実です」

 


 ――あやかしのことは、黙っておこう。絶対その方がいい。


 

「まあいいや。名前、覚えたからね、夜宮(よるのみや)

 

 捨て台詞を吐き、ようやく去っていく背中に向かって沙夜は深深と座礼をしながら、言葉を投げた。

 

「恐悦至極に存じます」

 



 第二皇子までもが、わざわざ夜宮(よるのみや)を訪れた。

 瞬く間に後宮へ知れ渡り――沙夜はますます肩身の狭い思いを味わうことになった。

 お読み頂き、ありがとうございます!

 

 龍樹(りゅうじゅ)が持っていた、平安貴族の絵でよく見る木の棒は『(しゃく)』というのだそうです。

 何に使うのかな?と思ったら、後ろに紙を貼ってメモしたり、式次第とかのカンペ書いてたらしいです。おもしろいですね。

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