第4話 後宮へ、参る
「ここが北門。後宮ってのは皇帝陛下の寝所だから、警備も厳重でね。通行証がないと出入りできないようになってる」
愚闇が指を差す先にいる門番は、ふたりとも長槍の柄頭を地面に突いて仁王立ちしている。しかめっ面で鎧姿であるからして、とても強そうに見えた。
「通行証持たずに出入りしたら?」
「問答無用で斬られる」
「ひえっ……はい」
思わず下唇をキュッと噛んだ沙夜は、無意識に胸元で手を組み合わせる。
(中に入ったら終わりな気がしてきた! でもばあばの手紙には『後宮に侍れ』って書いてた……これは、遺言だから……)
「というわけで、こっち」
愚闇がいきなり踵を返したので、沙夜は面食らう。
「へ? あの」
「言っただろう? 偉い人に頼ろうって。後宮司所は、言っちゃ悪いけど賄賂と不正だらけなんだよね」
「へ!?」
「おん!」
「だから、紫電に行くよ~!」
「黒雨じゃなく?」
「お。もう覚えたの? 沙夜は賢いね」
愚闇は、問いには答えずサクサクと歩く。
沙夜は少し小走りになりながらも、ついていくしかできない。
と、また急に愚闇が立ち止まって振り返る。
「ここは、丑寅門って言って、普通の人間は出入りできないようになってるんだ」
さきほど通り過ぎたはずの壁の一部に彼が触れると――音もなく開いた。
「さあて、吉と出るか凶と出るか」
「ちょ」
今さら賭けみたいに言わないで欲しい! と動揺しつつ、門をくぐる。
「愚闇。それは誰ぞ」
すると唐突に、どこからかそんな言葉を投げかけられた。
きょろきょろと周りを見回してみるが、姿は見えない。声だけで背筋が凍るような、冷たさをはらんでいる。
「ギー様!」
ば! と愚闇は地面に片膝を突き、深く頭を垂れる。
沙夜がぼうっと「玉砂利の上は痛いだろうな」とどこかのんびりとそれを眺めてしまうのは、どうしてよいか分からないからだ。
「この者は沙夜と申し、夕宮のお方様の書状を持って後宮へ侍ったと申しておりましたため、独断にて連れて参りました」
「ほーお」
すると、紫のゆったりとした狩衣を身に着け、つややかで癖のない長い銀髪の細身の男性が、ふわりと目の前に現れた。
興味深そうに目を細め、沙夜をじっと見つめる。皇雅国には黒髪が多いのでとても目立つが、それ以上に目立つその目は――真っ赤だ。
「赤……綺麗」
思わず呟いた沙夜に対して、ギーと呼ばれた男は、ニヤァと口角を上げた。その唇の端から鋭い歯の先がきらりと見える。
(うわ! まるで牙! 噛まれたら、皮膚に穴が開きそう!)
怯む沙夜を、ギーは牙を見せたまま面白そうに眺めている。
「忌み色と言われるコレが、綺麗とな?」
「いみ……? でも、はい……」
「ふくく。愉快な娘を拾ったなぁ、愚闇よ。その犬もか?」
ちろりと玖狼を見やるものの、その目は笑っていない。
沙夜は礼を欠いていたことに気づき慌てて立ったまま頭を下げ、玖狼は『伏せ』をした。
「は」
「夕宮のと申したか……だから司所には預からせず、紫電に直接連れてきたとな」
「左様です」
「ふくく。あいわかった。沙夜」
「は、はい!」
呼ばれたので、顔を上げる。
「われは、ギーという。紫電の二位なり」
「にい?」
「紫電で、二番目に偉い」
「わあ!」
驚いた勢いでのけぞり、その反動をつけて今度は地面に両手両膝を突いて平身低頭する。そんな沙夜の頭上に、ギーはさらに追い打ちをかける。
「身分は、紅。皇城では内大臣と同列よ。つまり、ものすごく偉い」
「わーっ! ははー!!」
(ド田舎者が会っていい人じゃなかった! 無礼で切られたら、愚闇のせいだ!)
動揺のあまり、沙夜の心臓はドッドッドッと跳ねている。
ギーの声音は柔らかいが、気配は鋭さを保っている――本能的に、絶対に怒らせてはいけない、と誰もが思うに違いない。
「素直で良い。というわけで、書状を見せてくれるか?」
「! は、はいっ!」
大慌てで手紙を懐から出す。頭を下げたまま捧げ持ったのを受け取るや、ギーが素早く中身をあらためる気配がする。
「うむ。真に夕宮の方の印である。さ、面を上げるがよい。よう来たな」
それから、手のひらを沙夜の前に差し出した。
顔は上げたものの、その手を取ることを躊躇する彼女に、ギーは困ったように眉を寄せる。
この国では、高貴な人間と目を合わせても、ましてや触れてもいけない、というのが慣例となっている。気に食わなかった、という理由で高位の貴族や武人に切られ、命を落とす民も多い。そのため沙夜が触れられないのも仕方がないことではある。だからか、ギーは二の句を継いだ。
「これ。愚闇はさておき、このような痛い思いを小娘にさせるのは忍びない。はよう立て」
それでようやく、沙夜はその手を取る気になった。
「っ、ありがとう、ございます」
手に付いた砂利をササッと取るギーの手を、沙夜は思わず凝視した。鋭く黒い爪をなぜか怖いとは思わない。むしろ胸がじわじわと温まるような気持ちになった。
(なんだろう。懐かしい感じが、する……?)
ギーも何かを感じたのか、立ち上がった沙夜の手を離さず、握った。
「……沙夜と言ったか。文の中身は読んだんかえ?」
「はい」
「意味は分かったかえ?」
「いいえ。『後宮へ侍り、正しきものを門へ導け』としかありませんから。わたしは、門が何でどこにあるのかも存じ上げません」
「そうか。命が惜しいのなら、夕宮のお方のお名前は決して出さぬ方が良いよ」
愚闇と同じことを言うなあと思いつつ、沙夜は素直に頷いたが
「代わりに、われの紹介状を書こう。おいで」
その次の言葉には、さすがに戸惑った。なぜそこまで? と思ったからだ。
「へ」
「取って食いやしない。われの紹介なら司所は手を出せないからね。ありがたがって受け取るがよい」
「は、はい!」
「愚闇。そのあとは無事送り届けよ」
「は」
「わん!」
ようやく立ち上がった愚闇の足元で、玖狼が尻尾を振っている様は、従順な飼い犬にしか見えない。
沙夜はそれを見て複雑な気持ちになり、歩が止まってしまった。
ギーはすぐに気付いて振り向き、小首をかしげる。
「どうした沙夜」
「あのっ。玖狼は……犬は、後宮に入れませんか?」
「ふむ? 気に入ったのかえ?」
「はい! あの、ひとりでは寂しくて、心細いです」
「……愚闇」
「お任せを」
ギーはこれ以上ないぐらいに、口角を上げた。
「縁、繋がりにけり」
この時沙夜は、その言葉の意味を全く分かっていなかった。
◇
ギーの紹介状には、実際、絶大な効果があった。
無事に掃部司という、後宮内の雑事を担当する省へ女官として入ることができたのである。
尚掃という掃部司を取り仕切る女性は、眉をしかめつつ「ギー様のお口添えであるならば」と、沙夜に女嬬という一番下の地位を与え、掃除と灯油担当に配属を決めた。
普通は、後宮に入ったばかりの新人はこれでもかと苛め抜かれる。
ところが、『紅のお方』と陰で呼ばれている紫電二位――男性なのに『お方』と呼びたくなるほどの美人――は、爪だけで首を刎ね飛ばせるほどの強さを誇る、残忍な武人で有名だった。
沙夜はありがたいことに、手を出したら殺されるぐらいの勢いで遠巻きにされていた。いわゆる、腫物扱い、というやつだ。
「平和だね、玖狼」
掃除と灯油担当は、毎日忙しい。はたきで埃を落とし、床を水拭きし布を洗って、明かりのための油を補充する――の繰り返しだ。
側には常に、黒犬の玖狼が寄り添っている。愚闇がどんな手を使って引き入れてくれたのかは、教えてはくれなかった。
「正しきものとか門とかって、なんなんだろう」
紫電二位の紹介なら口も堅いだろうと勝手に判断され、沙夜が後宮最奥の掃除を任され、早七日。
今やそのさらに奥の離宮が持ち場になり、二日目。
皇族しか使うことができないという『離宮』は、後宮の中でも独立している小さな建物で、住まうことができるようになっている。中の調度品が非常に高価で、皆が皆「はなれは嫌」と敬遠している。
沙夜が喜んで手を挙げたら、尚掃はあからさまにホッとした。
(きっと、私自身の扱いにも困っているんだろうな……)
そうしてひとりで任された、こじんまりとした建物を、沙夜は気に入っている。
皇族の使う割に、質素で落ち着いた色合いで建具がまとめられているのも、ツツジや百合、水仙やリンドウが植えられ、年中花が楽しめる庭があるのもだ。
特に、鯉が優雅に泳いでいる大きな池は、小舟遊びができるほどの広さがあって、赤い太鼓橋までかけられている。池の中の大きな石の上で甲羅干ししている亀たちは、のんびりとしていて、見ているだけで癒される。
自分がすべきことは、なんなのか。
自問自答しながら今日も、落ちた枯葉をザッザッと箒で掃くのが、平和な一日のはじまり――のはずだった。
「あーあ、疲れた……誰だ?」
小汚い格好の男が、紛れ込んでくるまでは。
お読み頂き、ありがとうございました!
ギー様、牙が邪魔で笑う時「ふくく」になっちゃうんです。本人は「くくく」て笑ってるつもりです。可愛いですね。