第30話 四角四堺祭(しかくしかいさい)
「今の皇都は、また青剣に守られてはいますが、その結界を強化するには四角四堺祭を行う必要があります」
「しかくしかいさい?」
夜宮で、式神であるルリの説明を聞きながら、沙夜は首を捻る。
「はい。強力な結界術です。魅侶玖親王ご即位にあたっての、白光が関わる一番の行事となりましょう」
「へーえ」
「今から言う文言。一字一句間違わず覚えてくださいね」
「げげ!」
「そらで、噛まずに言えるようになるまで。許しません」
「げええええええ!」
そこへ空からやってきた愚闇が、翼を畳みながら苦笑いをしている。
「黒姫様の声、天まで響き渡ってましたよ」
「うっ」
「どしたんです?」
「聞いてよ愚闇~! 修行辛い~」
「あー……辛くない修行は、ないですねー」
「正論もきつい~」
「はは」
「はい。雑談はそこまで。ルリの後に続いて言ってください。『東はふそう』」
「容赦ない! ひがしはふそう……」
部屋の隅に跪座(ひざまずくようにして片膝を立てて座る)する愚闇が、玖狼に声を掛けた。
「黒姫様、明るくなりました?」
「うむ。ハク様のお陰だ」
「はああ~……よかった」
「愚闇のせいだぞ。まったく、相変わらず迂闊なことを」
「うっ」
「人の心の機微は難しい。言葉には力がある」
「修行します」
「励め」
「は」
すると、文言を唱え終わった沙夜が笑顔で愚闇を振り返る。
「愚闇も、修行?」
「そうですよー」
「烏天狗って、剣の達人なんでしょ!」
「うわあ、聞いちゃいましたか」
「うん。あやかし調伏の腕もすごいって聞いた。本当?」
「いやあでも、オイラまだまだなんで。毎日文座様と詩雨様にしごかれてます」
「ひええ~! 一緒にがんばろうね」
ルリがそれを見てパン! と手を叩く。
「はい。支度が済みましたよ、黒姫様」
「はあ~い」
「じゃ、いきますか」
「ええ!」
愚闇がすくりと立ち上がり、後宮裏門へと沙夜を導く。
離宮の東側に位置する通用門で、特別な許可がないと出入りができない。ギーから迎えに寄越される朱塗りの牛車は、いつもここに横付けされている。
「牛頭、馬頭。また、お願いね」
ギーが使役しているというふたりは、名前の通り馬や牛のような顔をした青年たちで、いつも薄紫の直垂に折烏帽子姿だ。
鬼の一種らしいが、日中歩くときは人の形をしているとのことだった。
「あい」
「うい」
午睡の後、逢魔が時まで。沙夜は毎日違う道を使って、丑寅の方角にあるギーの屋敷に通う。
これは、沙夜自身が希望したことだった。
皇都の様子を自分の目で確かめることは、気の流れを視る陰陽師にとって必要なこと。
地理も分からず守ることはできないから、道を覚えたい。
牛車で通りながら、鬼門への風の流れを整えることも、仕事のうちの一つ。
沙夜は物見から周囲を眺めつつ、覚えたばかりの場を清める文言を唱え続ける。
紅の牛車が通った後は、なんだか清々しい――
皇都の民どものそんな評判は、いつの間にか魅侶玖の耳にも入り、微笑ませた。
そのことを知る由もない沙夜だが、毎日を充実して過ごしている。
「黒姫、今日は穢れを祓う術をしよう」
いつものように牛車を下りて中門をくぐると、庭に泰然と立つ鬼が、わずかに口角を上げて迎えてくれる。
「けがれ?」
「ああ。皇帝たちが代々その身に受け継ぐものだ」
「代々……」
「皇帝は、いわば青剣の人柱である。護国の宝剣が打ち破ってきた悪しきものどもの、残骸が溜まるのだ。つまり、皇帝位を継ぐものは、過去数百年の穢れをも受け継ぐ」
「そんな……!」
「身をもって国を守る。皇帝とはそんな役目を負わされているのだ。そして、それを支えるのが我らが役目」
「っ分かりました」
魅侶玖がこれから受け継ぐものの重さを想い、沙夜は気を引き締める。
「穢れを祓うのは、瑠璃の力を持つ陰陽師にしかできない。だが夕星ですら祓いきれぬまま……前皇帝は早々に冥へと渡った」
「!」
「焦らず、着実に。まずは術を身につけよ」
「はいっ!」
――六根清浄、急急如律令。
軽やかで空気が澄み渡るような女の声が、徐々に暮れていく空に響く。
黄昏、そして逢魔が時。
人の弱みや欲にうぞうぞとたかろうとしていた、通りすがりの小さなあやかしたちが、哀れにもがきながらその姿を消していく。
「ふくく」
ギーはそれらを横目で見止めて満足げに頷くと、懸命に術の練習をする沙夜を眺めながら濡れ縁に腰を下ろし、酒の入った盃を傾けた。
傍らでは、ルリが酌をする。
「よき陰陽師よな」
「我が主ですから」
ほろほろと酒を喉に流し込む鬼は、ただ黙って微笑んだ。
◇
白い狩衣姿の白光たちが、皇都のあらゆる場所に立っている。
物々しさをありがたがった皇都の民たちは、両手に食料や酒を持ち、我先にと捧げながら安全と五穀豊穣を願った。
十年以上ぶりに開催される大祭は、次代皇帝の即位に備えていると大々的に伝えられたことで、新たな時代の幕開けを感じさせ、希望に満ちている。
「白光の儀ゆえ、殿下は皇城内にて」
「……わかっている」
「黒姫が気になりますか」
「当然だろう」
天守閣の物見から外を眺め、そわそわしている魅侶玖の様子を見て、左大臣九条はにやついていた。
なにしろ、幼少時から皇帝にも女性にも「興味がない」と豪語していた皇子が、ひとりの女性に心を奪われているのを見ているのだから、正直言って愉快である。
「寵姫が寵妃になる日も近いですかね」
この調子で後継も早くできれば、と浮足立つ九条の心を、冷えた声の魅侶玖が制した。
「寵愛した覚えはないが」
「は?」
「周りが勝手に思っていることだ」
「はあ!? あれほど通っておいて!? ……ああでもそうか、なるほど腑に落ちたぞ……あの幼さはなるほど……そうであったか」
「おいこら」
「はあああ。え? 私はてっきり黒姫を皇后にするのだとばかり」
「俺の一存では決められんだろう。背負わせすぎる」
九条が、ぽかんと大口を開けた。
「……なんだその顔は」
「ああいえ。少なくとも、殿下の御心はお決まりであらせられる。それだけで九条は嬉しく存じますぞ」
「は? ……っ!!」
ぼん! と一瞬で赤く染まった頬に、さらに九条は追い打ちをかけた。
「ははあ! 今ようやく自覚されたと! この九条、いくらでも背中を押しますぞ!」
「うるさいだまれ」
「はっはっは! めでたきことかな!」
「だまれと言った」
いつの間にか物見の桟にとまっていた烏が一羽、「カアッ」と鳴いて飛び立つ。
「っしまった! 愚闇め」
この時の会話はのちのち、『迂闊な隠密』の口伝えによって、すべて沙夜へ筒抜けとなったらしい。
◇
皇都の四隅へ配備された、白狩衣の部隊から放たれる朗々とした文言が、耳心地の良い歌のようになって、晴れた青空を吹き抜けていく。
「東は扶桑・紫電に至り、西は虞淵・陽炎に至り、南は炎光・白光に至り、北は弱水・黒雨に至る。千城百国、精治万歳、万々歳」
皇雅軍四部隊が一堂に揃うのは滅多にない。
人々は、それぞれの方角に配備された部隊を眺めては拝んだり、鼓舞したりして回る。
主要な道には、風車や飴、団子を売る出店が軒を連ね、祭りの様相を呈している。
雑面越しに見える民の笑顔と、子どもたちの歓声。
空気が澄んでいく。力が満ちていく。
青く清浄な秋空と、真っ白な雲が見下ろす中で、沙夜は反閇をしながら、声の出る限り唱え続けた。
「千城百国、精治万歳、万々歳!」
その両手から自然と生まれ羽ばたいていくオオルリアゲハ蝶の大群が、青空を彩って――
「大祭、成せり!」
白光一位の宣言でもって、見事な結界が作られたのだった。




