第22話 ふたりの皇子、それぞれ
※不快で残酷な表現があります。苦手な方は、退避をお願いいたします。
「ぎゃああ!」
後宮にある豪奢な部屋で、清宮と龍樹は陽炎部隊の護衛を盾にしつつも、震えあがっていた。
守りを固めたものの、ねちょりぐちゅりと音を立てながら、容赦なく次々と目の前で喰われていく者どもを見て、恐怖で気が狂わんばかりになっている。
「やだ、やだ、やだああああああ!」
血と涙と糞尿まみれになった龍樹に、美麗な第二皇子の面影はどこにもない。
蜂起したはいいものの、なぜか後宮にはあやかしが溢れた――いよいよ青剣の力が失われたか。それとも『護国』に逆らったその代償か。
そのどちらでもあるだろうが、知る由もないままに、襲われている。
いかに皇雅の誇る術式部隊『陽炎』であろうと、大量のあやかしに抗う術は、単体では持っていない。全ては紫電の武力、白光の補助、そして黒雨の暗躍ありきであるのだから。
「なんとかしやれ! しりゃれ! ぎゃああああああああ!」
絶世の美貌もどこへやら。
叫ぶ清宮の、絢爛で重たい十二単の金糸が、薄暗い中ぎらぎらとしている。
それもまた、次々と喰われていく陽炎部隊の返り血でどす黒く染まり、しとどに湿り、動きを封じつつある。
脱ぎ捨てれば良いものを、栄華に追いすがるためかそれとも単に思いつかないだけなのか。ずりずりと引きずって鈍く逃げるのみだ。
「やだ、やだあああああ! だれぞ! だれぞおおおおおおおおおおおおお」
龍樹もまた、戦うなど微塵も頭に浮かばない。逃げるという発想もない。
ただただ誰かなんとかしろ、と泣き叫ぶのみである。
「あーあ。オイラもやだよーこんなの。はーあ。でもなー、沙夜のお願いだもんなあ」
――と。
ぶつくさ言いつつ、ばさりと大きな黒い翼をはためかせて突然その場に現れたのは、烏天狗の愚闇だ。
「うわぁ。きったねーから、お首元。失礼しまーす」
ぐい、と龍樹の首後ろの布を持ち、引きずって部屋の外の濡れ縁まで出るや、バサバサと雑に飛び立った。
ぽかんと口を開けてそれを見送る清宮が、ねろねろと黒い影に覆いかぶさられ「ぎや」と短い悲鳴を上げる。それを見ずに済んだのは、龍樹にとってきっと不幸中の幸いだったであろう。
「城まで運びますんで~」
どこかのほほんとした声を聞いて我に返った龍樹は、空中にも関わらずジタバタと暴れ始めた。
「ひ!? ぎゃあ! ぶぶぶぶ無礼なっ」
「ええ? んじゃ……手ぇ、離します?」
「ややややめろっ」
「へえへえ。うっかり離すと落ちて死にますからね。黙っててもらえます?」
「っひ、ぎゅ、ぐ」
「ハハ」
――あれでも魅侶玖は、弟のことを思っているんだよ。だから、助けてあげて。ね。
「こんなのでも、ねぇ……」
烏天狗の呟きは、皇城の空に消えた。
◇
「ギー。なぜここに連れてきた?」
離宮にある池を背にして、魅侶玖は眉間にしわを寄せる。
宙に向かって刀を正眼に構える傍らには、紫の狩衣を優雅に着こなす最強の鬼が、不思議な指印を組んで立っていた。驚くことに、「ボロン」と気を発するだけであやかしを滅している。魅侶玖は、その隣で剣を構えているだけで何もしていない。
「来臨の機が整ったと言っていたが……」
――ねちょり、ねちょり。
近づいてくるあやかしを滅しながら、ギーは「然り」としか言わない。
回廊や庭には、何人もの武装をした人々が倒れている。龍樹に呼応した陽炎部隊に襲撃を受けたふたりであったが、ことのごとくギーが蹴散らし、ここまでやってきた。
命までは取らなかったつもりが、
「ぐはぁ」
「ぎゃ」
悲鳴のする方へ顔を向ければ、あやかしがのしかかって喰らっている。
「……惨いな」
「同情は禁物ですよ、殿下」
「冥へ引きずられるというのだろう。分かっている」
ギーが口角を上げたのが、見ずとも気配で分かる。
――んで……
「? 何か言ったか?」
「ふくくく。やはりか」
「ギー?」
「聞こえたなら、応えるがよい」
「……わかった」
――呼んで……
魅侶玖は体の力を抜いて、刀をだらりと下ろした。すー、ふー、と丹田に力を入れて深く呼吸を繰り返す。
――呼んで……真名を……
青剣の眷属。その『真の名』を先代皇帝より賜ることが、継承の儀には盛り込まれている。
ギーがそれを魅侶玖へ与えることを決めたのは、三百年前と同じように『青剣を持つ素養』があるかどうかを確かめたからに他ならない。
魅侶玖には資格があり、その証拠に、声が聞こえている。
夕星の描いた儀が、今まさに成ろうとしているのだ。
ギーの胸の内に溢れるのは、安らぎか寂寥か。本人ですら、分からない。
「伯奇!」
魅侶玖の張りのある声が、曇天に轟いた。
「うん」
返事は、池の方から聞こえる。
振り返ると、赤い太鼓橋の上に人影がある。
白い髪に白く濁った目の、水干姿の少年だ。
いつかここで会ったな、確か名前はハクと言ったか……と魅侶玖が思い返していると、柔らかく微笑まれた。
「頑張ったね、魅侶玖」
「え……?」
特別なことは何もしていない。何も思い当たらない。
首を傾げる魅侶玖をにこにこと見つめながら、少年はふうわりと飛んで――物音ひとつさせず、ふたりの側に降り立った。その姿は、前に見た時よりも少し成長している。
「瑠璃玉の忠誠を得ること。それが僕を眷属とする条件だよ……まあ、代々皇帝の中には得られない人も当然いてさ。継承の儀で無理やりにってことも多かったけど。君は自分で得たから、すごいね」
「瑠璃玉の、忠誠?」
「沙夜は、君が国を良くすると心から信じている」
「っ!」
魅侶玖はたちまち目を見開き、息を呑んだ。
「けれど、継承の儀の前にそれを裏切ったら、僕も失う。心して」
「っ、絶対に裏切らない。誓う!」
「はは。良いけど。やっぱり危ういなあ」
「危うい、とは」
ハクの目が、細められた。
「きれいなままだと、穢されたら戻れないんだよ」
魅侶玖には、やはり想像もつかないことだった。
「さて。表に出ているのも疲れちゃうからさっさと……あ、来た来た」
回廊を走り抜け、こちらへ向かってくるのは、大きな黒い狼の背に乗った、青い小袖姿の女だ。黒髪をなびかせて、大きく手を振っている。
「みんな、無事っ!?」
ギーが、するりと指印を解いた。
あれほどうぞうぞと蠢いていたあやかしたちの姿は、気づけば全て消えている。
「ふくく……さぁいざいざ。迎えようか」




