第16話 悲しき姫と、覚醒
それからというもの、沙夜のいる夜宮を三日三晩襲ったのは大量の蛇たちである。
毒牙を見せつけるようにして、こぞってとぐろを巻いてシャーッと威嚇する様は、おぞましいの一言に尽きる。
沙夜は当然まともに見ることができず、玖狼の背に顔を埋めて耐えた。
それでも愚闇が対処する間のブシャーとかぐちょりとかいう音は、全く誤魔化しが効かず、しばらく食欲が湧かなかった。
明らかに後宮内がおかしいということが知れ渡り――次々と姫たちは、皇都にある自身の生家や親族の家屋敷に移り始めた。『やんごとなき家の事情』であれば家に戻ることができる、と言うのは、姫たちに与えられている正当な権利である。今や後宮に留まっているのは、清宮を含んでも数名しかいない、とすずが言っていた。
「ねぇ愚闇……わたし、後宮の外に出られないのかな?」
「無理っすね」
「なんで!?」
「外ったって、どこか行く当てでも?」
「うぐう!」
(まさか……わざと孤立させた?)
「玖狼。わたし、今、分かっちゃったんだけど」
「うぅん!?」
ぴるるん! と大きな黒い耳が揺れるのが動揺の証拠だ、と沙夜は確信した。
「これって、あの強面皇子の罠なんじゃない!? 餌食にされてる気がしてきた!」
「そ、そうか……?」
「だって今まで一日おきに通ってたのに全然来なくなったし! 文すら寄越さないもの!」
不自然に、連絡を絶っている気がしてならない。
「ギー様のことも全然聞かなくなったし! さてはふたりして、何か隠してるでしょ!?」
あえて聞かずとも「紫電が郊外であやかしを屠っている」「皇都でも百鬼夜行の前触れがあったが、陽炎部隊が術で殲滅させた」「白光の結界縄が、ようやく地方へ届き始めた」などと情報を持ってきてくれた愚闇が、ここ数日沈黙しているのだ。
何も言わないのは明らかに変だ、と沙夜は気づいた。
「ええっとですね」
「しゃべるな愚闇」
「ひゃいっ」
がう、と玖狼が噛みつくように止めたことで、確信に変わる。
「くーろー?」
「はは。われらがおるからには、心配無用だぞ沙夜」
「答えになってないし! でも肯定ってことだよね!」
くわ! と目を見開いてから、玖狼の背をポカポカ殴る。
「いだだ、沙夜、痛い」
言葉と裏腹に笑う黒狼は腹を見せ、そこに沙夜は遠慮なく顔をうずめる。
「……いちゃいちゃしてる……」
部屋の片隅で、隠密がひとり、拗ねた。
◇
答えは、次の日の夜に自ずとやって来た。
「お初にお目にかかる、夜宮殿」
艶やかな単姿の女が、沙夜の部屋の敷居の向こうで、両膝と両手を床に突いている。
年の頃は、沙夜より少し上ぐらい。大きな瞳が白い肌に映える。が、赤すぎる唇は、美しいと言うより異様である。
「え……と……どなたでしょうか」
「わらわを知らぬてか」
ギッと鋭く睨まれた沙夜を庇い、愚闇が対応する。
「桜宮殿が、何用か」
「無礼な! バケモノの隠密ごときが、わらわに話しかけるなどと!」
激高しカッと見開いたその目が、たちまち蛇の目に化けた。瞳孔が細い縦長で、周りは金色になっている。
おまけに彼女の周囲には黒い靄がとめどもなく発生し、えもいわれぬ匂いを放っている。まるで何かが腐ったような、それでいて甘い匂いだ。
「なにか、御用でしょうか?」
無理やりに気を奮い立たせた沙夜が、改めて声を掛ける。
「ふん。卑しい平民の分際で両殿下の寵愛を受けるなどと! どんな汚い手を使った!」
シャーッと口を大きく開け、ちろちろと長い舌を見せつけてくる様は、人間離れしていて恐ろしい。
玖狼が、物悲しそうに言う。
「どこぞの高貴な姫だったろうに、無惨なことだなあ。一体誰だ、甘言を用いてそなたをそのようなものにしたのは」
「うるさい! 問うておるのは、わらわの方じゃ!」
シャー! と今度は単の裾から蛇の尾がのぞき、ガラガラと音を立てて左右に細かく揺れた。
玖狼も愚闇も一層警戒する中、沙夜は真正面から正直な心で接する。
「桜宮殿。わたくしは、誰の寵愛も受けていないです」
力のある澄んだ声が、桜宮にはまた憎く聞こえた。
「そのように、誤魔化すなどと!」
単の襟元から、ずるりと出てくるのは蛇の体である。顔は桜宮そのままであるのが、余計に恐ろしく醜い。
玖狼は犬歯を見せつけるように唸り、愚闇はいつでも斬れるよう刀を構えた。
「許さぬ……許さぬぞ……わらわは、わらわはっ」
「ああ、なんてひどい……」
沙夜はそれを見て、両目からとめどもなく涙を流し始めた。
離宮であやかしを消した時のように、両眼が瑠璃色に光っている。
「桜宮殿……なぜそのようなお姿に……」
「だまれっ!」
――ガチインッ。ギリリリ……
シャーッと襲い掛かる毒牙を即座に防いだ愚闇の忍刀は、彼女の口の端にギリギリと食い込んでいる。
攻撃を押しとどめているに過ぎないその拮抗を保ちつつ、愚闇は叫ぶ。
「さがれっ!」
だが沙夜は、桜宮に近づいた。強い信念を持って。
「いやだ! この人を! 助けたい!」
突然、目も眩む程の強く青い光が、部屋を満たした。
「ぐ」
「!?」
「やれやれ。まこと恐ろしき女よな、夕星よ……そなたの娘に託した力が、今覚醒するぞ」
(沙夜……さよ……その胸の内に託した『瑠璃玉』は浄化の力である。なにもかも暴き清める、まこと強いものだ。それでも、使うか?)
(あなたは?)
(そなたの母である。代々我が一族に引き継がれる力を譲るには、覚悟がいるぞ)
(覚悟……)
(この先、厳しい道を行かねばならぬ。バケモノと戦い続ける、修羅の道ぞ)
(修羅でも。目の前の人を助けられるのなら。行きます)
(ふ。我が娘よな……覚悟は受け取った。継承を認めよう。ただし、使い方を誤るな。誤ったが最後、肉体も魂も失うぞ)
(はい)
(ならば、唱えよ)
カッ! と目を見開いた沙夜は体の前で合掌し、深く息を吸ったかと思うと一息に唱えた。
「一切消災呪!」
視界が青く潰されている中、響いた沙夜の凛とした声に、玖狼も愚闇も戦慄した。
ありとあらゆるあやかしを屠るという、最強の陰陽師・白光一位である夕星、そのものであったから。