第1話 皇帝、崩御す
「皇帝陛下が、身罷られたっ……!」
寝所から震えながら出てきたのは、左大臣の九条夢之進。
権謀術数渦巻く皇城において、差配も政略も雑事もこなす万能な『皇帝の懐刀』である。齢四十を超え、頭髪に白いものが交じっているものの、今でも弓を射るため筋力は衰えることなく、公家出身の勢力とは一線を画している。
その黒い束帯姿の後ろを歩くは、皇帝の忘れ形見である、ふたりの皇子であった。
「慌てるな、夢」
堂々たる体躯を誇る、武人然とした第一皇子が眉一つ動かさず言ったかと思えば、その隣を歩く華奢で女性と見紛うほどの美貌を誇る第二皇子は、眉根を寄せる。
「兄者は父上が亡くなったとて、その冷徹さ。人の心がないのであろう?」
ふたりは腹違いで、水と油と揶揄されている。
性格も考えも異なり、決して交わらない。
「……」
「おおこわや、こわや。その鋭い睨み。恐ろしいったらない」
第一皇子の視線を受け、第二皇子はわざとらしく「よよよ」と言いながら、見事な刺繍の入った紅花色の束帯の袖で顔を隠す。
紅花は、この国において皇族しか身に着けることのできない色だ。第二皇子は「好き好んで着ている」と公言しているが、場に相応しいかと言われればそうではない。その証拠に、第一皇子は黒い無地の束帯姿だ。
「こんな時に、そんな派手な色を着る方が恐ろしいだろう」
「こんな時だからこそ、皇族としての権威は必要でしょう」
そんなふたりの相容れないやりとりは、九条にとって日常茶飯事である。が、今はそれに構う余裕はないとばかりに、無言の早歩きをしている。
長い廊下を、皇帝の寝所のある後宮主殿から皇城へと向かっていると、脇から泡を食った様子の男が走り出て来た。
紺色の直衣姿である彼は、ぶつかる寸前でなんとか足を止め、慌てて深く烏帽子の頭を垂れる。
この皇雅国においては、階級により着る衣服の色が決まっており、紺色の直衣は皇帝・左大臣右大臣、神祇官太政官と数えると上から四番目。『六大官』と呼ばれる地位にある、式部・治部・民部・刑部・大蔵・宮内のうち、彼は大蔵官であった。
「若君方、九条殿。悪い報せにござりまする」
九条は片眉を歪めるやすぐに振り向き、二人の皇子が頷くのを確かめてから短く発する。
「申せ」
促された大蔵官は、ごきゅんと大きく喉仏を上下させてから、声音は静かに、言葉は強く答えた。
「国宝青剣が、宝物殿に見当たらないのでございまするっ!」
「な」
「なんだと!」
「そっんな」
九条は思わず天を仰ぎ、皇子ふたりも絶句する。
皇帝の危篤を察し、念のため様子を見に行き慌てて伝えに来たのだと主張する彼を前に、しばらく誰も口を開けない。
宝物殿入口はもちろんのこと、剣を祀ってある祭壇にも厳重な封印が施されており、持ち出すことは不可能である。そしてそのことは、ある階級以上の者なら誰でも知っていた。
つまり、剣が消えるなど、有り得ないのである。
「……それが真なら、皇雅国の一大事である!」
わなわなと震える九条は、気が動転しているのか、二の句が継げずに棒立ちのままだ。
たまらず第一皇子が、地を這うような声を絞り出す。
「即刻箝口令を敷き、黒雨に探させろ」
第二皇子はそれを、呆れ声で牽制する。
「兄者には、そんな指示を出す権限がおありでしたか?」
「今はそのようなことを申している場合ではなかろう」
途端にいがみ合うふたりを、左大臣は短く嘆息してから宥めた。
ふたりともようやく二十歳を数えるぐらいの若者同士。血気盛んなのは良いことかもしれないが、拘らう時間はない。
「殿下。左大臣九条の権にて事に当たりますれば」
「わかった」
「ねぇ夢。右大臣もちゃんと呼んで話し合ってね」
「……はっ」
皇太子すら決まっていない中での、皇帝の突然の崩御。
さらには、国を支える国宝の紛失。
九条は、近くを歩いていた役人全員に聞こえるよう、繰り返し叫ぶ。
「紫電、陽炎を皇都並びに皇都近郊に緊急配備! 白光に結界縄の号令を!」
皇雅国の軍は四隊に分かれており、それぞれ剣や徒手の武術に優れた紫電、術や式で攻撃と補助を行う陽炎、結界や封印を行う白光、そして隠密の黒雨だ。
素質と推薦があり、難易度の高い試験を突破した選りすぐりだけが入隊できる。
絶対的な武力であるがゆえに、軍を掌握することが国を統べることと同義に近いため、その指揮は皇帝と左大臣に限られていた。
「青剣が失われたのが事実ならっ」
ダン! ダン! と九条が床を踏み抜く勢いで足音を鳴らす。動揺を追いやるためか。心を奮い立たすためか。
「結界は、もうないっ……国中に『あやかし』が放たれる! 国が、滅びるぞ!」
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