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忘れられない君へ

作者: 笈川瑠々

虐待、生徒と教師の関係、精神病に関する記述があります。ご容赦ください。

「今日も私は幸せだよ。」

そう言って女は涙を流す。


今でも覚えている。


私は解離性障害を患っている。解離性障害にもいろいろあるが私は解離性健忘症といってよく「嫌な記憶に蓋をして自己防衛をする」と表現されるものだ。私の記憶は高校入学以前、中学生までの記憶のほとんどが存在しない。どこで生まれてどんな名前で何が好きなのか、目が覚めた瞬間に何も覚えていなかった。幸いにも両親が世話を見てくれた。私は私の人生をまるで小説を読んでいるよう、映画を見ているような感覚で覚えていった。

ただ、一つだけ、忘れられない記憶があった。


私は家族に暴力を受けていたらしい。正しくは母親とその家族だ。父親は単身赴任で家におらずほとんど状況を知らなかった。母親は育児放棄、その家族である祖母、祖父、叔父は暴力と暴言がひどかったらしい。なにが原因かは何もわからない。しかし、生まれたころから疎まれていた。

地域に顔が利く祖父母だったため学校でも気を張っていた。しかし、少し地元から離れた私の通っていた塾には私の祖父母や家柄を知る人はいない。私の居場所は塾だけだった。

毎日塾に行って夜の10時まで自習勉強をする。それが日課だった。

「お前、この傷なんだ。」

ふいに男性教師から声をかけられた。珍しく私が気を抜いて腕まくりをしてしまっていた。腕には痣も自傷の傷もある。

―しまった―

しかし中学生の私は言い訳なんかできず先生にだけ白状した。

次の日から先生は私に「今日は?」と話しかけてくるようになった。

今まで誰にも言えなかったことから先生に感情のすべてを吐き出して個室で泣いた。

そのうち塾内で男性教師と女子生徒が個人的な会話をしているとして先生は転勤になってしまった。

先生が私に最後に言った言葉を私は忘れられない。

「20歳になったら一緒に酒飲もう。だから、それまで頑張れ。」

私の連絡先だけ渡して先生は転勤になった塾も退職し、まったく連絡も居場所もわからなくなってしまった。

ずっとその言葉を糧にどんなにつらくても死にたいと思っても留まれた。

先生は未だ連絡が来ない。死んでいるのか、私のことなど忘れてしまったのか、それすらもわからない。

ただ今日も私は先生にもらったネクタイピンにを握りしめ、どんなにつらい日であっても毎日声に出して言う。

「私は今日も幸せだよ。」

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