歌誌『帆(han)』、ハイティーン歌集募集!!
歌誌『帆(han)』発売、ハイティーン歌集募集です!! 寺山修司門下の短歌世界に入りませんか?
'22年7月、歌誌『帆(han)』をだしました。是非多くのふとに読んで欲しいです。
序──若い晩年
中田満帆
寺山修司が『祖国喪失』を詠んでから、半世紀と12年もが経っている。かれが《青春は質問、そして回答は歴史だ》と書いてから、半世紀と4年もが経っている。'22年の黝い街を漂う疫病や、隣国のきな臭さのなかで、わたしはふと、ひとはみな若い晩年を生きているのではないかとおもう。「若い晩年」──過去から現在に至る道程を見失い、回想、あるいは虚構のなかにのみ現実を見いだそうとする寂しい試みに溺れてしまったように感じるのだ。もちろん、これはわたしひとりのおもいであって、それをこの場で一般化するべきではないだろう。寺山は《過去は他国》といい、いっぽうで《人生とは、一つの劇的エポックを核とした別の人生の集積体である》とも書いている。わたしはきっと核を見失い、他国へと漂流しているのだろう。ふり返っている場合ではない。そうつよくおもう。なぜなら、《うしろには夢はない》からだ。
短歌という表現に出会ってから、しばらくは自身の歌をインチキとおもって憚らなかった。文法や語法のまちがいに絶えず、怯えていたし、じぶんにとって本流の表現とはおもえなかったからだ。それでも第1歌集『星蝕詠嘆集』を上梓したあとは腹を決めて歌をつくっている。
短歌の律はものによっては陶酔を促し、ものによってはただ歯切れのわるさだけで終わってしまう。表現によっては衒学的なだけで終わり、日常描写や、キャッチコピーもどきで終わってしまう。わたしは遅ればせながら、オーセンティックで、過去と現在を繋ぐ、接ぎ穂としての歌を集めてみようとおもった。それがこの歌誌である。果たせるかな、わたしはほとんどやけっぱちに歌詠みたちへ声をかけ、ここに寄稿して頂いた。
わたしがいま望むのは胸が痛くなるほどに詠み手の内奥が剥きだしになった歌、孤立を超えてゆく愉楽を伴った歌である。静寂を突き破って聴くならば、そんな歌こそが必要におもわれるからだ。
永遠に生きるよすがも見当たらずみどりの鳥の羽がひらめく
けっきょく、わたしがいいたいのは、たったひとつ、「我慢はよせ、野心を見せろ」ということだ。それが理論などというものを持てないわたしの唯一の意志である。ひとびとの孤愁に訴える歌を詠みつづけていきたいものだ。そして短歌に於ける野獣派を確立したい。永遠のマイナーとして。若い晩年を生きる、愚者の痴性として。
★
収録作
みどりいろの窓/UーREI(4)
夜歩くただ歩く/うたたね 宥樹(8)
長い腕のなかのおとぎばなし/奏多めぐみ(9)
流れ/朝(14)
星色の産毛/手塚雄呂血(18)
夢が断たれて/皆川健二(20)
蜜月関係/鷹枕可(24)
無題/柳煙(33)
〃/きのゆきこまち(36)
いつまでも遊んでいる/帆場蔵人(38)
般若的慟哭/安西大樹(40)
たましひなりき/帛門臣昴(43)
花を剪る/中田満帆(46)
歌人素描/花島大輔(52)
甘ったれたヨハネたちへ/犬飼うろ子(63)
内なる鬼を放つ〜《水野しず》をめぐって/うたたね 宥樹(64)
邂逅とはかつての傷口をひとつこじ開ける簡単な作業/帆場蔵人(68)
作品雑感/井上橙子(69)
ライトヴァースは歌を見失った/中田満帆(73)
自由欄○腐敗性政治的猥褻物/下山陽造(77)
短歌について、作品について、歌誌の印象について○参加者座談(81)
参加者来歴(102)
編輯後記(104)
告知○ハイティーン歌集・募集(105)
★
跋文
ようやく初号がでる。はじめて歌誌の話をもらってから、もう2年もが経っていた。まだひとつの流派としての顔はないが、多くの出会いを産んだことはたしかだ。まだまだ産毛のような出会いだが。
かつてわたしは、『新アララギ』で短歌を発表していた。そして写実一筋の流派に厭気が差してでていった。次回からは鷹枕可氏の提案による、「詩人による短歌」、そして「ハイティーン短歌」の募集をはじめる。わたしがかつて味わったような厭気を感じさせないつくりに努めたい。
個人的に今回の収穫は朝氏、鷹枕可氏の作品、花島大輔氏、犬飼うろ子氏の批評だった。もちろん、裏方で尽力してくださった三浦果実氏との関係もそうだ。短歌による反時代的な声をこれからもっと拾っていきたいとおもう。昨今の時代と添い寝をするような歌には倦いてしまった。定型に収めるだけでは詩文学とはいえない。短歌は孤独の文学なのだ。
この度は参加してくださった諸氏にただただ感謝あるのみだ。しばらくはこの歌誌をつづける。そしてより多くの孤絶した表現者と繋がっていきたいとおもう。なにより、わたし自身が孤絶のなかに存って、自己韜晦にまみれている。それを突き破って、あまりあるほどの熱量をだしたい。たった三十一文字の文学のなかには、その可能性がある。育ちすぎた梨の木が反逆を始めるように、わたしは若い晩年のなかで歌を詠む。そしてそれが自然の法則であるかのようにひとと街を繋げるのを待っている。
しかし、今回はやや自由や多様性に欠けていたようにおもう。そもそも寄稿者集めが非常に場当たり的で、綿密ではなかった。本来の趣旨とはちがう歌人もいれば、その趣旨に疑問を抱く歌人もいるのである。こういった問題はいずれ解消されるべきだが、今回はどうか赦して欲しい。わたしは歌人との繋がりに弱い。そんな男が短歌史に報いることができるだろうか。いまはまだわからない。叙述と錯乱のなかを歩き、いまはできることをやるだけだ。来春には第2号をだしたい。これは儚い欲望だろうか。
ともかく、この歌誌『帆』が頒布され、どれほどの戦果をあげるのかを見とどけようとおもっている。
'22年、7月 主宰人
販売ページ
https://mitzho84.hatenablog.com/entry/2022/07/14/004355
https://www.seichoku.com/item/DS2003577
魂を売り飛ばせ