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【完結】侯爵家の婚約者  作者: やまだ ごんた


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薬師の罠

お読みいただきありがとうございます

 貧民街に到着したカインは、その様変わりした風景に驚いた。

 倒壊し、荒廃した街並みはそのままだが、明らかに危険とわかる瓦礫や建物は撤去され、いくつかの建物は修復されて人が住めるようになっていた。

 見かける人々も以前より身綺麗になっているようにも見える。

「これは驚きましたね。隊長」

 ダーシー卿も同じ意見らしい。

「これはカイン様――ご無沙汰しております」

 イレリアの面倒をよく見てくれていた老人のマルコが、カインに気付くと深々と頭を下げた。

 ダーシー卿が老人の無礼を罰しようとしたが、カインはそれを手で制した。

「どなたかが我々に支援の手を差し伸べてくださりまして」

 カイン達の表情から察したマルコ老人は、自分達の暮らしぶりの変わりようを説明してくれた。

 その内容はダーシー卿が聞いた噂と大きく違わないものの、生活の様相は大きく変わっていたようだった。

 カインはイレリアを邸宅に連れ帰ってから、貧民街への支援を徐々に蔑ろにしていた自分を恥じ、その上食べ物さえ与えておけばいいと思っていた自分の浅はかさを後悔した。

「それは違いますぞ、カイン様。カイン様の分け与えてくださった食べ物のおかげで我々は生きる事ができたのです。まずは生きる事――これらのご支援は全て、カイン様のご慈悲の礎があってこそですのじゃ」

 目に涙を浮かべ、鞍上からとはいえ頭を下げるカインに、マルコ老人は優しく言った。

「それに、我々に対して侮蔑の眼差しではなく、同じ人間として扱ってくださったのは、貴族も平民も含めてカイン様だけです。今も踏み潰してもその血で穢れるだけだと忌み嫌われる私共に、そうやって頭を下げてくださる。――そんな方はこの世のどこを探してもカイン様だけですじゃよ」

 老人の言葉はカインの胸にじわりと深く浸透した。イレリアがおらねば見向きもしなかっただろう事は、カインでなくとも誰しもがわかっている。だが、イレリアへの気持ちは操られたものだとしても、少なくとも何かを救う事は出来たのだと、カインは慰められた気持ちになった。

「ありがとう。マルコ――エスクード侯爵家はこの町の者達への恩を忘れる事はないだろう」

 カインはそう言うと、呆気にとられるダーシー卿を連れて薬屋へと草竜を走らせると、その戸を蹴破った。

 中では薬師が青白い顔に愉悦の笑みを浮かべて立っていた。

 カインは全ての黒幕はこの男だと確信すると、頭に血が昇るのが分かった。

「隊長!魔法陣が――」

 ダーシー卿の制止は間髪で遅かった。

 カインが足を踏み入れたその先に、目立たぬよう床と同色で描かれた魔法陣がカインの魔力に反応し、カインを捉えるとカインの体を引き裂くように弾けた。

 カインの全身は自分の魔力で何度も斬りつけられ、辺りは見る間に血の海と化し、カインは悲鳴を上げる事もできず、ただ自分の体が傷つけられては塞がり、また傷つけられる耐え難い苦痛を感じるしかなかった。

「どうですか?自分の魔力で引き裂かれる痛みは格別でしょう?――ああ、ご安心を。すぐ死なないように治癒魔法も同時に発動するよう仕掛けています。傷つく端から癒されますので何度でも苦痛を味わう事ができるでしょう。心ゆく迄ご自身の魔力をご堪能下さい」

 薬師はそう言い残すとあらかじめ壊しておいたのだろう、建物の裏に空いた穴から姿を消し去った。

「隊長!」

 ダーシー卿は自分の魔力をジルダに飛ばすと、残りの魔力を魔法陣に力一杯ぶつけてカインを救い出し、その場でカインを庇うよう倒れ込んで意識を失った。


 心地よい温かさでダーシー卿が目を覚ますと、ジルダが自分の手を握り、魔力を送り込んでいた。

 カインを救い出すときに魔力を全て使い切ったと思ったが、いくばくかの魔力が残っていたようだ。それでもジルダが駆け付けた時には二人とも瀕死の状態だった。

 特にカインは、体中に裂傷を負い、かなりの血液を失っており命が危ぶまれていると、ジルダが青い顔でダーシー卿に告げた。

「すぐに魔力通知を――」

「まだ魔力が定着していません。今魔力を飛ばすと今度こそ死にます」

 ジルダはダーシー卿に強い口調で言い切った。

 カインの事が心配だろうに、自分に魔力を与える事を優先してくれたのだと、ダーシー卿はすぐに理解した。

 そして、体を起すと周囲を見回してカインがいない事に気付いた。

「カイン様は私の顔見知りの錬金術師どのが応急処置を施した後、駐屯所の治癒師の元へお運びいただきました」

「――助かる見込みは?」

「……わかりません。ですがカイン様は強いお方です」

 ジルダの声は心なしか震えているようだった。

 ダーシー卿は周囲の血液の乾燥具合から、魔力を飛ばして数分でジルダが駆け付けたと察した。

「近くにおられたのですか?」

 シトロン公女ともあろう人が、貧民街にいたと言う事か。何のために?

 ダーシー卿は以前カインが毒を受けた時も、魔力を飛ばしてすぐにジルダが駆け付けた事を思い出した。

 シトロン伯爵邸は貴族街の端に位置する場所にあり、首都の最も北側にある。第5騎士隊の駐屯所は城門に近いところに設置されており、貧民街とは数分の距離にある。シトロン伯爵邸からはどちらとも、どれだけ急いでも半刻以上かかる距離だ。

 しかし、ジルダはカインの2度の危機にいずれも数分以内に駆け付けている。

 これは偶然と言えるのだろうか。

 ダーシー卿の目がジルダを捉えて離さなかった。

 ジルダはその視線に疑念の色を濃く感じ、溜息をついた。

「それよりも、今はカイン様のご容態ですわ。お話はその後で――」

 ジルダの言葉にダーシー卿は自分を取り戻した。そして、なんとか体が動くことを確認すると立ち上がると、草竜にしがみついて王宮へと急いだ。

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