日記1
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図書室の一角に据えられた座り心地のいいソファに座り、カインとイレリアは日記を一枚一枚めくっていた。
日記は正しく侯爵夫人の書き残したものだった。内容を読むまでもなく、その綴られた文字でカインがすぐに理解した。
子供の頃、領地にいる父に送られた手紙や、祝い事の度に自分に贈られたカードに描かれた文字が、今カイン達が手にしている本の中にあったのだ。
イレリアは10年以上経ってもまだ、母の筆跡を覚えているカインに胸が痛んだ。
この人はきっとずっと、母親を憎み、恨み、愛しているのだ――。
日記は侯爵と結婚する前から綴られた。
美しい文字の中に、17歳の誕生月にデビュタントをしたこと。求婚状が殺到したが、全て父が処分してしまった事が可笑しそうに書かれていた。
アルティシアの美しさはすぐさま社交界の注目の的となるほどだった。輝く金色の髪に、空の青さのような青い瞳、バラ色の頬は小さな可憐な唇を見事に引き立たせた。17歳のアルティシアは全てが珍しく、そして楽しくてたまらなかった。
一方、当時は小麦が豊作で、貯蔵庫がいっぱいになっても尚余るほどで、小麦の値段は暴落の一途を辿り、農民たちは困り果てていた。
そこで、値下がりして行き場のない国中の小麦を前侯爵が買い取り、海の向こうの砂漠の国に売りつける事に成功し、莫大な財を成したと思われたのだが、砂漠の国からの帰路。船乗りの一人が事もあろうか魔力暴走を起し、交易品と小麦の代価を載せたまま沈んでしまった。
残されたのは莫大な借金だけだった。
幸い、領地の差し押さえは免れたものの、あらゆる奢侈品は売却され、絹のドレスや宝石に囲まれてお姫様のように暮らしていたアルティシアは、日々貧しくなる家の様子に怯えていた。
最後に手元に残ったのは、片手程の普段着用のドレスと、王宮に上がる際の礼服、申し訳程度の装飾品だけだった。
これから社交界で注目されようとしていた17歳の少女には耐え難い事だった。
しかし、7つ下の弟のリオンは漸く基礎学習が終わり跡取りとして専門的な学習を始めようとしていて、これから教育にも金のかかる時期だ。アルティシアはわがままを言うでもなく、じっと我慢しながら父の領地の運営の手伝いを覚えようと頑張っていた。
18歳になった春の月に、アバルト侯爵家はいよいよ困窮を迎えることになった。
王家への税はもちろん、街道の整備も領主の義務だった。これには莫大な費用が掛かる。
貯蔵庫の小麦を売り払っても到底賄える金額ではなかった。
そんな時、侯爵家へ一つの提案が上がった。
40半ばの豪商が侯爵家への支援の代わりに、アルティシアを正妻に迎えたいと言ってきたのだ。
貴族が裕福な平民の元へ嫁いだ例はさほど珍しい事ではなかった。しかし、侯爵家ほどの身分の高い貴族から平民に嫁ぐことは有り得ない事だった。そんな条件を承諾しようものなら、侯爵家は貴族社会から爪弾きにされる事だろう。
しかし、アバルト侯爵家には選択肢はなかった。
数年前に即位した国王陛下は昨年王妃を迎えてしまったし、王国に5つある公爵家も年の釣り合う独身男性がおらず、数多来ていた求婚状は侯爵家の惨状を知るや取り消しを求める書状が殺到していた。
唯一隣の領地の息子が独身で、アルティシアより4つほど年上であったが、先の戦争で貴族が力をつける事を危惧した先代同士が、力のある貴族同士が集まって新たな勢力となるのを避けるため、一切の交流を断とうという盟約を布いた経緯から頼ることはできなかった。
豪商はとても女好きで、この年まで独身だったのは好きなだけ女遊びをするためだと豪語するほどだったのだが、以前招待された夜会で美しいアルティシアを見て一目惚れだとのたまった。
周知の事実だが豪商には何人もの私生児がおり、その中にはアルティシアと同じ年頃の娘もいたと言う。
後に引けない状況になり、侯爵家もアルティシアも豪商の元に嫁ぐしかないのかと腹を括ったその時、手を差し出してくれたのは隣の領地でありながら、盟約の制限により一切交流のなかったエスクード侯爵家だった。
同じ侯爵家として、この惨状を見過ごすことはできないと、金銭的な支援を申し出てくれた。
アバルト侯爵はどうせ娘を差し出すのならと、支援の礼にアルティシアをエスクード公子に差し出すことにした。
力を失ったアバルト侯爵家は、こうして再起することができ、アバルト侯爵はエスクード侯爵家に生涯の友諠を誓った。
あまりにもできすぎた事件を不思議に思ったエスクード侯爵家が、事件を捜査しなおしたところ、恐ろしい事実が判明したのだ。
アルティシアの美しさを耳にした公国の伯爵家が、アルティシアを欲していた。この伯爵は豪商の兄で、50を過ぎたばかりだが、弟に負けず劣らずの好事家で嗜虐趣味で有名な男だった。
もちろん、正妻は置いているが、妾を多数囲い残酷な仕打ちをしては苦しむ姿を見て絶頂に達するような人非人だ。そんな男がアルティシアを求めたところで、国内の貴族でも断られるだろうに、ましてや属国のようなものである公国に嫁ぐなど、あり得ないことだ。
その為、伯爵は弟を使ってアルティシアを手に入れることにした。
侯爵の取引の情報を掴むと、砂漠の国で船を襲い積み荷を奪うと、船乗りの一人に魔力暴走を引き起こすスクロールを持たせて船を海洋に出航させた。
こうして侯爵家を窮地に陥れ、アルティシアを手に入れようとしたのだ。
平民にさえ落としてしまえば、夫の商いに同行するという理由で公国に連れてくることなど造作もない事だ。
だが、エスクード侯爵家が支援の手を差し出した事で、全てが無駄に終わった上、自らの悪事を暴かれた伯爵と豪商は私財を全て没収の上投獄。磔の刑に処され、その首を王国に差し出すことで、この件は公国の思惑ではなく、伯爵家単体の犯行だったと陳謝したのだ。
これにより、国王もエスクード侯爵家とアバルト侯爵家が婚姻によって同盟関係になる事を認めざるを得なかった。
書いてる途中、何度もアルティシアとイレリアを書き間違えてしまいました。
もし日記にイレリアが出てきたら9割はアルティシアの間違いです、
ごめんなさい




