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【完結】侯爵家の婚約者  作者: やまだ ごんた


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お読みいただきありがとうございます

 翌日もイレリアはどこぞの伯爵家の茶会から帰宅すると、準備を済ませてカインの訪問を待った。

 カインは今朝早く仕事に行ったと侍従から報告を受けたが、仕事に行けるのなら体調は回復したのだろう。今夜こそは部屋を訪ねて来るに違いない。仕事で1日でも外泊した次の日は、カインは寂しかったと何度も言って、夜明け近くまで激しくイレリアを求めるのだ。今日もそうに違いない――イレリアの頬は期待で紅潮していた。

 その姿を見た女中は、あまりの美しさに仕事の手を止めて見入るほどだった。

「メイ――カインはまだ来ないのかしら」

 イレリアは優しい声で女中に尋ねた。

 今日は機嫌がいいらしい。メイと呼ばれた女中は安心して「まだお坊ちゃまからお知らせはありません」と頭を下げた。

「本日は魔力吸収の日ですし、お坊ちゃまもお帰りが遅かったようですので、もう少しお待ちいただく事になるかと」

 メイは恐る恐る頭を下げた。

 メイが配属される時、屋敷の使用人達から大変羨ましがられたが、配属されてみるとその認識は一変した。

 前任の女中は、イレリアの事を優しく、謙虚で控えめな性格で女中にも丁寧に接する方だと、イレリアを崇めるように褒め称えていた。

 しかし、侯爵がイレリアの後見を発表した時に、元々侯爵付きだった前任者は首都に冬の間滞在する侯爵の元に戻され、後任に客間女中として働いていたメイが指名されたのだ。

 客間女中は見目の良い者が選ばれることが多く、メイも例にもれず、端正な容姿をしていて、侯爵家に訪問する貴族をもてなすことが多かった。また、メイの仕事ぶりは丁寧で、気配りも細やかだった為指名されたのだ。

 人事は女中を取りまとめる家政婦が行っていたため、イレリアは知る由もなく、カインがつけた高級女中ではなく、取るに足らない平民出身の女中を付けられたと勘違いをしていた。

 メイもまた、そのようなイレリアの内心は知る由もなく、挨拶をした時の冷ややかな目を思い出すと未だに背中が冷たくなる。

 前任者が天使と崇めたその人は、メイにとっては気分屋で恐ろしい人だった。

 侍女や侍従など、他の使用人がいる場ではいつも微笑みを絶やさず、穏やかな物腰だが、メイしかいない時の態度はそれはもう冷たいものだった。と言って、暴力を振るわれたり、理不尽な事を言って怒るのではなく、気分の起伏もほかの令嬢と比べても穏やかな方だと思うのだが、イレリアが怒りをぶつける時の空気がメイにはとても恐ろしかったのだ。

「ジルダ様が――そう」

 冷たい声がイレリアの美しい唇から漏れ出たが、それきりだった。

 その日もまた、カインはイレリアの寝室に来ることはなかった。


 春の月から夏の月に替わろうかという昼下がり。イレリアはアバルト侯爵家の昼食会に招待されていた。

 エスコートの礼をしたいと、従者を通じて令状を出したところ、今頃になってアバルト侯爵家から招待状が届いたのだ。

 アバルト侯爵邸に向かう獣車でイレリアはぼんやりと窓の外を眺めていた。

 あれからカインとはお茶や食事は共にする機会は何度もあったものの、寝室を共にしてはいない。

 イレリアといる時のカインは今までと変わらず、寝室に来れない理由についても「これからの僕とイレリアの関係を考えての事だ」と優しく囁くように話してくれた。

 イレリアに入れ込みすぎたあまり、仕事中もイレリアの事を考えていたせいで失敗したのだ。その為、反省を込めてしばらくは仕事に集中したいのだと言うと、カインはイレリアに軽く口付けをした。

 その日はそれで終わりだった。

 イレリアはカインの態度に少し違和感を持ったものの、仕事のせいなら仕方ないと納得する事にした。

 イレリアが物思いに耽っている間に、獣車はアバルト侯爵家に到着した。

 御者がキャビンの扉を開け、イレリアの手を取って降りるのを手助けすると、イレリアは「ありがとう」と微笑んで礼を言った。

 今日の獣車はアバルト侯爵家から寄越された客用の車だったのだが、イレリアは殊更快適に過ごすことができた。

 アバルト侯爵邸では侯爵夫人とロメオが揃って出迎えてくれた。

「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」

 イレリアが膝を曲げて深く礼をするのを見て、ロメオは軽く眉根を寄せた。

 随分と上達して不自然さがなくなり、優雅に見える。――だが、どこかで見覚えがあるような。

「お越しいただけて光栄ですわ。社交界ではあなたを讃える話題でいっぱいですのよ」

 侯爵夫人は朗らかに笑うと、ロメオにイレリアのエスコートを任せダイニングに案内した。

 ダイニングには既に到着していた招待客がそれぞれパートナーと着席しており、イレリアだけが一人で来ていた事に気が付いた。

 ――招待状には同伴者となんて書かれていなかったわ。

 正確にはイレリアは難しい文章はまだ読めない為、従者が読み上げるのを聞いていたのだが、従者が忘れていたのだろうか。

 ロメオの腕に回した手に思わず力が入ったが、ロメオがその手をそっと包み、イレリアは驚いてロメオの顔を見上げた。

「あなたのパートナーは僕だよ。母のいたずらだ。付き合ってくれないか」

 イレリアの心の内を察したのか、ロメオが小声でイレリアに教えた。その顔はどことなくカインにも似ていて、イレリアは急に胸が高鳴るのが分かった。

 イレリアとロメオが席に着くと、最後の参加者だったようで、昼食会は始まった。

 いつもの茶会とは違い、男性も参加する席はイレリアには初めてで、いつものようなゴシップやファッションと言った話ではなく、政治や経済の話が所々に飛び交い、イレリアは理解が追い付かず、ただ微笑みを浮かべて皆の話に頷くだけで、殆どは隣に座っているロメオが受け答えをしていた。

 イレリアはその姿を見て、カインと違う何かを感じ、頬が赤くなるのが分かった。

 食事も終盤に差し掛かり、果物やケーキなどの甘味が皿に取り分けられた頃。

「そういえばご存知?最近貧民街に支援を行っている篤志家がいるという噂」

 口を開いたのは以前茶会に招待されたフィッツバーグ子爵夫人だった。


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