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【完結】侯爵家の婚約者  作者: やまだ ごんた


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春の月

お読みいただきありがとうございます

 春の月はカインが生まれた月であり、7歳になる貴族の子供たちが王宮へ謁見に上がると同時に、首都での社交シーズンの幕開けでもあった。

 エスクード侯爵家ではカインの成人の祝いの準備で慌ただしかった。

 この成人の儀によってカインはエスクード侯爵家の正式な後継者と名乗りをあげ、貴族社会の一員となる。

 首都の貴族達はカインの成人の祝いで、彼がだれをエスコートするのか噂していた。

 当然、婚約者のジルダだろう――いや、侯爵家が後見をしている娘の披露目にはこの日こそふさわしいのではないか――口さがない貴族たちの噂はとどまることを知らなかった。


「で――どっちをエスコートするんだ?」

 ロメオが駐屯所に入ってくるなりカインに尋ねた。

「君までそれか」

 執務机に向かって書類仕事をしていた手を止めることなく、うんざりした口調でカインは答えた。

「実際、貴族の間ではこの話題で持ちきりさ。うちの母上もカインがイレリア嬢を選ぶんじゃないかとほぼ確信しているくらいだ」

 ロメオの言葉にカインは執務の手を止めて、ロメオを見上げた。

「叔母上まで――」

 カインは溜息をつきながら天を仰いだ。

 ジルダは婚約者だ。優先しなければならない。それは理解している。

 いつだって社交界へ参加する時にはジルダをエスコートしてきた。だが、周りの評価はどうだ。

 社交界一麗しい公子と、社交界一不器量な公女。なんと滑稽な組み合わせか――公子の弱みを握り婚約者の座にのさばる悪辣な公女――

 事実を知らない者達は好き勝手に噂をする。捨て置けばいい。それに――「あながち、間違いとも言えませんし」

 ある日ジルダが呟いた事があった。

 一度だけカインが貴族たちの口さがない様子に苛立ちを見せた時だった。

 いつも通り、表情を変えることなく静かに、ただ正面を向いてカインにだけ聞こえる大きさで呟いたのを、カインは今の今まで忘れていた。

 なぜ忘れていたのだろう――いや、それよりなぜ自分はあの時貴族達に苛立ちを覚えたのだろう。

「ところで、今日僕を呼んだのは何か理由があるんだろ?――エスクード公子」

 ロメオの言葉でカインは我に返った。

 最近はよく昔の事を思い出す。なぜだろう――

 カインは軽く頭を振ると、ロメオに真剣な目で見つめた。

「君にしか頼めない事なんだが――」


 カインの成人の祝いまで10日余りしかなかった。

 ジルダの手元にはカインの瞳の色の青に染め上げられ、カインの髪を思わせる金糸で刺繡が施されたドレスが所在なさげに飾られていた。

 10日ほど前にエスクード侯爵家から送られてきたものだ。

 ジルダがいつも好む、華麗であるが質素でジルダが目立たないものとは違い、華やかで可愛らしいドレスだった。

 自分にはこのようなドレスは不釣り合いだと言うのに――贈る相手を間違えたのではないか。

 そう思い、3日に1度の魔力吸収の日に尋ねてみた。

「君は、好意を素直に受け取るという事ができないのか」

 呆れたようにカインは大きな溜息と同時にジルダに言った。

「この先がどうなるにしろ、僕の現在の婚約者は君だ。君をエスコートする以外ないだろう」

 吐き捨てるように言ったカインの言葉に、ジルダは傷つくでもなく相変わらずの無表情で「そうですか」とだけ返した。

 その日の会話はそれだけだった。

ジルダは思案したが、ことイレリアの話題になるとカインは激昂し、会話にならないため余計な詮索はしないほうが得策だと判断した。 その後の務めの日も、ジルダはカインと会話をすることもなく、ただ務めが終わるのをジルダの見えないところでじっと待っているイレリアの気配だけを感じるだけだった。


 カインが体裁のために自分をエスコートすると言うのは当然のことと思われた。

 では、イレリアの披露目はどうするのだろう。

 貴族でもない女性がデビュタントを行なう事はない。

 これまでも、下級貴族が豪商の娘を嫁に迎えた事はいくつかあったが、いずれもひっそりと披露目を済ませ、いつの間にか社交界にいるといった様子だった。

 だが、侯爵家ほどの家格が後見を公言した娘となると、披露目をしないなど許されない。

 それよりジルダの気がかりになっていたのはイレリアの事だった。

 いつの頃からだろうか――ジルダの前に姿は見せないものの、どこからか送られてくる視線に変化が生じてきた。

 それはとてもゆっくりで、魔力に敏感で勘の鋭いジルダでなければ気が付かないほど小さな変化だった。

 軽蔑、侮蔑、嘲り――そう言った視線を子供の頃からいくつも送られてきたジルダでも初めて感じる感情――それが憎しみだった。

 カイン様は気付いておられるのかしら――いいえ。きっと無理ね。

 おそらくイレリア本人も自覚していないのだろう。それほどまでにささやかで、しかし明確な憎悪。

 ジルダはドレスを見つめて小さく溜息をついた。

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