魔法陣
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ゆっくり再開させていただきます。
「でもカイン様は私がいなければ生きていけないでしょう」
「またそれか。侯爵夫人の座は自分のものだと、そう言いたいのか」
カインは顔を真っ赤にしてジルダを見つめた。
「そういうわけではありませんわ」
ジルダは握ったままのカインの手を黙って見つめた。
カインだってわかっているのだ。ここで手を振り払えない事は。自分に何かあると無関係な人々まで巻き込んでしまうことを。それを抑えられるのはジルダただその人だけであるということを。
一息の沈黙の後、ジルダは手を離し「終わりました」とだけ言って立ち上がった。
そして、部屋を去り際に振り向いて「カイン様――お忘れにならないでくださいませね。物事には順序と節度がございますのよ」と言った。
ジルダはどこまでも僕を馬鹿にしている。
国王命令の婚約だから破棄できないと高を括っているんだろう。僕の命を握って、僕を制御している気持になっているに違いない。
なぜ今まで自分はジルダとの婚約に甘んじていたんだろう。
子供の頃に決められて、他に心を奪われる女性がいるわけでもなく、自分で制御できない魔力のために諦めていたんだ。だが――イレリアに出会ってしまった。
彼女と過ごす時間は一瞬でさえ輝かしく、幸福だった。侯爵邸に来て栄養状態が良くなったからか、細いながらも肉付きが良くなった体を抱きしめて眠ると、ただ安心して夢も見ないほどぐっすりと眠れるのだ。
何より、あの嫌な頭痛が起こらない。イレリアがそばにいると何も考えずにただ幸せな時間を感じるだけでいい――ジルダとは違うんだ。
「カイン!」
侯爵の叫びにカインは我に返った。――そうだ、魔方陣に魔力を――おかしい。魔力が止まらない。
カインの前の前が微かに歪んだように見えた。
まずい。魔力が制御できない――。 このままでは魔力を出し尽くして死んでしまう。
「――魔法陣が!」
宮廷魔導士の叫び声が聞こえて、誰かがカインに当身を食らわせた。
ここにいる者でそんな芸当ができるのはエスクード侯爵だけだろうとカインは理解した。衝撃とともに魔力の放出が止まり、カインは安堵し、意識が遠のいていくのを感じた。
薄れゆく意識の中でカインが思い出していた人はイレリアではなかった。
カインが目を覚ましたのは王宮で用意された客間だった。
ベッドの横ではジルダが青白い顔でカインの手を握って眠っていた。
「気が付いたか」
ジルダの反対側からエスクード侯爵の声が聞こえて、振り向くと侯爵が心配げにカインをのぞき込んでいた。
「父上……」
掠れた声でカインは父を呼んだ。
「申し訳ありません。僕はまた制御を失ったのですね」
「横になったままでいい。今さっきジルダ嬢が魔力を入れ終えたところだ。まだしばらくは動けないだろう」
体を起こそうとしたカインを侯爵は手で制して、そのまま寝ているよう伝えた。
「ジルダ嬢は最近お前の魔力がおかしいと言ってな。今日は念の為に控えててくれてたんだ」
カインの魔力が致死限界量まで吸い取られた為、ありったけの魔力をカインに注ぎ込み、倒れるように眠ってしまったのだと、侯爵が説明した。
カインはジルダに握られた手に、懐かしい優しい暖かさを感じて、どことなく居心地が悪くなってそっと手を離そうとした。しかし、ジルダの手は眠っているはずなのにしっかりと固く握られており、カインは仕方なくそのままにする事にした。「このままでは話したい話もできないだろう。私は先に戻るから帰ってきてから話そう――なに、時間はたっぷりあるさ」
カインの考えなどお見通しと言った表情で、侯爵はいたずらぽく笑い、立ち上がり際にカインの頭を優しく撫でると部屋を出て行った。
カインは1人残された部屋で、喉の渇きを感じたが、ジルダのせいで身体を動かす事ができず、女中を呼ぶ紐にも手が届かなかったので、そのまま一刻ほど天井を見つめて過ごす事になった。
だが、不思議とこれまでのように苛立ちや不快感はなかった。
ジルダが目覚めたのはカインの渇きが限界を迎えようとした頃だった。
部屋には暖房がかけられ、暖炉もあったが、季節は冬だ。何もかけずに眠っていては風邪をひくだろうと、カインは身動きが取れないながらも、自分にかけられていた毛布を片手で手繰り寄せ、ジルダにかけてやった。
子供の頃にもあった気がする――だが、思い出そうとするといつものように頭痛が襲ってくる――そう身構えたが、不思議と頭痛は起こらなかった。そのかわり、記憶ももやがかかったように思い出せないのだが。
その時、カインの手を握るジルダの手が小さく震え、ジルダが目を覚ました。
「珍しいな。君がこんな形で眠るなんて」
目を覚ましたジルダにカインが揶揄うように声をかけると、ジルダは怒ったような顔をすると、黙ってカインから顔を背けた。カインから見える耳が赤くなってるのがわかって、カインは少し嬉しくなった。
「……ご無事でよかったですわ」
ひと呼吸置いてジルダはそう言うと、カインの方に顔を戻した。その顔はいつもの無表情に戻っており、カインは少しがっかりした。
「魔法陣ですが、細工などはされていなかったようです」
そもそも細工をされていたのなら、カインより魔力量が少ないエスクード侯爵が無事なわけがない。ただ、カインの魔力を注ぎすぎた為、魔法陣の一部が壊れてしまったとジルダは淡々と続けた。
幸いな事に壊れた箇所は修復が可能で、控えていた魔道士達によってすぐに修復されたと聞いて、カインは心の底から安堵の溜息をついた。




