施し
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エスクード侯爵家の噂話は貧民街でも囁かれていた為、イレリアの耳にも聞こえていた。
だから、まさか自分が助けた人がエスクード侯爵家の嫡男その人とも思わなかったし、その人が毎日のように自分に会いに貧民街まで足を運んでいる事実が信じられなかった。
しかし、目の前にいる神話から出てきたように美しいこの人は、紛れもなくエスクード侯爵家の嫡男であり、首都第5騎士隊の若き隊長であるカインその人なのだ。
初めは身分も生き方も違うカインに畏れ多い気持ちでいっぱいだったが、カインは来るたびに袋いっぱいのパンや、卵、燻製肉などの保存食を持ってきてくれて、イレリアに与えてくれた。施しなのだろうと、イレリアは恥ずかしくなったが、それでも自分より貧しい人々に分け与える事ができるため、断ることなく施しを受け入れていた。
「君が言っていただろ。騎士隊が払った謝礼でみんなに食べ物を分け与えていたと。だから、少しでも助けになればと思ったんだ。施しなんかじゃない。君の手伝いをできればと思ったんだよ」
カインの言葉にイレリアは施しを受けると思っていた自分が恥ずかしくなった。
この方は純粋な気持ちでしてくださっていたのに、身分が高いから施されていると勝手に卑屈になっていたのは私の方だったんだわ。
「申し訳ありませんでした。公子さま。私……自分が卑しまれていると思って、公子さまを誤解していました」
「カインと――公子ではなくカインと呼んでくれないか?敬語もやめてほしい。ここでは僕は君と同じただのカインとイレリアでいたいんだ」
カインの瞳に寂しさを感じ取ったイレリアは、エスクード侯爵家の噂話を思い出した。
有り余る魔力を持って生まれたせいで、社交界一不器量で愛想のない、しかし随一の魔力制御の能力を持つシトロン公女に命の代償として望まぬ婚約を強いられている不幸な美しい公子。
エスクード侯爵も、息子の命には代えられず、この婚約を受けざるを得なかったと。
公子は子供の頃からずっと、辛い思いをされてきたんだわ。貴族の世界は私たち庶民にはわからないのだもの。この休暇の間だけでも公子をお慰めできれば――
イレリアはそう思ってカインを見つめると
「私が粗相をしたからと言って不敬罪で処分するのはなしよ?」
と言って弾けるような笑顔でカインに右手を差し出した。
イレリアはよく働く娘だった。
カインより1つ年下の16歳と聞いたが、親はなく1歳くらいの時に貧民街に捨てられていたという。
貧民街は、50年前の戦争で最も攻撃を激しく受けた場所であり、崩れた城壁と市街地が放置された場所だった。
防衛上、城壁は修復されたが、破壊された市街地は戦争のせいで所有者が不明な土地が多く、崩れた建物が戦後そのままの姿で残されていた。いつしか、そこに家を持たない者達が住み着き、気が付いた時には国も手を付ける事ができない状態になっていた。
イレリアは貧民街に捨てられていたところを、貧民街の住民達に助けられ、命を繋いできたという。誰が育てるでもなく、雨風をかろうじて凌げる程度の崩れた建物に放置されたまま、誰かが食べ物をくれ、誰かが暖めてくれて生きてきた。
貧民街そのものがイレリアの家であり、家族だった。
その為、イレリアは物心がついた頃から、誰に言われるとはなく仕事を覚え、ある日は民家を回り汚物を集め、ある日は首都の外で焚き木を集め、種まきを手伝い、収穫を手伝い、賃金を得ては腹を空かせている母子や、働くことができない老人に食べ物を分け与えるようになっていた。
10歳になった頃、貧民街にやってきた薬師の手伝いをきっかけに、薬師に弟子入りしてからも、時間があれば薬草採取のついでに農作業を手伝ったり、焚き木を拾っては子供達に渡して収入の足しにさせていた。
カインがイレリアに会いに貧民街に行くときは、まずイレリアの居場所を探さねばならないほど、イレリアは毎日忙しく働いていた。
「貧民街に出入りなさっているそうですが」
3日に1度の務めの日。夜も更けた時間にジルダとカインはサロンで向かい合っていた。いつもは魔力の量だけを確認して黙って帰っていくジルダが、珍しく口を開いた。
「恩人がいるのでな。君も知っているだろ。あの薬師見習いの腕は素晴らしい。何とか支援して腕を磨いてほしいのだが」
「恩人――そうですね。あの解毒剤がなければカイン様はともかく、ラエル卿とカルマイ卿は今頃……」
ジルダが言葉を詰まらせるのを、カインは珍しいと思って眺めていた。
この10年、ジルダが感情を露わにする事は殆どなかった。――いや、婚約した当初はよく笑っていたような気もする。
「君もそのような表情をするんだな。人の命など気にも留めない人だと思っていた」
言いようのない苛立ちがカインの口を滑らせた。言い過ぎたかもしれない。しかし、口から出た言葉を取り消すことはできなかった。
「生きるべき人が生きれず、生きる必要のない者が生きるのは私でも惜しいと思いますわ」
ジルダは普段と同じ感情のない平坦な口調に戻っていた。傷つけただろうか。しかし、その表情からは感情を読むことはできなかった。
「その薬師見習いですが――」
ジルダは感情のない口調で続けた。
「ご支援なさりたいと言うのであれば、初めから金銭の提示は相手の矜持を傷つける事になるかと。持てる者と持たざる者のお立場を弁えた方がよろしいと思いますよ」
「そんな事……言われずともわかっている」
カインはばつが悪そうに言いよどんだ。
友達にごちそうになる時施される気分になるのは私だけでしょうか。




