決戦を避けるということ
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──決戦を避けるということ
「その通りだ。我々はようやく敗北から立ち直りつつある。そして、これからも戦い続けなければならない。ブリタニア連合王国と周辺国のシーレーンを脅かすことが、君たちに課せられた肺病のように長く続く戦争だ。それが君たちの義務だ」
ラインハルトはそう言いながら、エリーゼを見つめる。
「畏まりました、閣下。閣下が正しいというならばそれが正しいのでしょう」
エリーゼはあっさりと答えを認めた。
「第1艦隊はこれより通商破壊任務に従事いたします。まあ、装備と兵員が揃ってからとなりますが」
「船員の充足と艦の補修については全力を挙げよう。我々にとって海軍とはブリタニア連合王国からの増員を阻止する唯一の方法だ。ブリタニア連合王国はその海軍力と空軍力において脅威だ。だが、君らたちがあの小島の兵力を孤立させ、国民たちを真綿で絞殺すように殺してくれれば、我々もやりやすくなる」
「そうでしょう。ですが、ひとつだけ助言させていただきます。我々が海上決戦を求めなくとも、敵はそれを望むでしょう。潜水艦に任務を任せるのならばともかく、海上戦力にも同じことをお望みであれば、決戦は避けられません」
「海軍の運用は君の得意とする分野だ。君が決戦は避けられなかったというのであれば、それを受け入れよう。だが、出来得る限り決戦は避けたまえ。我々はまだブリタニア連合王国との決戦に望めるだけの兵力を揃えていない」
「理解しました。お望みのままに、大将閣下」
「理解してくれて嬉しいよ、エリーゼ」
エリーゼとラインハルトはそう言葉を交わすと、席を立った。
「ラインハルト大将閣下。海軍にとって決戦を避けるとは、それほどまでに苦痛なのですか?」
「私も君も陸の存在だ。海軍について理解が薄いのは仕方あるまい」
けれどね、とラインハルトは続ける。
「海軍にとって決戦とは何が何でも挑むべきものだ。あの広大な海原でいつ敵と遭遇できるか分からない中、敵と決戦に応じられるというのは、海軍にとってなくてはならないことなのだ。見敵必殺は海軍の心得という。それほどまでに彼らは敵を探し求めるのだ」
「海軍には隠密行動という概念がないのですか?」
「あるにはある。だが、彼らは基本的に敵と戦ってこそ、自分たちの価値があると考えている。海とはそれほど広大で、敵との会合を妨げるものなのだ」
海と陸での戦闘は大きく異なる。
海ではまず思った通りの決戦が発生するかどうかが怪しまれる。魔王軍海軍第1艦隊との決戦を望みながらも、ついぞそれを果たせず海底に沈んだブリタニア連合王国海軍の艦隊を例に挙げるまでもなく、海軍は常に決戦という事態に遭遇できずにいた。
敵艦隊との雌雄を決し、海上におけるオールハンドを得るための決戦。
どうしてそれが発生しないのだろうか?
それはひとえに海はあまりにも広大で、艦隊とはちっぽけなものだからだ。
海は広く、戦艦のもっとも高いマストから見渡せるだけの海域でも海のごく一部を切り取っただけだ。
そうであるが故に海軍は見敵必殺というモットーを掲げているのである。敵と遭遇する機会はこの大海原では貴重。であるからにして、敵を発見したからには、必ず撃破しなければならないのである。
「だが、シーレーンは例外だ。商船も軍艦もシーレーンは最短距離で通過しようとする。的にシーレーンを脅かされているならばなおのこと。フランク共和国とブリタニア連合王国のシーレーンを寸断することでどれほどの利益が我々にもたらされるか」
ラインハルトは愉快そうにくつくつと笑った。
確かに商船にとっては燃料も経費のうちである。可能ならば最短で目的地に到着したいだろう。敵がシーレーンを脅かしているならば軍艦も不要な交戦を避けて、商戦を無事に目的地にお送り届けようとするだろう。
その場合の海軍部隊は捕捉しやすい。容易に索敵網に引っかかり、殲滅されるがままとなることだろう。もっとも敵の護衛戦力が自分たちを上回っていない場合という条件は付くものの。
それにしても心配無用だ。敵も自分たちの海軍戦力は温存する。むやみやたらに小さな護衛船団に同行させ、各個撃破されるのは避けるだろう。そうであるからこそ、ラインハルトは海軍にとってモットーですらある決戦を取り上げて、通商破壊作戦を命じたのである。
今必要とされるのは負けないこと。負けて、艦や兵員を失うことは避けなければならない。そうしないとラインハルトのこの甘美な戦争は終わってしまうのだ。
「あの艦隊司令官はすぐに物事を飲み込んだようですが」
「ああ。彼女には以前にも経験がある。魔王軍海軍は常に敵に対して劣勢であった。最初こそ、魔王ジークフリートも艦隊決戦で敵艦隊を撃滅することを命じたが、ある大きな海戦で第2艦隊が事実上“消滅”すると、考えを改めた」
ラインハルトは語る。
「彼は海軍のこれ以上の損耗を恐れるようになり、海軍に通商破壊作戦以外の任務を禁じた。第1艦隊に至っては唯一敵に有効な戦力だからと言って。存在だけで敵を脅かすという現存艦隊主義が命じられた」
「戦わずに、存在のみで敵を脅かせと?」
「意外に有用な作戦なのだよ、これは。積極的ではないものの、敵に圧力をかけて、敵戦力を拘置できる。だからこそ、ああやって戦後も無数の六ヵ国連合軍の兵士たちが、あのちっぽけな第1艦隊を撃滅しようとしていたのだから」
確か六ヵ国連合軍は瀕死の第1艦隊にトドメを刺すために夥しく出血していた。そこまでしてでも、彼らは海軍第1艦隊を撃滅しなければならないと考えたのだ。
「これからは通商破壊作戦のために動いてもらう。敵の商戦を撃沈し、ブリタニア連合王国を潤すはずだった富には海底に沈んでもらう。それが我々のやり方だ」
そして、海軍にとっての試練だとラインハルトは語る。
「気が乗らないかね、アルマ?」
「いいえ。そもそも私は海軍の作戦に口出しできる立場にありません。ラインハルト大将閣下のお望みのままに」
「そうか。では、私のやりたいようにやらせてもらうとしよう」
ラインハルトはそう言って頷いた。
ラインハルトは唯一生き残った四天王として、魔王最終指令の執行者として、絶大な権力を持っている。
彼の軍服は近衛軍大将であるものの、実際は陸軍大将であり、海軍大将であり、空軍大将なのである。そうであるが故に彼が海軍や空軍に指示を出すのは間違いではない。
「ですが、海軍にもいずれは決戦の場を設けて差し上げてください。このまま緩やかに滅びを迎えるのは彼らも望まないことでしょう」
「そうだろうね。いずれは海軍にも決戦の舞台を準備しよう」
同じ軍人として緩やかに滅びを迎えるだけというのは、海軍の軍人たちも望んではいまいとアルマはそう思ったのでそう進言した。
その進言はラインハルトに承認され、いずれラインハルトの準備する戦いに海軍は参加することになる。その戦いはこれまでとは違った、大がかりな戦いになることだろう。そして、それは破滅的でもあるだろう。
帰り道でラインハルトを見かけた将兵が敬礼を送るのにラインハルトは答礼しながら、今後のことを考えていた。
今後の地獄を考えていた。
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