クルアハン城の地下にて
本日3回目の更新です。
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──クルアハン城の地下にて
「バルドゥイーン、参りました」
クルアハン城の領主の間でバルドゥイーンがラインハルトを前に跪く。
「バルドゥイーン。君に任せたい仕事がある。これより魔王軍残存勢力を再編成し、戦闘団を結成する。旅団戦闘団だ。君を准将に昇格させ、その指揮を任せたい。私はそう考えているのだが」
「光栄です、摂政閣下」
いつの間にかラインハルトは摂政と呼ばれるようになっていた。
魔王が死んだ今、新しい国家元首が必要だ。
魔族たちはそれをラインハルトに求めた。
そして、ラインハルトはそれを受け入れた。
葛藤も、成り上がりの自己満足もなかった。彼はただ機械的に魔族たちの求めに応じたのだ。まるで自分がそういう役割を果たすための人形であるかのように。
それが近衛吸血鬼たちにとっては少しばかり気味が悪くすらあった。
「第3近衛旅団を中核にいくつかの残存した部隊を加える。攻守ともにバランスの取れた部隊を編成するつもりだ。1個歩兵連隊を中核に、騎兵大隊、砲兵大隊、工兵大隊を加え、司令部要員を加える。不幸中の幸いか、第3近衛旅団の参謀たちの一部は生き延びた。君が好きなように指揮を取るといい」
「畏まりました、閣下」
第3近衛旅団は歩兵を中心とする部隊だった。そこに生き延びた騎兵大隊や砲兵大隊が加わり諸兵科連合を形成する。
「部隊名が欲しいところだ。魔王軍再起の旗印となるのだからね。さて……」
ラインハルトが考え込む。
「ガルム戦闘団というのはどうでしょうか?」
「ふむ。神話の番犬か。地獄を守るという。そして、地獄の主人は好きなように死人を生き返らせることができる。素晴らしいな。まさしく君たちに相応しい名だ」
ぱちぱちとラインハルトがバルドゥイーンに拍手を送る。
「では、ガルム戦闘団を直ちに編成し、指揮を取りたまえ」
「しかし、装備が欠乏しております」
今の魔王軍には野砲もなければ、小銃すらもない。これでは軍隊を組織することは土台無理な話である。
「安心したまえ。補給は開始される。こうなることは3年前から予見できていた」
「と、仰られますと?」
「ここに退避することは初めから想定していたということだ。魔王軍が敗北するということは私には分かっていた」
「……っ!」
そのラインハルトの言葉にバルドゥイーンが思わず叫び出しそうになる。
「何故ですか。何故敗北すると分かっていながら、策を講じなかったのですか?」
「講じている。こうしてこのクルアハン城の地下に武器弾薬を貯え、その上新しく武器が製造できるように工作機械も配置した。それに加えて熟練の職人たちも、この場に連れてきているのだ」
「そうではなく! 何故、敗北する前に阻止されなかったのですか!?」
そうである。敗北が迫っていると分かっていたならば、できたことはあったのではないか。それも3年も前に分かっていたならば、選択肢は多々あったのではないか。
「バルドゥイーン。私はこうなる前は四天王の末席に過ぎず、そして他の四天王も魔王陛下も、私の意見に耳を貸そうとなどしなかったのだよ。私は“クラウン川撤退戦”でたまたま戦功を上げたにすぎず、私の存在は魔王陛下に最期の時が訪れるまで忘れ去られていた。それに敗北は覆しようがなかった。我々が取れる手段は何もなかったのだよ」
諭すようにラインハルトがバルドゥイーンに語る。
「戦線には崩壊の兆しが見えていたが、それを塞ぐための戦力は存在しなかった。戦力は枯渇しつつあったのだ。装備も前線に職人たちが送られたことで供給が滞り、満足な装備を有する部隊は少なくなりつつあった。そのような状況ではどんな小手先の手段を使っても結局は負けるのだ」
魔王軍に崩壊の兆しが見られたのは3年前だが、敗北の兆候はそれより前から感じられていた。魔王ジークフリートが無計画に広げた戦線と六ヵ国連合軍の物量による攻撃によって、戦線を維持することは不可能になりつつあったのだ。
3年前がその決定的な時期であった。兵員不足、装備不足、練度不足によって、魔王軍の戦線は崩壊を始め、対する六ヵ国連合軍は大規模な兵員を扱うドクトリンの開発に成功し、その物量を余すことなく発揮して魔王軍の蹂躙を始めた。
その時、ラインハルトは予知した。今後3年以内に魔王軍は決定的敗北を迎えると。
それを予知した彼は魔王軍敗北後に備え始めた。
四天王と近衛大将権限で、武器弾薬のクルアハン城への移送を命じ、職人不足で使われない工作機械も移転させ、そして前線から密かに職人たちを引き抜き、クルアハン城工廠での作業に従事させた。
つまり、彼は魔王最終指令が下され、自分がそれを任されることまで予知していたというわけだ。
「諸君らがまだ戦えるのは、ひとえにこの準備のおかげだ。無計画に広げられた前線。最初のころはよかった。こちらの方が数で勝っていた。ゴブリンとオークは知能で人間に劣るがタフな兵士だった。屍食鬼は一度相手の戦線を崩せば拡大し続ける有用な駒だった。吸血鬼と人狼、ドラゴンにおいては言うまでもない」
だが、とラインハルトは続ける。
「人間たちは大規模な動員を行い、戦力を倍増させた。数における優位は失われた。そして、技術もまた進歩していた。刻印弾によって吸血鬼と人狼ですらも不死身ではなくなった。こうなってしまえば単純に数で勝る方が勝つのは当然のこと」
その上、人間たちは大規模な戦力を最大限に活用するドクトリンも備えていたとラインハルトは少し愉快そうに語る。
「我々はただひたすらに戦ってきた。魔族個人は強い。人間に勝っている。だが、集団となると兵員の質が均質化され、かつドクトリンの発展した人間が強くなる。師団と師団、軍団と軍団、方面軍と方面軍が戦うような大規模な戦闘において、吸血鬼個人の戦闘力などたかが知れている」
だから私は敗北を悟ったのだとラインハルトは纏めた。
「本当にできることは何もなかったのですか……?」
「なかった。できるのは将来、このような状態に陥ることに備えることだけだった」
ラインハルトはバルドゥイーンの問いにそう断言する。
「資産は無駄な戦いに投じられるべきではない。勝算のある戦いに投じなければ。あのまま戦争に全ての資源をつぎ込んでしまっていたら、それで終わりだっただろう。六ヵ国連合軍は勝利を祝い、我々の屍は晒しものにされる」
だが、そうはならなかった。
「我々はまだ戦い続けることができる。戦えるのだ。六ヵ国連合軍を相手にして、人類を相手にして、まだまだ戦うことができるのだ」
バルドゥイーンは知った。ラインハルトのもうひとつの側面について。
彼は忠実な魔王のしもべを装っていたが、実際は異なるのだということを。彼は自分の欲求のために魔王軍の資産を勝手に運用し、この時に備えていたのだ。
魔王軍が致命的な敗北を被り、魔王最終指令が下されるときに。
そして、その時は訪れた。
魔王最終指令は発され、ラインハルトが四天王唯一の生き残りとして執行者になった。もはや誰も彼に逆らえないし、彼は好きなだけ戦争ができる。
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