異変の先触れ
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──異変の先触れ
ガブリエルはラマルク博士のところで定期健診を受けることになっていた。
ガブリエルには幼少時に瘴気に触れた影響を調べるためと伝えてあるが、実際は人工聖剣の影響を調べるものだということをアルセーヌは最近聞かされた。
何せ、分かっていないのだ。
どうして人工聖剣が人工聖剣として機能するのか。
開発者のアレクシス・アルデルト博士は完成した人工聖剣を残した。だが、研究資料は全て焼き払われ、アルデルト博士自身も試作品の人工聖剣“デュランダルMK3”を胸に突き立てて死んでいたのだから。
どうして動いている? 何故動いている?
人工聖剣が機能するならばそれでよしとした軍と違って科学者は理由を探らなければならないし、それが及ぼす影響についても考えなければならない。
理解不能。再現不可能。実証不可能。
そんなものが理性の砦たる科学の産物であってはならないのだ。
「やあ、ガブリエル大佐。大統領選はド・ゴール閣下が勝利しそうだな」
「そうであると願いたいところです。私は神の名において神と共和国に忠誠を誓った身。大統領宮殿に乗り込んで、この“デュランダルMK3”を大統領に突き付けるわけにはいかないのです」
ガブリエルのその発言にラマルク博士とアルセーヌの両方がぎょっとした。
「冗談ですよ?」
ガブリエルはそう言って困ったような笑みを浮かべた。純粋に冗談が通じなかったのが困ったらしい。
だが、ガブリエルならば可能なのだ。
クーデターというのは。
誰もが考えていて、指摘できない事実。
首都に駐留する全ての陸軍と親衛隊を動員しても、仮に首都の外を空に覚悟で兵力を動員しても、恐らくガブリエルは止められないだろうという事実。
人間の身では数で押すしかない近衛吸血鬼たちいる近衛軍10個師団を相手にガブリエルは単独で戦えるのだ。フランク共和国がどれほどの戦力を集めても、そんな化け物を相手に勝利することはかなうまい。
それに軍内部にはガブリエルの信奉者が多数いる。
上は上級大将から下は二等兵まで。
彼らがガブリエルとともに行動を起こしたら?
フランク共和国政府は呆気なく陥落するだろう。
クーデターは成功し、民主的な政府は葬られ、ガブリエルが王座に座る。
そうならないのは、ガブリエルのフランク共和国への忠誠心があるからに他ならない。彼女は共和国の人間として共和国の目指した民主主義と平等な世界というものに忠誠心を持っている。
逆に言えば、それだけしかこの危険な人物を引き留めておく鎖はないのだ。
「どうされました? まさか、私が本気で大統領宮殿に乗り込むと思っては……」
「そ、そんなことはないぞ、ガブリエル大佐。では、いつも通り、始めよう」
「はい」
ガブリエルが心配そうな表情を浮かべるのにラマルク博士が首を振る。
「人工聖剣も出しておいてくれ。検査を行いたい」
「お願いします」
ガブリエルが腰に下げていた人工聖剣“デュランダルMK3”をラマルク博士の助手が差し出した台の上に置く。かなりの重量があるはずのそれを、ガブリエルは軽々と扱う。それでいて、ガブリエル自身は華奢と言っていい体型をしている。
問題があるのは人工聖剣か、はたまたガブリエルか。
“欠陥品”の人工聖剣だ。どのような効果が及んでいるか分かったものではない。恐らくはラマルク博士もその危険性に気づているはずだ。
動く理由不明なものが動いている。それが及ぼす影響は?
「では、いつものようにデータを測定しよう。看護師たちを呼んでくるから向こうで検査服に着替えておいてくれ」
「はい」
アルセーヌはここで研究室の外に出る。
アルセーヌの役割はガブリエルの副官としてのものであり、それと同時にガブリエルを警護することにある。
ガブリエルは英雄だ。だが、英雄とは敵も多い。
魔族は当然のことながら、今の政権やド・ゴールの政治的スタンスに否定的な社会主義者たちも敵に回している。社会主義者たちは今の政権の終戦宣言は受け入れつつも、平和になったのだから自分たちが労働者のための政治をするべきだと思っている。
多くの社会主義政党がテロ行為で非合法化されていることも、彼らの地下活動と武装闘争路線に拍車をかけている。
だが、実際問題ガブリエルを襲えるのか? と言われると分からないとしか言えない。彼女が人工聖剣“デュランダルMK3”を手放している今は危険かもしれないし、彼女は人工聖剣などなくとも大丈夫かもしれない。
だが、軍部は英雄が死ぬことを懸念し、アルセーヌを護衛に付けている。
ガブリエルは確かに強い。強いのだが、戦場にいない彼女はときどき無防備に見えることがある。うっかり誰かに誘拐されてもおかしくないような危うさだ。
精神が未発達、と言えばいいのだろうか。
世間知らずは否めない。孤児院と軍隊での生活しか知らないのだ。軍人だとしても社会的な活動に参加することはあるが、それは平時の話で有事に軍人になったガブリエルは軍隊の暴力装置としての側面しか知らない。
どうりで時々危うく見えるものだとアルセーヌは思った。
さて、ガブリエルの検査は女性の看護師たちが行う。血液検査やレントゲン、尿検査から最新鋭の魔力想定装置を使った検査まであらゆる検査が行われる。
戦時中はせいぜい血液検査が行われるだけだったが、ラマルク博士は戦争が終わったことで、じっくりとガブリエルと調べる機会ができたと思っているようだ。
「は、博士! ラマルク博士!」
その時、人工聖剣の方を検査しに向かった助手が駆け戻ってきた。
「何かね?」
「た、大変です! 人工聖剣が! “デュランダルMK3”が!」
「落ち着きたまえよ。どうしたというのだ?」
助手の発言は要領を得ず、脇で聞いていたアルセーヌにも理解できなかった。
「と、とにかく、こちらへ! 急いで!」
「君! 少しは落ち着くんだ! 何が起きたのかちゃんと説明をしたまえ!」
ラマルク博士と助手が騒いでいたとき、検査服姿のガブリエルが姿を見せた。
検査服は入院着に似ており、脱がせやすい構造になっている。
「どうしたのですか?」
「分かりません。人工聖剣に問題があるようですが……」
ガブリエルが怪訝そうに尋ねるとアルセーヌは首を横に振った。
「“デュランダルMK3”に問題、ですか」
ガブリエルが検査室を出て人工聖剣が運び込まれた部屋へと向かう。
「き、危険です、大佐! 今室内は……!」
「これは……」
ポルターガイストという現象があるという。
幽霊が物を揺らしたり、宙に浮かせたりとその名の通り騒々しい騒ぎを起こす現象のことだ。もっとも、そのようなことを引き起こす魔族がいないことは分かっている。そして、幽霊の存在も死霊術師の使う死霊以外のものは確認されていない。
だが、人工聖剣“デュランダルMK3”が運び込まれた部屋で起きていたことは、間違いなくポルターガイスト現象としか言えないものだった。
検査機器が宙をくるくる止まって、人工聖剣はまるで太陽のように中央に存在し、その周りを惑星か何かのように物が舞っている。
「な、な、なんだね、これは!?」
「分かりません! 検査を始めようとしたら、突然!」
ラマルク博士と助手が叫ぶ。
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