大統領選
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──大統領選
ド・ゴール予備役上級大将の立候補は右派の民族戦線から行われた。
ド・ゴール予備役上級大将の右派政党かの立候補には、諸外国も警戒感を覚えた。反ド・ゴール運動が各地で組織され『軍事的ファシストから祖国を守れ』が運動のスローガンとなった。
だが、その運動も長くは続かなかった。
ガブリエル・ジラルディエール共和国親衛隊大佐がラジオを含むあらゆるマスコミを通じてド・ゴール予備役上級大将への支持を呼びかけたからである。
「我々は戦争に勝利した。そう政府は宣言しました。では、問いましょう。魔王領占領軍第2軍はどうしてあれだけの出血を被ったのかと。あなた方の言う平和とは愛すべき夫や息子が戦地から帰ってこないことを含めているのかと」
ガブリエルの演説はいつもシンプルだ。飾り気のない、彼女は自分の思ったことをそのままの言葉を発する。そして、14歳の身で、人工聖剣の唯一の使い手というだけで六ヵ国連合軍に加わり、苛烈な戦場を戦い抜いて来た少女の言葉には誰もが耳を傾ける。
「戦争は終わってはいないのです。魔族たちは今も我々の世界を狙っています。それはお互いにとって不幸なことです。あの大戦で何十万、いや何百万、何千万の人々が故郷を追われたでしょうか。一体どれほどのかけがえない家族の命が失われたでしょうか。このままではまたそれが繰り返されてしまうのです」
ガブリエルは美しい声で戦争の残酷さを語る。
彼女の声はとても澄んでいた。綺麗なソプラノ。言葉は音楽のように紡がれる。
「戦うことは確かに辛いことです。また夫や息子を失うのではないかと恐怖する心は理解できます。私はあなた方の大切な方々とともに戦争を戦い抜いたのですから。彼らからいくつも言葉を託されました。思いを託されました。平和な世界をと託されました」
ラジオ局の職員ですら、一瞬操作を忘れてガブリエルの言葉に聞き入っていた。
「ですが、彼らが望んだ平和な世界がどこにあるでしょうか? 未だに戦いで人が死に続け、魔族たちが罪を重ねる世界が今の世界です。私は彼らから託された言葉を家族の方々に伝えてきました。ですが、これだけは伝えられません。世界が平和になったとは」
ガブリエルがやや感情的に語る。彼女の心からの感情だ。
「世界は未だ戦乱の中にあり、虐げられる人々がいる。今こそ立ち上がりましょう。戦争終結宣言は耳障りのいい言葉ですが、事実ではないのだと宣言しましょう。今、再び祖国のために、人類のために、全ての魂の救済のために立ち上がり、武器を取りましょう」
ラジオ放送は世界中に電波塔を通じて広がる。
「戦争は悲惨です。いいことなど何もありません。ですが、戦わなければならないときに戦わずして死んでいった戦友たちに、これから育っていく子供たちにどんな顔をすればいいというのですか。戦争が悲惨だからこそ、後世に残すものではないからこそ我々の手で終わらせるのです。今度こそは、確実に」
そこですっとガブリエルは言葉終わらせた。
「どうかあなた方の良心があり、祖国と人類への愛がありましたら、正しい選択を。ガブリエル・ジラルディエールよりの言葉です」
ラジオはそこで放送終了を知らせるライトが付いた。
「素晴らしい演説でした。これまで聞いたどんな政治家の言葉よりも心を動かされます。あなたの言葉こそが、ド・ゴール予備役上級大将閣下が手にした最大の武器となることでしょう」
「それは言いすぎですよ。私は初めて魔族との接触と開戦を宣言したマクマオン大統領閣下の言葉の方が、力強く、そして人々に勇気を与えるものだったと思っています。私のような小娘の言葉ではあれほどの熱意を生み出せなかったでしょう」
「ご謙遜なさらず。マクマオン大統領閣下もここで演説なさいましたが、あなたの言葉の方が人々に届いたでしょう。あなたには積み重ねがあるのですから。そして、これからも兵士を鼓舞してくださるという確信がある」
そう、大統領となるド・ゴール予備役上級大将は戦場から身を引くが、ガブリエルは軍に残るのだ。共和国親衛隊大佐として。
戦争は老人が始め、若者が死ぬという皮肉があるが、それはガブリエルには通用しない。彼女自身も若者で、彼女自身も戦場に向かうからだ。
「そう言っていただけるとありがたい限りです。ド・ゴール閣下が当選してくだされば、我らが共和国は再び戦争に望めましょう。大戦は終わっていない。これから終わらせるのだということを民衆の方々に知っていただきたいです」
「ガブリエル大佐がおられるならば問題ないでしょう」
「それでは今日はありがとうございました」
ガブリエルは丁寧に礼をしてラジオ局を出た。
「ガブリエル大佐。お迎えに上がりました」
「お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ。大佐は時間通りに行動なさっておいでです」
ラジオ局の外ではアルセーヌが待っていた。
「軍隊は時間厳守ですからね。見に付くといい習慣です」
「ええ。軍人以上に時間を大事にするのは物理学者と時計職人だけでしょう」
「鉄道職員も忘れないでください」
「彼らはよく遅刻しますよ。今日も朝から電車は45分の遅れです」
アルセーヌは鉄道を使って国防省に出勤するので知っている。ガブリエルは戦争での鉄道しか知らない。彼女はこの首都ルテティアに小さな、とても小さなアパートメントを持っていて、そこから通勤している。
今は平時ということで兵舎に詰めていなくていいのだが、そうなって困ったのはガブリエルだった。彼女は孤児院から軍人になった身で孤児院での生活と軍隊での生活しかしならない。ずっと兵舎にいるか、あるいは野営地にいるか。
戦争が終わったと宣言され動員解除が行われ、平時態勢になると大佐であるガブリエルは兵舎にいるわけにもいかず、かといって孤児院に戻るわけにいかず、独り暮らしをしなければいけなくなった。
部屋を見つけてきたのはアルセーヌだ。
アルセーヌはなるべく国防省に近い位置のアパートメントを探し、ガブリエルを案内した。気さくな老婆が家主のアパートメントで、そこまで家賃も高くないということもあって、ガブリエルはそこで暮らしている。
だが、アルセーヌが驚いたのはガブリエルの私物の少なさだった。
皿は一枚、カップはひとつ。ナイフが一本、フォークとスプーンが一揃い。タオルが3枚と軍服の着替えが夏物と冬物を合わせて6着。それだけなのだ。
私服はないし、化粧品もなければラジオもない。
流石にあんまりだと思ってアルセーヌがラジオを差し入れたので、今はラジオがひとつ追加されている。それ以上のものはない。
正直なところ、アルセーヌはガブリエルは戦争状態から抜け出せていないのではないだろうかと思っている。今は平時ということでドレスだって売られている。ストッキングなどの女性用衣類も配給制ではなくなった。
なのに、ガブリエルはまるで戦時のような暮らしを続けている。
彼女がド・ゴールを支持しているのは、彼女が自分の居場所を作るためなのではないかとすら邪推してしまう。すなわち、戦場という名の居場所を。
「難しいことを考えていますね」
考え込んでいたアルセーヌの顔をガブリエルが覗き込んだ。
「いいえ。特に大したことでは」
「そうですか。ですが、私について心配することはありませんよ。私は私でちゃんと生きていきますから。この身が役割を終えて尽き果てるまでは」
アルセーヌは少しぎょっとした。
ガブリエルは時々人の考えを読んだかのような発言をする。
だが、不穏さは感じられない。
少なくとも彼女の屈託のない笑顔を見ている限り。
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