迎撃態勢
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──迎撃態勢
何故、ラインハルトが今まで人狼を瘴気から生み出さなかったのか、アルマには分からなかった。彼女は魔導生物学に通じているわけでもなく、何が条件で人狼が生み出せるようになるのか理解できていなかったのだ。
ラインハルトはそんなアルマを呼んで魔王城地下の瘴気の貯蔵庫に入る。
「アルマ。生物を生物として生み出すには何が必要だと思うかね?」
「人間なら生殖。魔族ならば瘴気でしょうか?」
「いいや。間違っている。瘴気だけでは魔族は生み出せないのだよ」
ラインハルトがかつかつと瘴気の収められた専用の容器の脇を通る。
「人間が生殖を行う理由を知っているかね?」
「いいえ……。ただ、魔族と比較して非効率な生き物だと思います」
「存外、そんなことはないのだよ。人間は人間でよくできた生き物なのだ」
ラインハルトがそう語りながら試験管の並ぶ、彼の研究室に来た。
「生物は遺伝情報というものによって形作られる。遺伝情報とは生物の生物としての情報が全て記された設計図だ。小指の先から脳に至るまで、あらゆる生物を生物として構成する部品の情報が記されている」
遺伝子についての学問はこの世界では発展途上だが、全く存在しない概念ではない。
「魔族も同じだ。魔族も情報から生まれる。かつて、まだ私のような人間がいなかったころに生まれていた魔族は、人間の死体から情報を得て、それが瘴気により歪んだ形で生み出されていた。それがゴブリンやオークたちだ」
魔族を生み出すのにも情報が必要だとラインハルトは語る。
「ドラゴン。あれは神代の名残だ。神代のドラゴンは瘴気からは生まれなかった。対立する神々が兵器として生み出したものだった。やがて、彼らは自らの意志を持ち、神殺しに挑戦する。だが、死んだ神は2、3柱だ」
神々との戦いに敗れ、ドラゴンたちは瘴気から生まれる魔族へとその身を落としたのだとラインハルトは語る。
「その、情報というものはどこに保存されているのでしょうか?」
「どこにでも、だよ、アルマ。君の皮膚の細胞ひとつに全ての情報が封じ込められている。魔族も人間や他の生き物と同じだ。ひとつの細胞が分化していき、姿を形成する。そうであるからにして、ひとつの細胞が全ての情報を持っているのだ」
その情報がどのように発現するのかは緻密にコントロールされている。
「私は大戦末期になって備えなければならないことに気づいた。来るべき敗北の日に、この戦争で我々が“一時的”に敗退した日に、再起のために魔族たちの情報を保存しておかなければならないと気づいたのだ」
そうでなければ、魔王軍は瘴気があってもゴブリンとオークしか生み出せない。
「ドラゴンの情報は魔王ジークフリートから入手した。近衛吸血鬼と吸血鬼たちは近衛軍の生き残りがいた。オークやゴブリンはどこにでもいる。スレイプニルはクルアハン城に連絡用のものが隠してあった。だが、人狼は? 人狼の情報はどこだ?」
ラインハルトが試験管を取り出す。そして、人狼から採取した体毛を入れた。
「そう、私は人狼の情報を採取し忘れていた。だから、瘴気から人狼を生み出せなかった。だが、それもこれで解決だ。これからは人狼を大量に生み出すことができる。軍の背骨となる下士官は人狼であることが望ましい。もちろん、士官にも人狼を登用する。近衛軍にも人狼を配備しよう。これまでのゴブリンとオークだよりの駒としての兵士が、大幅に強化されるだろう」
「ありがたく思います、ラインハルト大将閣下」
アルマが静かに頭を下げる。
「ここにある瘴気を全て使って50体程度か。近衛吸血鬼よりコストが安いとは言えど、馬鹿にならないものであるな。そして、全ての瘴気をここで使い切ってしまうのもリスクがある。人間たちは撤退を続けているのだから」
ラインハルトがそう告げたとき、地下室の扉がノックされた。
「入りたまえ」
「失礼します!」
入ってきたのは陸軍司令官のリヒャルトだった。
「ああ。リヒャルト。陸軍も立派になっただろう。人狼たちが加わったのだ。だが、人狼は人狼だけで運用する部隊がひとつはあるべきだ。下手に分散させるのは、今は避けたまえ。直に人狼たちを君たちの部下にもっと加えよう」
「ありがたく思います。それで、お知らせしておきたいことが。大至急あるのです」
「何かね?」
ラインハルトがリヒャルトを振り返る。
「六ヵ国連合軍が討伐軍を組織しました。攻撃目標はこの魔都ヘルヘイムとの情報も。確証性は極めて高い情報です。いかがしますか?」
「ほう。それはそれは。部隊の規模は?」
「18個師団ほどです」
「ふむ。空軍部隊も派遣されているとなると、少しばかり手間取るな」
アルマは呆然としていた。
魔王軍の今の戦力は2個旅団に少々と2個飛行隊程度だ。
それに18個師団?
いくら近衛吸血鬼が強力であっても敗れるだろう。これはまるで大戦末期だ。いや、今も大戦末期は続いているのだ。忘れそうになるが、人間たちは物量とそれを上手く使う戦略・戦術によって魔王軍に一度勝利しているのである。
「アルマ。指揮官たるもの動揺を顔に出してはいけないよ」
「申し訳ありません、閣下」
「そうだ。指揮官は常に笑っているぐらいがちょうどいい」
さて、とラインハルトが試験管に収めた人狼の体毛を一本抜き取る。
「何も狼狽える必要はない。18個師団? 確かに数が圧倒的だ。我々はここに立て籠もろうとしても、火砲の圧倒的優勢と航空攻撃で壊滅させられるだろう」
「では」
「考えて見たまえ。18個師団もの戦力がまとまって移動できるかね? 人間たちは確かに機動力を向上させてきた。鉄道によって彼らの戦略機動は実にスムーズだ。兵糧にも問題はない。いくらでも戦える。だがね」
ラインハルトが語る。
「相手の数が多くても実際に相手にする戦力を少なくする方法はあるのだよ。君たちはこれまでの戦いでそれを学んだはずだ」
「ゲリラ戦ですか? 確かに移動中の戦力は無防備で、かつ各個撃破が狙えますが」
「そうだ。その通りだ。敵が、18個師団が集結するまでに1個師団、1個師団を屠っていけばいいのだ。六ヵ国連合軍の合同部隊ならばなおのこと集結には時間がかかる。寡兵で勝利するには工夫が必要だ。だが、それこそが戦争だよ。戦力は多い方がいいが、少ない兵力で何を成せるかが指揮官の試されるときだ」
ラインハルトは体毛をピンセットで掴み、瘴気のある容器に入れた。
「人狼たちはどうやら我々が教導するまでもなく、その手の戦術を身に着けているようだ。リヒャルト、彼らを有効活用したまえ。人狼たちは不満を述べるかもしれないが、無視していい。彼らは彼ら自身が思っている以上にタフにできている」
「畏まりました、閣下」
リヒャルトが頷く。
「近衛軍にもこれまでの集大成を見せてもらおう。鉄道を爆破し、彼らが一点に集結する前に撃破しきってしまうのだ。これは内線作戦で我々はヴェンデルという機動力を有している。敵を内線作戦で次々に各個撃破することのなんと心地よいことか」
「了解しました、閣下」
内線作戦に必要なのは機動力だ。敵が外から包囲殲滅を試みるのに、移動しながら一部隊ずつ撃破していく。だが、魔王軍には未だ鉄道という文明の利器が存在しない。それを補うのが、ヴェンデルの呪血魔術となる。
「愉しい、愉しい迎撃戦闘だ。防衛とは塹壕に立て籠もるだけのことでないことを、六ヵ国連合軍の連中に教えてやるといい」
ラインハルトはそう言ってくつくつと笑った。
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