敗北したものたち
本日4回目の更新です。
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──敗北したものたち
魔王軍の殿部隊の決死の抵抗もあって、第3近衛旅団といくつかの部隊は魔王城に集結することができた。魔王城の閲兵場に各地の戦いで敗れながらも生き延びた魔王軍の兵士たちが集まり、血と汗の臭いを漂わせていた。
「それなり以上に集まったな」
ラインハルトは魔王が閲兵を行うバルコニーから魔族たちを見渡す。
「全員が疲労困憊です、閣下。このままでは戦うことは……」
「分かっている。彼らには休息が必要だ」
ラインハルトはそう言うと、指を鳴らす。
「バルドゥイーンは生き延びられたのか?」
「他のものともども、前線で戦い続けようとするのを無理やり連れてきています」
「それは結構。優秀な部下にそうそう死に急がれては困る」
アルマが報告し、ラインハルトが頷く。
魔王軍は最後の最後になって自棄になっている。ラインハルトはそう感じていた。
「他のもの、と言ったが素直に言うことを聞いたか?」
「これが魔王最終指令であることを強調しなければ、従いませんでした。最後の一兵までこの魔都ヘルヘイムに残って、ひとりでも多くの人間を殺してやると。そう、全員が息巻いていたのです。それが撤退ということとなり……」
アルマが申し訳なさそうに視線を俯かせる。
「死兵と化していたか。それは申し訳ないことをした。彼らの闘争への意欲を削ぐような真似をしてしまった」
「ラインハルト大将閣下はなされるべきことをされているだけです! これは魔王最終指令なのですから、何事においても優先するべきです。ここで死にたがっているものは、義務を放棄しようとしているのです」
「そうかもしれないな」
だがね、アルマ。滅びゆく中で戦うというのは、それはそれで興奮するものだよ。敵に圧倒的物量で蹂躙される中、自分にできることをするというのはヒロイックであり、実に浪漫のある行いなのだ。甘美ですらある。
「さて、ヴェンデルを呼びたまえ。彼がいなくては撤退はままならない。それから生き残った主要な将校をここに。彼らに魔王陛下の残された意志を伝える義務が、私にはあるのだ。まだ納得していないものもいるだろうからな」
「畏まりました」
アルマがラインハルトに敬礼し、再び霧となって消える。
「撤退戦。いつ以来だろうか。六ヵ国連合軍の圧倒的物量を前に、友軍を見捨て、装備を放棄し、あるものだけで遅滞戦闘を繰り返し、逃げ落ちたのは。懐かしさすら感じる。あの戦いはよかった。全てが絶望的で、全てが破滅的で、全てが愉悦だった」
敗北した戦いをラインハルトは愉快そうに語る。
「ラインハルト大将閣下」
アルマが戻ってきた。
幹部たちを連れて。
「バルドゥイーン。ベネディクタ。ヴェンデル。マキシミリアン」
バルドゥイーン、ベネディクタ、ヴェンデルの3名は近衛吸血鬼だ。唯一マキシミリアンだけが、ドラゴンである。その巨体を誇らしげに見せつけているが、その体は相次ぐ制空戦闘のために傷だらけであった。
「これより我々は魔王最終指令によって生き延び、戦い続ける。戦い続けるのだ。魔王陛下は仰られた。『戦い続けろ』、と。そうであれば我々は戦い続けなければならない。たとえ、今日この日に屈辱的敗北を味わおうとも、生き残り、次の戦いに備えるのだ」
「納得いきません! 我々はこの魔都ヘルヘイムを放棄するというのですか!? この我々の精神的支柱を! それで戦い続けることなどできるというのですか!?」
バルドゥイーンと呼ばれた近衛吸血鬼が反論する。
バルドゥイーンは近衛吸血鬼の証である銀髪で、その髪をオールバックにして纏めている。体型は鍛えられたそれであり、近衛軍の黒い制服の上からでも、その鍛え抜かれた体のたくましさが窺える。
階級は近衛大佐。かつては彼も連隊を指揮していたのだ。その連隊は壊滅し、彼と少数の生き残りは、第3近衛旅団に編入された。
「不敬な! 大将閣下になんたる口の利き方ですか! 我々は魔王陛下の残された最後の指令に従って、戦い続けなければならないのです!」
「そして、屈辱を味わい続けろと? それならばここで名誉の戦死を遂げる!」
アルマが一喝するのに、バルドゥイーンが叫び返す。
「あたしも同意見だね。今さら撤退したって巻き返すのは無理だろう。数が違う。最近では戦略・戦術面ですら、こちらが劣っている。人間ども個人は弱い。だが、集団になると強い。どうせなら、惨めに生き残るよりぱーっと死にたいものだ」
次に言葉を述べるのはベネディクタと呼ばれた近衛吸血鬼であった。
珍しい女性軍人で近衛軍の制服を着崩している。女性らしい体型をしたアルマとは違って、スレンダーでバルドゥイーン同様に鍛えられているのが分かる。近衛吸血鬼の証である銀髪をポニーテイルにしており、背丈も高く、近衛軍の制服は着崩していてもばっちり似合っていた。
階級は近衛中佐。中佐でありながら戦場で戦うことを望み、魔王から特別な許可を受けて、最前線で戦い続けてきた猛者である。
「俺はどうでもいいっす。撤退するならさっさと引き上げましょう。南部戦線からは“剣の死神”が迫っているっす。急いで逃げないと、全員首を刎ね飛ばされて、心臓を潰されるなんて残念なことになりますよ」
そう語るのはヴェンデルと呼ばれた近衛吸血鬼。
近衛軍の軍服をもっともお洒落に着こなしているが、体格は前者2名に比べると貧相で中性的だ。だが、軍人らしさはある。軽い感じの性格が窺える態度を取っており、他2名のように死んでまで魔王軍のために貢献、という考えでないのは明白だった。
階級は近衛少佐。
「戦うには戦力が足りない……。残念なことだが、空軍で生き延びているドラゴンは1個飛行隊程度だ。対する六ヵ国連合軍は圧倒的数のフレスベルグを投入して、航空優勢を維持している。飛行隊も各地に転々としている部隊が集まれば、それ相応の規模になるのだろうが、我々は分断されてしまっている」
最後に赤い鱗をし、空軍の紺色の制服を纏ったマキシミリアンが告げる。彼は空軍大佐で彼の率いていた1個飛行隊が避難してきたのだ。
「ここで死ぬことは私が許可しない。ここで死ぬことに意味はない。単なる自己満足の域を出ない。魔都ヘルヘイムは放棄する。我々は退却し、泥を啜ろうと、同族が辱められ、殺されていようと、戦い続けなければならないのだ。その先にあるのが敗北であろうと、勝利であろうとまずは戦い続けることだ」
ラインハルトが語る。
「ここで死ねば、明日殺せるかもれない2人の人間を生きながらえさせるかもしれない。明日を生きればふたりの人間が死に、さらに生き延び続けたらもっと多くの人間を殺せる機会が巡ってくるかもしれない」
淡々と、だが少し愉快そうにラインハルトが語る。
「今日という破局の日を生き延びて、報復するのだ。人間たちに。敵の兵卒から元帥に至るまで。そして、民間人から軍人にいたるまで全てを殺すのだ。時として殺されることもあるだろう。だが、諸君は死を恐れていないはずだ。諸君はただひたすらに、明日を生きる勇気がなく、敗北の先に待っている屈辱を味わいたくないばかりに、今日死のうとしているに過ぎない」
ラインハルトはそう言い切った。
「だが、明日を生きればもっと楽しいことができる。戦争が続けられる。そして、多くの人間を殺し、貪ることができる。さあ、異論はないかね?」
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