敗残兵
本日2回目の更新です。
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──敗残兵
「そうか。君はそれを望むのか」
ラインハルトの願いに少女がそう言う。
そして、少女は犬歯を覗かせた不気味な笑みを浮かべて、真っ赤な瞳でラインハルトを見つめる。確かな愉悦の感情を見せて。
「自分たちの勝利でも、敵の敗北でもなく、あくまで『戦争を続けるための力』を求めるのか。惨劇は繰り返され、戦火は憎悪を呼び、怨嗟の声が響き続け、この世の地獄が続くことを君は望むというのか」
「しかり。それこそが我が本懐。決して譲れぬもの。戦争の末に負けるのであれば受け入れよう。大人しく滅びを受け入れよう。だが、まだだ。まだ戦争は終わらせられない。この素晴らしい宴は続くべきだ。たとえこの世が地獄と化そうとも」
ラインハルトの答えに少女は、悪しき悪魔たちの中でも最悪と評される大悪魔ラルヴァンダードは、獲物を前にした猛獣のように静かに、だが確かな欲望を見せて笑う。
「素晴らしい。ここで君が単なる勝利を望むのであれば、ボクはいとも簡単にそれを叶えていただろう。ただし、その勝利の味を味わえない、醜く、無様で、哀れな姿に作り変えて。だが、君は安直な勝利を望まなかった。戦争を続けることを望んだ。素晴らしい。素晴らしいよ、ラインハルト。ここまで狂ったものは久しぶりだ」
ぱちぱちとラルヴァンダードが拍手を送る。
「では、君に力を与えよう。おぞましい力を。恐ろしい力を。抗いがたい力を。全ては続く戦争を戦うための力を。今宵、君は不老不死の魔術師リッチーですらなくなる。そう、君はボクたちの同類になるんだ。歓迎しよう、新たなる同族。目覚めたまえ」
ドクンとラインハルトの心臓が突如として大きく脈打つ。
次の瞬間、内臓がひっくり返ったような激痛と吐き気に襲われる。ラインハルトは辛うじて姿勢を崩さず立ち続け、激痛に耐える。やがて四肢の感覚がマヒしていき、ラインハルトは膝をついた。
「大丈夫。悪魔に生まれ変わるためのプロセスはすぐに終わる。既に悪魔を、弱小のそれとは言え食らっている君ならなおのこと。その肉体を捨てて、より高次の存在へと生まれ変わるんだ。肉体は枷でしかない。精神と魂は自由であるべきだ。肉体などという生理的な枷に縛られてはならない」
古びた肉体が、数千年を生きてきた肉体が腐り落ち、純粋な精神体へと変貌していく。精神を生理現象で束縛し、その思考を制限してきた肉の枷からラインハルトはゆっくりと解き放たれて行った。
「ああ。ああ。これが新たな姿。何と心地よいことか」
肉体の、生物という物質としての枷から解放されたラインハルトはその頭脳がいつもの何倍も加速するように思考でき、何よりその思考がクリアだ。肉体という枷を捨てたからこそ、肉体によって思考が左右されることはない。ホルモンや脳内伝達物質の影響を受けることはないのだ。ただ、純粋な精神でいられる。
そう、戦争を求め続ける精神へと。
「ボクも君の戦争を見届けよう。君がどんな地獄を作るのか楽しみでならないよ」
ラルヴァンダードは小さく笑うとその姿を消した。
「ラインハルト大将閣下!」
王座の間にラルヴァンダードとは別の女性が駆け込んでくる。
銀色に近い色素の抜け落ちたような白髪をシニヨンにして纏め、魔王軍近衛軍の制服を纏った将校だ。階級章は彼女が近衛准将であることを示している。
そして、その言葉を継げる口から除く鋭い犬歯は彼女が吸血鬼であることを示していた。近衛軍に所属し、白髪の吸血鬼であるということは吸血鬼の上位種としてラインハルトが確立した近衛吸血鬼だ。
「アルマ。どうした? 戦争が終わってしまったか?」
「まさか! 奴らは攻勢を強め、南部戦線は完全に崩壊しました。この魔都ヘルヘイムに敵の先方を進む共和国親衛師団が突入してきます。私も交戦しましたが、敢え無く敵の猛者に退けられてしまいました……」
「アルマ、君がか? 敵の数は?」
「ひとりです。敵には化け物がいます。魔王陛下にも傷を負わせ、万という魔族を殺した恐るべき猛者です。そのひとりのせいで戦線が崩壊したのです!」
「それはそれは。愉快な話になっているね」
ラインハルトは歪んだ笑みを浮かべた。
「魔王陛下からの最期の命令だ。生き延びて、再起し、戦い続けろという命令。我々はこれを守らなくてはならない。今、掌握できている部隊はどの程度だ?」
「……残念ながら第1近衛師団から第3近衛旅団の1個旅団程度かと。近衛師団の他2個旅団は壊滅しました。航空部隊もほぼ制圧され、散り散りになってしまいました。地上部隊はもはや分断され、包囲され、組織的な行動ができる部隊は本当に1個旅団かと……」
アルマが震える声でそう報告するのをラインハルトは静かに聞いていた。
「……最大で120個師団もの勢力を誇った我らが魔王軍がもはや1個旅団のみとは。なんたる敗北。なんたる屈辱。なんたる悲劇。だが、いいのだ。それでいいのだ。1個旅団の戦力であろうと、戦力が存在するならばそれでいい」
ラインハルトは呟くような声でそう言う。
「その第3近衛旅団を魔王城まで撤退させるよう命令を。司令官は?」
「戦死しました。件の化け物の攻撃を受けて。あの銃火の中、あの化け物は剣で襲い掛かってきたのです。こちらの放つ魔術も銃弾も全てを斬り伏せ……ああ……」
アルマが頭を掻き毟る。
「落ち着きたまえ、アルマ。我々はすべきことをするのだ。魔王陛下の最期の命令である“戦い続けろ”という命令を守るのだ」
ラインハルトはアルマにそう言い聞かせる。
「これより魔王最終指令を以てして命じる。ただちに第3近衛旅団の魔王城までの撤退を完了させ、報告せよ。さあ、行くのだ、アルマ。戦争はまだ続いている。戦争は未だ終わりなく続いているのだ」
「はっ。畏まりました、ラインハルト大将閣下」
アルマは霧になって姿を消し、前線に向かう。
「1個旅団。たった1個旅団。栄華を誇った魔王軍がこの有様とは。なんとも心が躍る。危機的な戦局。敵の銃声が、砲声が、詠唱が、滅びの音が鳴り響く。だが、これこそが戦争。これこそが闘争。これこそが私を惹きつけてやまない我々の業」
ラインハルトが哄笑する。
「戦争を続けなければ。何としても戦争を続けなければ。滅びは美しい。だが、その滅びの美しさは流された血の量によって決まる。まだ足りない。流血が足りない。真っ赤な血の滴り落ちる宴を終わらせるにはまだ早い」
ラインハルトは腕を振り上げる。
「示せ。全ての魔族に我が意志を」
この時、戦っている全ての魔族の脳に声が響いた。
「諸君。魔王最終指令に基づき、我々は戦い続ける。戦う意志あれば、魔王城に集え。殿を務めるものはその任務を達成せよ。命にかけて。戦場に残る勇敢なる魔族ひとりにより、10人の魔族が救われ、次の戦いに備えられる。集え。集え。集え。武器あらば持て、負傷者に慈悲を、戦えぬものはおいていけ」
ラインハルトは全ての魔族にそう命じる。
「ラインハルト大将閣下。無事第3近衛旅団の撤退が完了しました。魔王城に集結しております。ご命令を」
アルマが霧から実体化し、ラインハルトに頭を下げる。
「ヴェンデルは生きているか?」
「はっ。撤退に従事しました」
「では、さらなる撤退だ。我々は敗走する。今はそうするしかない。我々は命令されたのだ。“戦い続けろ”と。その任務を果たすためにヴェンデルに“忘れられし旧都クルアハン”への撤退を指揮させよ」
「我々は戦えるのですか?」
アルマがそう尋ねる。
「戦えるとも。我々は戦う。戦い続ける。それこそが魔王陛下の願いだったのだ」
そして私の願いなのだ。
たとえ、120個の師団が壊滅し、1個旅団しか残っておらずとも。
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