魔王軍の影
本日2回目の更新です。
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──魔王軍の影
ガブリエルが焼け落ちた備蓄倉庫を訪問したのは、襲撃が起きてから3日後のことだった。新しい物資を運ぶ馬車に便乗し、ガブリエルは副官として新しく就任したアルセーヌ・アルグー大尉とともに魔族の襲撃を受けた現場を見にやってきていた。
「1個大隊が壊滅と思われる、ですか。戦争が終わってから最大の損害ですね」
「近衛吸血鬼というものの仕業でしょうか?」
「その可能性はあります。魔族は呪血魔術という力を使います。それは他の魔術には再現できない恐るべき効果を発揮することがあるのです」
ガブリエルはそう言いながら、備蓄倉庫のあった基地の周囲を探索していった。用心深く血痕や銃痕、肉片の飛び散り方を観察して回る。そして、彼女はつかつかと惨劇が最初に始まった中心地に立った。
「ここから惨劇は始まった」
「基地のど真ん中から、ですか?」
「ええ。その通りです。この地点から周囲に殺戮が広がっている。焼け焦げた後は、私も交戦したことのある近衛吸血鬼でしょう。その近衛吸血鬼は人から魔力を奪い取り、それを使って炎を自在に操るという危険な相手でした」
ベネディクタの魔術は相手が大勢ならば師団級の火力を発揮する。それと交戦して、ガブリエルは火傷のひとつも負うことはなかった。
「しかし、どうやって基地のど真ん中に?」
「霧になって侵入したか、あるいは空間操作を行える近衛吸血鬼がいるのかもしれません。いずれにせよ、敵にはまだまだ有力な力を有する近衛吸血鬼たちがいるということです。やはり、ラインハルトは撤退を行い、軍の立て直しを図っている……」
ガブリエルが周囲を見渡す。
「向こうの死体は炎などではなく、銃弾や銃剣などで殺されたようでしたが」
「ええ。それを考えていたところです。ここには死体がない。魔族の死体も六ヵ国連合軍の兵士たちの死体もない。魔族たちの流す青い血の跡もない。不意を打たれたとは言えど、1個大隊の戦力が全く抵抗できずに皆殺しにされることなどあるでしょうか?」
「確かに……」
もうここにいた大隊は全員が戦死と思われていた。これだけの血と肉片を残して、生きている兵士はいるはずがないだろうというのが六ヵ国連合軍の考えであった。参謀たちも生存は絶望的と考えている。
ガブリエルもこの基地から立ち込める死の臭いから、大隊は壊滅したと考えていた。魔族は捕虜すら取ることはなかっただろうと。
彼女には死の臭いが分かる。多くの戦場を渡り歩いてきた彼女は、その場における人々の死について敏感になった。吸血鬼や人狼たちは人知れず獲物を仕留めることを得意とする。その彼らの狩場を割り出し、どこで殺戮が行われたのかを、どれほどの人間が殺されたかを知るのは彼女の得意な分野であった。
そして、どういう殺され方をしたかのついても鮮明にイメージできる。
「機関銃の射手は真っ先に狙われて殺された。それから炎が振りまかれて行った。だが、ここにいた兵士たちは炎だけによって殺されたわけではない。別の要素が絡んでいる。それは軍隊。ここに魔族の軍隊が現れた」
真っすぐガブリエルが基地の出口の方向を見据える。
それは最初に死霊の軍隊が一斉放火を浴びせかけた方向であった。
「魔族の軍隊。でも、ゴブリンやオークではない。もっと統率されていて、そして血を流さない。それは……」
だが、流石の彼女も全く自分の知識にない攻撃手段を割り出すのは不可能だった。
「危険ですね。私も14歳で軍に入隊してから3年間、経験を積んできましたが、分かりません。魔族がどうやってこの基地を陥落せしめたかについて。だが、これが正体の明らかになっていない近衛吸血鬼や──ラインハルトの仕業ならば」
「ラインハルトをかなり敵視しておられますね。彼はもう戦死しているかもしれませんよ。魔族の中には死体を残さないものもいます」
「いいえ。ラインハルトは死んでいない。あの男はそう簡単には殺されない。私はこの場から感じるのですよ。底知れぬ暗闇を。このような暗闇が残せるのは、よほど強力な近衛吸血鬼かあるいはラインハルトでなければ不可能でしょう」
ガブリエルの言葉にアルセーヌがやや理解できないという顔をする。
「感じませんか? この大地に染みついた腐った肉のような腐臭を放つ闇を。この新月の夜よりも暗い暗闇を感じることはできませんか? そうであれば、私の手を取ってください。感じることができるでしょう」
ガブリエルが手を差し出す。
一見して華奢に見える少女の手だ。だが、この手が無数の魔族を屠ってきたことをアルセーヌは知っている。人工聖剣“デュランダルMK3”の唯一の使用適合者にして、最良の使い手。この手が殺してきた魔族は数千、数万で収まるか分からない。
そのガブリエルの手にアルセーヌは手を乗せた。それをガブリエルが掴む。
次の瞬間、アルセーヌの周囲は暗闇に覆われた。どこまでも続く暗闇。どこからか肉の腐った匂いがする。それよりもこの暗闇だ。光は一筋もなく、ただただどこまでも暗闇が広がっている。アルセーヌは叫び出したい気持ちを何とかこらえる。
「分かりましたか?」
「あれは、一体……?」
いつの間にがガブリエルが手を放して尋ねるのに、アルセーヌは思わず尋ね返した。
「闇です。この場にいた何ものかの心に秘められた闇です。それが地面に染みつき、残されていたのです。いまでも地面から黒きものが湧き出している。私にはそう感じます。これは不吉な兆候です」
「確かにその通りです」
あれは常人の残せるような感情ではない。化け物の感情だ。
「我々の師団が撤退するのはいつでしたか?」
「7日後です。既に撤退の準備は進んでおり、我々の師団は戦闘態勢にありません」
「そして、撤退したら終戦記念日を祝うお祝いですか。甘いものがたくさん食べられるのは嬉しいですけれど。私にはこの地に残るラインハルトと近衛吸血鬼たちが、再び人類に牙を剥き、神々が試練を課されるのではないかと思っています」
ですが、とガブリエルは続ける。
「師団長閣下には意見具申を受け入れてもらえませんでした。撤退は実行されるとの一点張りです。そして、撤退に向けての準備は進んでいる。残念です。ラインハルトは神々が残された最後の試練だった可能性があるんです。それを放置して、帰国するというのは神々もお怒りになられることでしょう」
この宗教観にだけは慣れないなとアルセーヌは思う。
14歳まで、ずっと教会で育てられていたそうだが、その教会がどうにも怪しげな代物だったという話も聞く。ただ、ひとつ言えるのは彼女だけが、この使用不適合者を呪い殺す人工聖剣“デュランダルMK3”の使い手であり、そしてそうであるが故に軍は彼女に異例の措置を次々に施していっているということだ。
17歳の大佐。笑い話にもならない。だが、彼女は現実にそうだ。むしろ、大佐という地位は低すぎると言ってもいいかもしれない。彼女ひとりが動くだけで数十万の軍勢が睨み合っている戦況が一挙に動くのだから。
「ここにこれ以上用事はありません。師団本部に帰りましょう。今日の食後のデザートはなんでしょうか?」
「パンケーキと聞いています」
「いいですね、パンケーキ。私は大好きです」
にぱーっと微笑むとガブリエルは帰途に就いた。
彼女の帰国が迫る中、ラインハルトたちは次の行動に映ろうとしていた。
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本日の更新はこれで終了です。
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