天使
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──天使
その知らせはフランク共和国中を駆け巡った。
先の戦いで敗北し、救助された戦艦の乗員がガブリエルによって治療されたという知らせだ。ガブリエルは既に瀕死であった水兵を瞬く間に回復させ、水兵は立って、踊れるほどまでに回復したという。
「ガブリエル大佐は天使なのか?」
ラジオ放送はこのことを伝え、ガブリエルは天使だという認識が広まっていった。
そして、ラインハルトが恐怖で力を得たように、ガブリエルは信仰心で力を得る。
「もはや測定不能だな……」
ラマルク博士はガブリエルの定期健診を行いながら、そう呟く。
魔力の値は完全に振り切れていた。工業用の魔力測定器を使っても測定できない。
そして、その魔力が問題だった。
「彼女の宿している魔力は白魔術ではない」
「では、何だと?」
ラマルク博士がアルセーヌに言う。
「もっと清浄で、瘴気に反発するものだ。今、彼女の周りに魔族が押しかけてきたとしても、何もできずに消滅する羽目になるだろう。それほどまでに彼女の力は強力だ。まるで魔族を滅するために生まれてきたかのように」
そして、それは人体にはプラスとして作用するとラマルク博士は付け加える。
「ド・ゴール大統領はこのことをご存じなのですか?」
「報告はした。大統領はガブリエル大佐が戦えるならばそれでいいという考えだ。だが、彼女を投じなければいけない戦いというものは相当過酷なものだろう。もはや、この国は彼女の神聖な魔力によって守られている。戦うとすれば……ドナウ三重帝国か」
ラマルク博士はそう言う。
「ドナウ三重帝国では、あの戦略級神聖大魔術は使えないのですか?」
「立地が悪い。恐らくは不可能だ。ただ、彼女を派遣しておくだけで抑止力にはなるだろうがな。だが、彼女も同じ人間相手ではアドバンテージは身体能力だけだ。その身体能力も今では常識外れのものになっているが」
「博士。大佐は一体何なんですか? 世間では彼女を天使だという人間まで現れています。実際にはあの方は何なのですか?」
「分からんよ、大尉。さっぱり分からない。だが、ひとつ言えるのは、彼女を遣わしたものがいるとすれば、彼はこの状況を予想していた存在だということだ。それが神なのかについては明言は避ける。私は科学こそ理性の牙城だと信じている」
ラマルク博士はそう言って定期健診を終わらせた。
「今日も無事に終わりましたね」
「ええ。無事に終わりました」
「しかし、スヴェリア連邦の件は残念です。我々にはもっとできたことがあったかもしれないというのに」
「我々はできることをしましたよ」
おかげで魔王軍の戦略爆撃も止まっている。
工場は再稼働し、フランク共和国のための武器を生み出し続けている。
これぞ勝利に向けての前進だ。
だが、フランク共和国が着々と守りを固めていく中で、ドナウ三重帝国は依然として混乱状態にあった。
少数民族のゲリラが正規軍を狙うために、正規軍は対ゲリラ戦を行わざをを得ず、結果として魔王軍との前線に配置できる戦力は少なくなる。
そして、魔王軍は近衛軍と陸軍がドナウ三重帝国を包囲しつつあった。
「最近はどーもやりがいがなかったんだけど、久しぶりに暴れられそうだね」
「ちゃんと仕事してくださいっすよ?」
「任せとけって」
ベネディクタとヴェンデルがそう言葉を交わす。
ベネディクタたちはこれからドナウ三重帝国の帝都ヴィーンに殴り込みをかける予定だった。斬首作戦である。既に混乱状態にあるドナウ三重帝国をさらに混乱させるために、首脳部と軍司令部を潰すというのが目的だった。
「準備はできていますか」
「できてるぜ。それにしても……」
アルマがやってくるのにベネディクタが嫌そうな表情を浮かべる。
「そいつら。本当に連れていくのか? 気味が悪いんだが」
アルマの背後にはアルマと全く同じ顔立ちと背格好をした近衛吸血鬼が12体存在していた。ラインハルトが瘴気に黒き腐敗を混ぜて作ったものたちだ。
「ええ。戦力になります」
「目印つけといてくれよ。誰があんたなのか分からなくなる」
「階級章を見なさい、ベネディクタ」
アルマには近衛軍中将の階級章がつけられている。
「それじゃあ、いいっすか? 始めるっすよ?」
「ええ。始めなさい、ヴェンデル」
「えいっと」
そして、ポータルが開かれる。
「一番槍は貰った!」
「行きます!」
ベネディクタとアルマ分隊が突撃する。
「順調かね、ヴェンデル?」
そこにラインハルトが現れて尋ねる。
「……アルマの姐さんに何したんすか?」
「再構成だ。近衛吸血鬼としての彼女をより高度な近衛吸血鬼として再構成した」
ラインハルトは笑う。
「君を人間の胎児から近衛吸血鬼化させたように、ね」
「……そういうことしてるから信用されないんすよ」
「確かにそうかもしれないな」
だが、誰だって力は欲しいだろう? とラインハルトは尋ねる。
「それが必要ならば、すね。自分はどうでもいいすけど、もしかして自分もアルマの姐さんみたいに量産されているすか?」
「いいや。君を量産しようとしたが、出来損ないができただけだった。流石に一筋縄ではいかないようだよ」
「……嫌な人っすね、本当に」
ヴェンデルは軽蔑の眼差しでラインハルトを見た。
「好きにいいたまえ。いずれにせよ、君を二度も生み出すことはできない。君は貴重な戦力だ。大切に、大切に扱わせてもらうよ」
「お好きにどうぞっす」
そして、ヴェンデルもポータルの向こう側に消える。
「これでドナウ三重帝国も終わりか。呆気ないものだ」
ドナウ三重帝国は帝国首脳部と軍司令部を叩かれて、一気に混乱状態に陥った。そこにドラゴンによる爆撃と地上軍の大規模侵攻が重なり、軍の部隊は小部隊単位で抵抗するのみで、ほとんど抵抗できずに殲滅された。
六ヵ国連合軍の中でもそれなりの軍事力を備えていたはずのドナウ三重帝国も内側から崩されれば崩れるということが証明された。政治体制が揺らげば、それは国防に直結するということが改めて示されたのである。
この教訓はフランク共和国にも持ち込まれ、彼らは大統領の権限の増大と任期の延長に関する法案を通した。
だが、最大の不安はもはや六ヵ国連合軍で生き残っているのが、自分たちしかいないという事実であった。各国の亡命政府が樹立し、各国の義勇軍も加わっているが、フランク共和国は危機的状況にあった。
ド・ゴール大統領は要塞線の構築を宣言するとともに新兵器開発を急がせた。
既にフランク共和国は全土に高射砲と対空機関砲が配置され、常にフレスベルグの哨戒騎が飛行し、厳戒態勢にある。そこにさらに地上からの侵攻を防ぐための永久陣地を築こうというのである。
彼らにはもはやそれしか選択肢がないのである。この人類にのされた最後の聖地を守るには、これしか他に手段はないのである。
そして、要塞線の構築が急ピッチで進む中、ラインハルトたちは軍議を開いていた。
議題はフランク共和国を陥落させるためには何が必要か、ということ。
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