最優先目標
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──最優先目標
魔王軍の軍議が開かれた。
議題はどの国から攻め落とすか、である。
五ヵ国連合軍の全ての国と国境を接している魔王領からはどの国にも侵攻できる。そのため、魔王ジークフリートは全ての国に攻め込み、無計画な戦線拡大を招いたのである。そのツケは敗戦という形で支払われた。
今の魔王軍には一定のフリーハンドがある。
かつてのように全ての国に攻め入るような愚策が起こせるほどではないが、魔王領の中でも完全に奪還した地域から繋がる国家には攻め込める。
だが、問題はどの国から料理していくかである。
「これについては私からひとつ意見がある」
そこでラインハルトが述べる。
「我々はクラクス王国に侵攻しようと思う。もちろん、クラクス王国がドナウ三重帝国とルーシニア帝国に挟まれた国なのは承知の上だ」
「では、リスクを回避する術をお持ちなのですね?」
海軍総司令官エリーゼが尋ねる。
「ああ。策はある。ドナウ三重帝国については無力化できるだろう」
「ドナウ三重帝国を無力化? どのような策なのですか?」
「彼らには彼らの問題がある。それを表面化させるだけだ。実に愚鈍なことに、実に興味深いことに、実に滑稽なことに、彼らは戦争というものの最中にあっても、それよりも重要なことがあると考えているのだよ」
ラインハルトはそう言ってくつくつと笑った。
「問題はルーシニア帝国の介入だけだが、ルーシニア帝国は先の戦いで大損害を出した。そう簡単には介入を決定しまいよ。いずれ取り戻せればいい。欲を言うならばいずれは自国領としてしまいたい。そう思うに留まるだろう」
幹部たちはラインハルトの言うことを聞きながら唸っていた。
ラインハルトのいうことはこれまで確かに実現してきたが、今回は流石に都合が良すぎないだろうかと。ドナウ三重帝国は何かしらの理由で介入できなくなり、ルーシニア帝国は先の戦いで出した損害から介入しない。
魔王軍の今の幹部たちはかつての幹部たちからも同じ話を聞かされてきた記憶がある。そして、それが全て破綻した結果として敗北したのだということも理解している。
「また敗戦という結果にならなければいいのですが」
リヒャルトが思わずつぶやいた。
「おや。我々は敗戦などしていないよ。我々がいつ降伏文書に証明した? 我々がいつ講和の席に着いた? 我々は敗戦したわけではない。一時的に戦えなくなっただけだ。我々は敗北などしない。これまでも、これからも」
ラインハルトが笑みを浮かべてリヒャルトを見る。
「さあ、戦争を続けよう。戦争をずっと、ずっと続けよう。我々の使命は『戦い続けろ』というシンプルなものだ」
ラインハルトはそう言って幹部たちを見渡す。
「気持ちは分かる。これまで君たちは耳障りのいい言葉で敗北をごまかされてきたのだと。できもしない作戦をやらされてきたのだと。だが、私は誓おう。戦うからには勝利するということを。少なくともただでは負けないということを」
ラインハルトは真剣な表情をしてそう宣言した。
「我々にもはや敗北はない。獲物を貪り食らい、勝利という名の死体の山を築こうではないか。勝利とはかくも血なまぐさく、敗北と同じくらい地獄のようだということを君たちに教えてあげよう」
ラインハルトの言葉にアルマが頷き、それからリヒャルトたちが頷く。
この人は狂っている。だが、だからこそ信頼のおける存在なのだ。
何故ならば、戦争とは知性ある狂人の成す行いであり、狂気と理性が同居している矛盾した代物なのである。
少なくともラインハルトは知性を示した。そして、狂気も示している。
ならば信じようではないか。彼が戦争を勝利に導いてくれることを。
彼がただ戦い続けたいだけだと誰に分かったというのだ?
「では、まずはドナウ三重帝国に計略を仕掛ける。幸いなことに現地の公安組織はあまり機能していない。我々には絶好の活躍の場だ。情報を捻じ曲げて伝え、我々はそれに油を注ぎ、盛大に炎を燃やそうではないか」
ドナウ三重帝国内には魔王軍の潜入工作員が多数潜入している。そして、彼らは様々な地位と身分でドナウ三重帝国に溶け込んでいた。
彼らの仕事は基本的に情報を集めて魔王軍に送ることだが、それ以外のことも行うのだ。すなわち情報操作やプロパガンダ工作というものも。
そのことがドナウ三重帝国にとって致命的になる。
ドナウ三重帝国内の潜入工作員はある命令を受け取った。
そこには魔王軍が講和を打診していることをドナウ三重帝国内の少数民族に信頼させよとあった。それと時期を同じくして魔王軍はドナウ三重帝国に講和を持ちかける。
五ヵ国連合軍の条文には単独講和を禁止するものがあったため、ドナウ三重帝国はその講和の申し出を蹴った。
だが、これが問題となる。
ドナウ三重帝国はある問題を抱えている。
民族問題だ。
今のドナウ三重帝国は規模としては大きいものの、数としては決定的に大多数というわけではない3つの民族によって支配されていた。
その体制に至るまでも、自治権を認め、同君連合として地位を平等とし、帝国議会での発言力の向上などに務めてきた経緯がある。
それゆえにドナウ三重帝国と呼ばれるのだ。
だが、ドナウ三重帝国は3つより多くの民族を抱えている。
その少数民族は自分たちにも自治権をと前々から訴えていた。
「帝国は非常事態を言い訳に問題を先延ばしにしている!」
少数民族の活動家が立ち上がり、反政府活動を始める。
ドナウ三重帝国としては多数派民族が妥協することでこれまで少数民族問題を抑えてきたつもりだったのだが、戦時下が20年間も続いた挙句、さらに戦勝宣言が取り消されて、また戦争が始まったことに少数民族は怒りを燃やしていた。
帝国製品のボイコットから始まり、やがては武装闘争へと発展していく混乱が、今まさにドナウ三重帝国で始まった。
ドナウ三重帝国は少数民族の暴動はもはや警察力だけでは対処不可能として軍を投入することになる。だが、軍を投入するということはそれなり以上のリスクがある。盲腸の手術にノコギリを使うようなものだ。
多数の死傷者が生じ、そのことがより一層少数民族に帝国中央を恨ませる。
帝国議会では最初は優勢だった穏健派が勢力を失っていき、少数民族に対し徹底した弾圧をという過激派が勢力を得ていく。
一刻も早く五ヵ国連合軍の戦列に復帰するためには少数民族の抵抗には煩わされるわけにはいかない。少数民族に対する軍事作戦を、と彼らは訴えた。
そして、その通りになった。
少数民族は軍の弾薬庫を襲撃して武器を奪い、完全な武装闘争路線を取り、ドナウ三重帝国中央も軍を派遣しての徹底した鎮圧作戦を開始した。同じ人間同士で血を流し合い、殺し合いが続く。
もちろん、この状態までことを運んだのは魔王軍だ。
魔王軍──というよりもラインハルトはかねてよりドナウ三重帝国の脆弱さに目を付けていた。彼らの政治基盤があまりにも脆弱であることを知り、そこに付け込めると分かっていたのだ。
前の大戦では行えなかったが、今回はそれを試してみた。
少数民族を扇動し、帝国の中核を扇動し、そうやって内戦への道のりを描く。
ドナウ三重帝国はものの見事に罠にはまった。
今や彼らの国は魔王軍と戦うどころではなくなり、出口の見えない内戦へと突入したのである。
もちろん、他の五ヵ国連合軍の国家にとってもこれは不味い知らせである。五ヵ国連合軍に少なくない数の兵力を提供していたドナウ三重帝国が内戦状態に陥ったことはブリタニア連合王国が陥落した時以来の衝撃であった。
直ちにフランク共和国から内戦の停戦交渉を行うための使者が派遣されるが、それは少数民族のゲリラによって射殺され、事態の一層の混乱を招いた。
そして、その間に魔王軍はクラクス王国への侵攻作戦を発動したのだ。
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