敗戦
本日1回目の更新です。
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──敗戦
世界を巻き込んだ戦争は今、終わろうとしていた。
魔王ジークフリートによる世界覇権という野望は人類側が組織した六ヶ国連合軍の手によって潰えようとしている。
魔族が死んでいく。
人類の反撃が始まってから、この偉大なる魔王軍は滅びの道へと突き進みつつあった。海で敗れ、空で敗れ、そして陸で敗れる。東で、西で、南で、北で敗北が続き、戦線はじりじりと後退を続けた。
魔都ヘルヘイムから僅かに10キロの地点に設けられた野戦司令部には無線で次々に悲痛な魔族たちの叫び声が届く。
「東部戦線崩壊寸前です! 援軍要請!」
「我に余剰戦力なし! 死守せよ!」
「敵突撃軍集団、もはや魔都ヘルヘイム突入間際です!」
「なんとしても死守せよ! 近衛軍は総力を挙げて死守だ!」
もはや、栄華を誇った魔王軍の姿はなく、かつて魔王軍の統治していた領土まで征服され、六ヵ国連合軍の兵士たちが征服した地域に住まう魔族たちを殺し、辱め、拷問し、勝者としての特権を味わいつつあった。
前線部隊は進軍を続け、魔術によって暗闇に覆われた魔王城まで迫りつつあった。
「これが傲慢さの報いなのだろう」
魔王軍四天王のひとりにして不老不死の魔術師“ラインハルト”はそう呟く。
彼の容姿は20代後半ごろと若く見えるが既に数千年を生きている。その髪は不老不死に至るまでの苦痛と困難によって真っ白く色が抜け落ちており、その長い髪を後ろで結んで纏めている。そして、その細い体には近衛軍の黒い軍服を纏っていた。
「守るべき民を守れず、蹂躙される。男は殺され、女子供は辱められてから殺される。村が焼け、都市が焼け、そして城が焼ける」
今、勝者の蛮行が繰り広げられている。
男たちは建物ごと焼き殺され、女子供は何十人という男たちに辱められてから、射的の的にされる。そこに尊厳はなく、命は鳥の羽よりも軽い。
「いやあっ! 助けて! お願いします!」
「魔族風情が喋るんじゃねえよ! 貴様らが人の言葉を喋るなど吐き気がする!」
「お願いです、娘だけでも!」
「貴様ら魔族は根絶やしだ。赤子のひとりも生かしてはおけん!」
軍の将校も、兵卒も、魔族を虐げ、弄び、最後には殺す。
だが、それをラインハルトたちが非難することはできない。ラインハルトたち魔王軍も戦局が好調に進んでいたときには同じことをしていたのだ。それが我が身に返ってきたのだから非難できるはずがない。
結局、戦争とはそういうものなのだと思うしかない。
ラインハルトはそんなことを考えつつ、魔王自ら防衛を命じた魔王城を守っていた。
「しかし、仮にも神聖条約を名乗る条約で同盟した国々が、野蛮の限りを尽くすとはな。やはり魔族も人も所詮は獣に過ぎないということか」
ラインハルトは魔王軍四天王として戦場を見てきた。
戦場に天使はいない。誰もが平気で蛮行を行う。捕虜を見せしめに殺すのは魔王軍と六ヵ国同盟のいずれもが行っていたことだ。
勝てばそれでいい。勝てば責任を追及されることはない。
だが、不幸なことに魔王軍は敗北への道のりをもはや終わりの方まで歩いてきている。魔王軍は敗者となり、その責任を追及されるだろう。勝者の正義が魔王軍を裁き、恐らくは根絶やしにされるに違いない。
「戦力差は歴然。よくぞここまで派手な戦争を繰り広げたものです、魔王陛下」
六ヵ国連合の物量は凄まじいものがあった。全てを蹂躙できるだけの軍隊を動員し、緒戦の敗北から立ち直ったのである。
そして、魔王軍の方は緒戦の勝利を活かせずに、敗北に向かっている。
「滅びの音が聞こえてくる。死神の足音だ。さあ、敗北が、惨めな死がやってくる」
楽し気にラインハルトは歌う。
「ライン、ハルト……」
そこに傷だらけになったドラゴンが倒れ込むようにして姿を見せた。
「これは魔王陛下。まだ生きておられたとは。ですが、我々の敗北はもはや覆しようのないものとなっています。滅びの時が来たのです」
「戯け……。我々は滅びは、せぬ……。再起するのだ……。再び……」
「戦い続けろと。私に戦い続けろと仰るのですね? 無様にも生き残った敗残兵たちを率いて、惨めに泥を啜りながらも、かつてない恥辱と屈辱を味わい続けながらも、それでも戦い続けろと。そう仰るのですね?」
「そうだ……! 戦え! 戦い続けろ! 全ては……」
ガクリとドラゴン──魔王ジークフリートの体が崩れる。
「全ては勝利のため……。魔族たちの栄光のため……。我らが魔族が支配する世界を作るため……。戦い続けろ、ラインハルト……!」
倒れた魔王ジークフリートを見て、ラインハルトが口角を釣り上げる。
「不老不死の魔術師となり、賢者として愛されていた私は死んだ。人は私を化け物と呼び、蔑み、迫害した。だが、それでいい。私は今日この日に本当の化け物となろうではないか。正真正銘の化け物となろうとではないか」
ラインハルトを中心に巨大な黒い魔法陣が広がる。
「今こそ汝の名を呼ぼう! どのような邪悪よりも悪しき存在にして、どのような暴君よりも恐ろしく、どのような欺瞞や裏切りよりも濁り切った、この世の陰に潜みしもの! 汝の名を今、高らかと叫ばんとす! 全ての死者の魂を、憎悪を、苦しみを汝に与え、その名を呼ぼう! 大悪魔ラルヴァンダードよ!」
魔王ジークフリートの死体が歪む。それはどろりと形を失って溶けていき、真っ赤な血と肉の塊となって、最後は魔法陣の中に吸い込まれて行った。
「ボクの名を呼ぶものは君か?」
やがて魔王の死体が消えた魔王城の王座の間にひとりの少女が現れる。
長い長い濡れ羽色の長髪。血のように真っ赤な瞳。邪悪さのかけらも感じられぬはずなのに底知れぬ原初の恐怖を呼び起こすあどけない童顔の少女。
「しかり。私の名はラインハルト。供物は気に入っていただけただろうか?」
「考えたね。戦争をボクを召喚するための儀式に利用するとは。かつてないほどの生贄。かつてないほどの悲劇。かつてないほどの憎悪。ああ、確かに素晴らしい供物だよ、ラインハルト。君はボクを満足させた」
少女はくすくすと楽しげに笑う。
「しかし、魔王軍もよりにもよって君のような男を最後に残しておくとはね。ジークフリートは、あの年老いた竜は、最初からこうなることを予想していたのかな? 自分が敗れ去り、最悪の人間にバトンが渡るのを理解していたのかな?」
「私は所詮は四天王の末席です故」
「君が? 誰にも気づかれず、この悪趣味で、最低で、恐ろしく高度なこの世界の魔術の仕組みそのものを変えてしまうような生贄のシステムを構築した君が末席? 謙遜も過ぎれば嫌味になるってことを教えておいてあげよう」
だが、事実ラインハルトは四天王最弱と見做されていた。
少女がつかつかと魔法陣の周りを歩く。
「さて、そんな君からのお願いを聞いてあげよう。叶えてあげよう。君はこの哀れで、惨めで、破局的な戦争の先に何を望むのかな?」
赤い瞳が滴り落ちる血の色を放って輝く。
「力を。戦争を続ける力を。この未曽有の戦争の先に決して平和が訪れぬように。そのためには今の姿形を、魂すらも変性させて構わない。だが、私の戦争を追い求め続ける精神だけは決して変わらぬようお願いしたい」
ラインハルトは少女に対してそう宣言した。
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