8・前勇者エーコ
アンジェラちゃんと勇者が泊まる宿は、いわゆる高級宿と呼ばれる場所だった。
ちょっと待ってよ、私には明らかに場違いな所ですよ! 宿泊費が一体いくらになるか想像もつきませんよ。
そんなオロオロしている私の様子を見てかどうかはわからないが、アンジェラちゃんが「お代のことは気にしないで下さい、シオン様のご厚意ですから」とにっこり笑った。
えええっ、勇者ったら大丈夫なの? 貴族とかが泊まる宿、三人分だよ? 勇者を見ると任せとけと白い歯を見せながら、良い顔でサムズアップを決めていた。
おおっ、そうか、私より若いけど勇者は伯爵クラスの権力を持ってるはずだし、王国のバックアップもあるだろう。全然余裕だよね。
……いい加減、心の中の彼の呼び名を勇者からちゃんと名前呼びにしてあげよう。酒場の無礼は水に流すとするか。反省してたし、普段はちゃんと礼儀正しいからね、勇者シオンは。
私が彼への評価を見直したのにもかかわらず、後で割り勘ですよと言われた日には、彼への好感度は駄々下がりになるのは言うまでもない。そうなったら一生恨むからね。
普通の町娘には永遠に縁のない王侯貴族が宿泊するような部屋で、その部屋に劣らない程の高級な食材を使われ一流シェフが調理をしただろう、私にはあり得ないクラスの食事が運び込まれそれを頂いた。
小市民の私は当然ながら緊張で味なんかわからなかったよ……。
いや、だって仕方ないじゃん、もったいないとは思ったけど無理だって。着替えたアンジェラちゃんは何処のお嬢様って感じだったし、私も着たことのないような高級な服に着替えさせられ、彼女からお姉様扱いだよ。そりゃ宿の人も私がどこぞのお嬢様かと勘違いするって。
ちなみに最低限の食事マナーは何故かわかっていた、記憶喪失以前の自分が覚えていたのかもしれない。
勇者であるシオンは慣れたもので、私達を華麗にエスコートしてくれていた。
彼はこういう場所より定食屋みたいな所の方が落ち着くと以前語っていたが、ちゃんとこういう所のマナーも身に着けているんだな。感心感心。
その後、部屋が丸々入るくらいの面積の湯舟が設置された浴室で入浴タイムだ。もう豪華すぎて訳がわかんないよ。あっシオンとは当然浴室は別だからね。
ふぅ、アンジェラちゃんスレンダーだと思ってたけど、意外と着瘦せするタイプだったのか……私より年下なのに既に私に迫るお胸だ、いや私もそんなに大きくはないけど、こりゃあ数年後には確実に抜かれてるなぁ。いや羨ましくはないぞ、羨ましくは……。
シオンの泊まっている部屋にアンジェラちゃんと共に赴きドアをノックする。すると勇者様が直々に出迎えてくれた。まぁ部屋には彼しかいなかっただけだけど。
部屋の中に通され明らかに高価なソファーにオドオドと落ち着きなく腰掛ける私。
シオンはともかくとして、アンジェラちゃんも平然と着席するのを見て、その堂々たる仕草に感心する。肝が座ってるというか場慣れしてるというか年下なのに頼りになりそうだ。
テーブルにはティーポットとカップが用意されていて勇者であるシオン自らお茶を入れてくれた。流石に勇者に雑用をさせるのは恐れ多いので、給仕の経験がある私が変わろうと申し出たが断られてしまった。
そう言えば勇者パーティの仲間たちは今回は一緒に来てないんだ? 疑問には思ったが私の立場で立ち入ったことを聞くのも失礼かと思い、口には出さなかった。
「エリーさんは前勇者をご存じですか?」
前勇者? 以前シェスさんと話をしてた時に前勇者の話がちょっとだけ出てきた程度で……うん、知らないな。
「すいません、詳しくは知らないですね」
ストレートに「知らない」とだけ答えると、無知で馬鹿っぽく聞こえるのでちょっと言葉を濁してみた。意味のない無駄な事だとはわかってるけどさ。
「そうですか。前勇者であるエーコが当時の魔王を倒してまだ三年だということはご存じだとは思いますが、その勇者エーコは魔王を打倒した後、未だに行方知れずで生死も定かでありません」
……え、魔王は倒されてるの? しかも三年前って、つい最近じゃん! えっちょっと待って、じゃあ今の勇者であるシオンは何と戦ってるのよ?
「魔王配下の唯一の生き残りである四大魔将の一人が残存兵を集め、自ら魔王を名乗り魔王軍を再活動したのが二年前。俺はその時に勇者になったんだ」
ほうほう、魔王軍を完全に壊滅させることができなかったと、現在世界は忙しない状況だったんだね。ん、二年前というと確か……。
「私の住んでいた村が魔物の群れに襲われたのがそのくらいの時期だったような……」
「やはりそうですか。あの山には聖域があるという噂で、山自体が人を寄せ付けないようになっているそうです。魔王の復活で山の麓にある森の魔物が活性化した可能性が高いですね。そのせいで村が魔物の群れに襲われたのではないでしょうか」
「成程、そうかもしれませんね。しかし聖域ですか」
「あくまで噂ですよ、今回の討伐で山全体を探したわけではないですが、聖域は見つからなかったですし」
私が村にいたのが一年程だし、村が崩壊してエスナの町に住んでたのが二年で計三年。前魔王が倒されたのが三年前……。いや、何でもないよ、何でもないってば!
「エーコ様が生きていれば丁度お姉様くらいの年齢ですよ」
「そうだな、髪も瞳も俺と同じ黒色で、聞いていた前勇者エーコの容姿によく似ているし」
アンジェラちゃんとシオンが私を見て頷き合う。
絶対によからぬ勘違いをしてるよ、二人共。
「エリーさんもう一つ質問です。村でエカテリーナと名乗っていたいたのは何故ですか? 記憶喪失でも名前は覚えていたのですか?」
ああ、その話はまだシオンとアンジェラちゃんにも言ってなかったね。
「名前も忘れてたよ。ただ私が所持していた高価そうな杖にエカテリーナと名前が彫ってあったんだ。名無しだと都合が悪いだろうからって、村長がエカテリーナと名乗ったらどうかって進めてくれたの」
「つまりエカテリーナは本当の名前ではないと言うことですね」
「当然エリーもお姉様の本当の名前ではないと」
またまたシオンとアンジェラちゃんが頷き合う。
……違うからね、二人が考えてるような立派な人じゃないからね?
「話は変わりますがエカテリーナと言う名前はこの国の王女様の名前なんですよ」
そういえば定食屋の店長がそう自慢してたのを思い出した。自分と同じ名前を付けるとは良いセンスだと。あっちは店長のことなんて知るはずもないのにね。
「そして勇者エーコはエカテリーナ王女ととても仲が良く、王女様からよく贈り物を頂いていたそうですよ、剣とか鎧とか勿論杖も」
「へ、へぇ~、そうなんですね」
「お姉様、大事な人への贈り物に送り主の名を刻むなんてロマンティックだとは思いませんか?」
「そ、そうかな……」
アンジェラちゃん、ちょっとその思いは重いような気がするよ。いや駄洒落じゃなくてね。
「そういう訳でエリーさん、明日俺達とある場所まで一緒に行ってほしい所があります」
「え、ある場所って何処ですか?」
「それはついてからのお楽しみですよ」
……それって、拒否権のないやつじゃん。何か嫌な予感がするんですけど?
「やっぱりお姉様が……」
いやまさか私がその勇者エーコだと思ってないよね? 絶対そんなことあるわけないじゃん、私ただの町娘だよ? いや今は冒険者か、でも仮冒険者で本冒険者にもなれないヘタレなんだよ私。
「では明日に備えてもう寝ましょうか。シオン様、私達は部屋に戻りませね。さぁ行きましょうお姉様」
「あ、ああ、おやすみ……」
残念そうな顔で私達を見送るシオン。流石に一緒に寝るわけにはいかないしね。
私とアンジェラちゃんは同室だ。寝室にはベッドが二つ並んでいたのだが、何故かアンジェラちゃんは私と同じベッドに潜り込んできた。
ふむ、きっと寂しいのかな。気丈に振舞っていても私よりは年下だしね。
でも、ニヨニヨ笑いながら私の身体を触るのは止めてほしいな、くすぐったいし。
仕方ない、寂しくないように少し強めにアンジェラちゃんを抱きしめると「うぐっ」と短く声を上げて大人しく眠ってくれた。今日色々あって疲れたんだろうね。おやすみアンジェラちゃん。
翌朝、目が覚めるとアンジェラちゃんの天使のような寝顔が目に入る。うん、可愛い。年相応のあどけない寝顔だ。
私が思うにシオンはアンジェラちゃんに気があるよね。だってこんなに可憐なんだもの。私が男だったら絶対に放っておかないよ。
部屋に設置された洗面所で身支度を整える。私が今住んでる冒険者ギルドの宿舎にも、それ以前に住んでいた定食屋の住み込み部屋にも当然部屋に洗面所など付いてはいない。流石、高級宿だ本当に便利である。
寝室に戻るとアンジェラちゃんが目を覚ましていた。だけどベッドの上で上半身を起こしたままボーっとしていた。ひょっとして低血圧なのかな?
「な、なんてこと……私いつの間に眠ってしまったのかしら、せっかくのチャンスだったのに」
はて、チャンスって何のことだろう? ああ、寝ぼけてるみたいね。
私が「先にシオンの部屋に行くね」と言ってドアにの方に歩いて行くと、慌てて飛び起きて腕を掴まれ止められた。
もう寂しがり屋なんだから、仕方ないなぁ。
結局、アンジェラちゃんの支度ができるまで部屋で待ってから、シオンの部屋へ赴いた私達。
昨夜同様に私達を待っていてくれたみたいで、ドアをノックすると間髪入れずに扉が開き、直ぐに昨日の高級ソファーに案内された。
ソファーの座り心地、手触りは非常に良いものだが、高級品だと考えるとなるべく座りたくはない、高級品には慣れないなぁ。
私は根っからの小心者なのだと確信した。自慢気に言うことではない? うるさいわ!
今日も私の一人ツッコミと一人ボケは絶好調だった。
しかし昨日も思ったがシオンが妙に紳士である。何度も言うが定食屋での彼とは別人みたいだ。やはり彼は私が睨んだ通り、アンジェラちゃんの事を意識しているのだろう。好きな人の前ではかっよく振舞いたいものだよね少年。
そうなると私は邪魔者ではないだろうか?
「では、後はお若いお二人で……」
「「何を言ってるのですか!」」
私が立ち上がると、二人同時に私のそれぞれの手を掴みソファーに再度着席させられたのだった。勇者であるシオンに護衛を頼み、彼もそれを了承してここまで一緒に来たのに、まだ照れくさいのだろうか? 仕方ないお姉さんが一緒にいてあげよう。
私が思いを巡らせている間にアンジェラちゃんがお茶を入れてくれた。ああ、私がやったのに。
一般人には到底手に入れることはできない高級茶葉を使用したお茶を頂く。むぅシオンより入れるのが上手いな。可愛い上にこの手際の良さ、本当に優良物件ですよシオン、頑張って落としなよ。
「ではエリーさん、暫くはこのエスナの町に戻ってこれなくなりますので、私物があるなら俺に言って下さい、収納魔法で運びますから」
な、何ですと?
私物ごとって、一体どのくらいお泊りさせる気なの? いえ、それって遠回しに引っ越すよって言ってない?
……でもまぁ、この町に愛着があるわけじゃないし、別いいか。
「シオン様、私にはアンジェラちゃんのお父様から頂いたマジックバックがあるので、ご心配には及びません。ただちょっとした私物は冒険者ギルドの宿舎にありますのでそれを取りに行きたいのです。それと宿舎の解約もしないといけないので」
「そうですか……え、宿舎?」
「ええ、私は今そこでお世話になってますので」
「ちょっと待って下さいエリーさん、だってあそこは……アンジェラそれは本当なのか?」
「私も初耳です、何故エリーさんがそのような所に住んでいるのでしょう?」
ええ、そんなの私の所持金が心もとないからに決まってるじゃん。アンジェラちゃんの父であるシェスさんから頂いた魔物の猪の代金を使い込めば、それなりの所には住めるだろうけど。蓄えはあった方がいいし、当然お金は使えば無くなるものだしね。
「エリーさんは定食屋で働いていたのは確かだが、アンジェラの父である大商人のシェス氏の勧めで冒険者になったんだろ? シェス氏程の方がそう言うのなら冒険者ギルドの宿舎に住むようなことにはならないはずだが……」
「そうですね、父に頼んで直接ギルドマスターに推薦するべきでした。あの時はエリーさんなら直ぐに好待遇で冒険者に迎え入れられると思っていたので」
アンジェラちゃんとシオンが気難しそうに私の待遇について話してる。この二人は私のことをちょっと勘違いしてるのではないだろうか? 私はそこらへんにいる町娘が冒険者になったくらいしか能力のない人間なのに。実際に本冒険者になるための査定にも落ちて仮冒険者のままだしね。
「もしかしてこの町の冒険者ギルドの宿舎は特別で、凄く環境の良い宿舎だとか?」
「いえ、冒険者ギルドの宿舎なんて、どこもそんなに良い施設ではなかったはずですが……」
確かに今ここにいる高級宿と比べたらお粗末な宿泊施設だよ。もう、比べるのが申し訳ないくらいに。この高級宿と比較したら雨風がしのげる程度の宿には間違いないね。
そんなことより、何故私が冒険者になったら好待遇で迎え入れられるのかがわからない。いやいやそれより大商人シェス氏ってどういうこと? シェスさんそんなに大人物だったの? 何でそんな人が行商人をしてフラフラ出歩いているのよ!
「ともかくシオン様、出発する前に冒険者ギルドに寄りましょう。丁度昨日エリーさんが買い取りに出した魔物の代金を受け取りに行くことになってますので」
「そうなのか。その魔物ってのは?」
「ワイバーンです」
「ワ、ワイバーン?!」
「しかも十体」
「じゅ、十体?!」
「お姉様ですから」
「そ、そうだな、エリーさんだからな」
あれあれ、何で呆れた様子で私を見るのかな? 何で私だからなんですか、失礼しちゃいますね!
その後高級宿をチェックアウトして冒険者ギルドに向う私達。
勇者であるシオンが一緒なので町を歩くと視線が集まり注目の的だ。この町にいた期間割と長かったしね勇者の面が割れてるのだ。
私は目立つのが嫌なのでシオンからできるだけ離れようとしたが、何故かシオンの方から私に近付いてくる。嫌がらせか? 嫌がらせなんだな! ひょっとして定食屋で土下座したことをまだ根に持ってるとか? あれは私が強制したのではなくシオンが勝手にしたんでしょ! 私を恨むのは筋違いだよ、もう。
結局私とシオンの間にアンジェラちゃんが挟まる形で落ち着いた。でももうすぐ冒険者ギルドに到着するけどね。
冒険者ギルドの敷地に着くと裏手に回り宿舎に直行する。ついてこなくてもいいのにアンジェラちゃんとシオンも一緒に宿舎へ。まぁ別にいいけど。
私の借りている部屋を覗き込み、二人共揃って目を見開き口を半開きにしていた。
「エ、エリーさんって倹約家なんですね……」
第一声がそれか! はいはい、勇者様と比べれば貧乏人ですよ私は。
「どうしたんだアンジェラ?」
シオンの問いかけにアンジェラちゃんは指を顎に当てて、難しい顔で考え込んでいた。
「お姉様の待遇についておかしな事が多いのです、嫌な予感がしますね」
「そうだな……」
ええっ、嫌な予感って何よ? シオンまで同意しちゃってさ。
私は私物のシーツや置きっぱなしの生活必需品等をマジックバックに放り込む。この間僅か数秒、マジックバックって便利だね。
え、マジックバックがあるなら最初からそこに入れとけって? どうせここに住んでいるんだからいちいち出し入れするのも面倒だったんだよ。まさかこんなに早くここを出ていくことになるとは思わなかったからさ。
宿舎の解約を済ませ、妙な顔つきの二人を連れ冒険者ギルドの表にまわった。
冒険者ギルドの出入り口で見知った人とすれ違う。定食屋の店長によく似ていたけど人違いかもしれないな。それにしても凄く嬉しそうな顔してたなぁ、私に気付いてなかったからどうでもいいけど。
そんなことより、買い取り金を取りにいかないとね。今回は期待できそうだし。
シオンを先頭に扉を開きギルド内へ、途端にギルド内が騒めいた。勇者が一緒なのだ当然と言えば当然か。