1・町娘エリー?
魔王は倒された、勇者の手によって。
だがその代償は大きかった。勇者の従者は全て倒され勇者自身も既に虫の息だった。
魔王が鎮座していた魔王の間には、現在生存者がたった二名しかいなかった。勇者はそのうちの一人だ。
黒髪の少女の頭を膝に乗せ、心配そうにその様子を覗き込む緑色の髪の女性。静まり返ったこの場所に二人の会話だけが響き渡っていた。
「大丈夫だ、必ず上手くいく」
「その根拠は何処から来るのよ」
どうやら何やら相談をしているようだ、しかも会話からして成功率は高くないような口振りだ。
「時間がない、行くぞ」
一方が躊躇うのを無視して、もう一方が強引に杖を翳し魔法を発動させた。辺りに光りが溢れ一瞬にして輝きが収まると魔王の間には緑色の女性のみが残された。
「転送先が本当に聖地、癒しの湖ならたすかるだろう……」
薄暗く静かな魔王の間に瀕死だった黒髪の少女は何処にも見当たらない。ここには独り言を呟いた者以外は既に生きてる者はいなかったのである。
残された緑色の髪の女性は夢遊病者のようにフラフラと歩き出すと、魔王の玉座に身を置いた。そして目を閉じ動きを止める、まるで眠ったように……。
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私は職場で働くいつものワンピースのスカート姿ではなく、もっさりとした厚手のシャツとズボンというおよそ普段乙女が着ないような格好で、町から離れた森の中にいた。
「何故に私はこんな所にいるのかしら?」
つい口からそんな言葉が漏れてしまう。いや理由はわかってるが、その理不尽さに思わずそう口走ってしまっただけなのだが。
この国、いやこの世界は安全な世界ではない。
高い壁に囲れ守られた町から一歩踏み出せば、外には危険が溢れている。そう、野盗や獣だけではない、魔法が存在するこの世界では魔物や魔獣という定番のモンスター等も徘徊していたりするのだ。
そんな危険な町の外の世界で何故私が薄暗い森の中にいるのか、当然訳がある。
今を遡ること数時間前のことだ。
「エリーさん、猪の肉を調達してきてくださいな」
と、私の職場である定食屋の店長に無茶振りをされた為である。
いや猪の肉を手に入れるのは難しくはない、普通ならばだ。しかし何故だかその日は町の何処を探しても猪の肉は売り切れで、見つけることができなかったのだ。
問題はまだある、期限だ。
タイムリミットは今日の夕方まで、日はもうすぐ頂点に差し掛かる頃でもう数時間の猶予しかない。こういうのは前日に言ってくれないと困る。昨日のうちにわかっていたのなら朝早く出かけることもできたのに、出社してから店長に言われたので時間がなかったのだ。
「はぁ、店長は何で私にばっかり無理無茶を言うんだろう……」
ついつい愚痴をこぼしてしまうのも仕方のないことだと思う。実際に私以外の従業員にそんな意地の悪いことを言っている所など聞いたことがない。
店長に嫌われるようなことをした覚えはなんだけどなぁ……まぁ、好かれることもしてないけどね。
そういえば先週、至急兎の肉が必要だと言われ、何とかしてしまったのがいけなかったのだろうか? あの時も町中を駆けずり回って兎の肉を探したけどどこも売り切れで、今回と同じように森に出て魔物の兎を狩り、代用品にしてなんとかなったのだった。
そう、私が狩ったのは普通の兎ではなくて、魔物の方の兎だったのだ。普通の獣と違い魔物の兎の方が強いが、魔物の方は人を見かけたら襲い掛かってくるので探す手間が減り助かるのだ。
普通の獣の兎じゃなくて魔物の兎で大丈夫なのかって?
うん。魔物は普通に食べられるし、ものによっては魔物のほうが美味しかったりして以外と侮れない。
ただ魔物は体内に魔石なる物を持っていて、それを使い魔法を使用するので一般的には同種の獣より強い。今回狩る予定の猪の魔物や前回の兎の魔物などは魔法攻撃こそはしないものの強化魔法を駆使してくるので、一般の獣よりは注意が必要である。
でもまぁ、強いと言っても只の町娘である私が倒せるくらいだから、大したことはないのだけれどね。
町の外に出る時に、門番のおじさんに女性の一人歩きは危険だと注意されて「武器なら持ってますよ」と鉈を見せたら、苦笑いしてたっけ。きっと植物とかの素材を採集しに行くと思われたんだろうな。
まさか魔物の猪を狩りに行くとは思っていないだろうね。今の私の装いは狩りに行く装備ではないことは私でもわかる。でもこれ以上の装備を持ってないんだよね、私は一般の町民であって、危険な仕事も請け負う冒険者ではないのだから。
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な、な、何てこと? 大変なことになったよ!
「一匹でいいのよ一匹で。何でこんなに出てくるのよ!」
只の町娘である私が森の奥に足を踏み入れるのも躊躇われたので、比較的森の入り口付近の浅い場所をウロウロとしていた。
猪の魔物くらいならこの辺りを探していれば見つかるはずだった。案の定一匹の魔物の猪と遭遇し、私に襲い掛かかって来たところを返り討ちにしたところまではよかったのだが……。
その後から出てくるわ出てくるわ、魔物の猪の集団が次々と襲い掛かってきたのだ。
最初のうちは鉈で切り殺していたのだが、段々と切れ味が落ちてきたので鉈を逆さまにして刃の反対側の背の部分で殴り殺すことに切り替えた。
意外とこちらの方がテンポよく猪を始末できていた。
切れ味が落ちてくると刃が途中で止まってしまうことがあるので、ならいっそ金棒のように猪の頭を叩き潰していった方が楽だったのだ。
しかし一体どれだけ出てくるんだろう? いい加減腕が疲れてきたなぁ。
猪は一匹で十分なので、倒した猪は放置したままだ。最後の一匹を持ち帰ればいいのだが、その最後の一匹になかなかならない。
むぅ、仕方ないなぁ。
私は猪を倒しながら森の中から道に出るように移動することにした。いつまでも湧いて出てくる猪を始末し、死骸の山を残しながらやっとのことで道に出たのだが……。
「何これ?」
道に出ると森の中以上の猪が溢れかえっていた、勿論魔物の方の猪がだ。
よく見てみると猪達は道の中央で立ち往生している馬車を取り囲んでいた。
……襲われている? みたいだねぇ。
鎧兜で剣や槍を奮って馬車を守っている二人の護衛と思われる方々。馬車後部の幌が覆われてない場所に小太りのおじさんと少女が武器を持ち、馬車に突撃してくる猪と奮闘していた。
一方私の方は、突然森の中から現れた私に道にいた猪達が目を付け、次々と襲い掛かられていた。しかも森の中からも猪が襲い掛かってきているので、逃げることもままならない。
こりゃあもう仕方ないよねぇ、護衛の方たちもいることだし協力して猪を殲滅するしかない。
私は覚悟を決めた。
時間にして一時間も経たないうちに事態は収まっていた。
道には魔物の猪の亡骸が無数に横たわっていた。襲われてた馬車は多少傷ついていたが、中にいたおじさんと少女に怪我はないみたいだし、護衛の二人は傷を負ってはいるものの、命に別状はないなさそうなので一安心だ。
馬車を引いている馬も平気そうだ。馬がパニックになって暴走したら大変なことになってただろう。ちゃんと調教されてたのか、それとも怖くて動けなかっただけなのか? でもまぁ、只の町娘の私が倒せるくらいだからそんなに怖がる必要もなかっただろうな、うん。
おっと、私はこんな余計なことを考えている暇はないのだった。猪を持ち帰りいつも店で贔屓にさせてもらっている肉屋さんに最速で解体をお願いしないと。割増料金を取られるだろうけど流石に経費で落ちるだろうから問題ないはずだ。
私はまだ呆けている馬車の一行に軽く会釈をしてから、たくさん転がっている魔物の猪の中から程度の良さそうな一体を背負い、立ち去ろうとした。
「はっ! ち、ちょっと待って下さい、そこのお嬢さん!」
何だろう、襲われていたのは私のせいではないよ? 私も被害者だしさ。それに私、急いでいるんだけどな。
言葉をかけてくれた小太りのおじさんが私を引き留める。
馬車を守っていた二人の護衛さんが私に近づいて来たのでちょっと警戒したのだけど、単に頭を下げてお礼を言ってくれただけだった「助かったよ」って。
確かにここら辺に倒れている魔物の猪はほぼ私が倒したものだし、途中から殆ど戦力になってなかったからね。怪我してたみたいだし仕方ないことだと思うけど、女の子一人に戦わせるってどうなのよ?
まぁ、いいけどさ。
小太りのおじさんが私を呼び止めたのは、ちゃんとお礼がしたい為だったようだ。
べ、別にお礼の品を期待してたわけではないのだ。本当だよ?
私は今、馬車の中で小太りのおじさんと少女から何度もお礼を言われていた。魔物の猪を倒しただけで、そんなに大した事してないのにね。それに私も襲われていたから、ついでと言えばついでだったわけだし。
小太りのおじさんは行商人、つまり商人さんで、少女の方は商人さんの娘だとか。しかしこの少女よく見るとかなりの美少女だ。う、羨ましくなんてないないよ、羨ましくなんか……。
何故だか少女の方は顔を赤らめ私を呆然と見つめていた。ふむ、まだ猪に襲われたショックが抜けないのかな。怖かっただろうからねぇ。
そして私は顔を引き攣らせているた……そりゃ引き攣りもするよ、私の血まみれになった服を見て代わりの服を用意してもらったのはいいが……この手触り、この光沢、明らかに一般平民である私が着れるような衣服ではない、高級品の服であるからだ。
一体いくらくらいするのか怖くて聞けないよ。
「助けていただいてありがとうございます。私は見ての通り行商を営んでおりますシェスと申します。こちらは娘のアンジェラです」
「ア、アンジェラです、ありがとうございましたお姉様!」
お、お姉様? う~んお姉様かぁ。まぁ、美少女にそう言われるのは悪い気がしないから、別にいいか。
「これはご丁寧に、私はエカテリーナと申します」
私は名乗った、エカテリーナと。
いや、別に偽名ではないよ?
私の名はエカテリーナで間違いない。エリーという名は定食屋の店長に付けられた名前なのだ。
何故? うん実に酷い話なのだ。
実は店長の名前もエカテリーナだったのだが「エカテリーナという名前は私のような気品のある者が名乗る名前だよ、偶然にもこの国の第一王女様と同じ名前なのさ。王女様の名前を付けた人はわかってると思わないかい?」と、きたものだ。
続けて「お前は今エリーの住んでいた部屋に住んでいるんだったね、じゃあお前の名前はエリーでいいじゃないか」と訳の分からないことを言われたのだ。ちなみにエリーとは私と入れ違いに辞めていった住み込みの従業員だった人らしい。
それからというもの同僚どころか馴染みのお客様にも本名で呼ばれていない。多分全員が私の名前をエリーだと思っているだろうな。
確かにエカテリーナという名は畏まった感じがして、私には似合わない気は自分でもするし、正直に言うとエカテリーナという名前に愛着があるわけでない。、不便も感じてないので別に構わないけどね。
あ、今はそんなことより……。
「この服、町の戻ったら綺麗に洗濯して返しますので」
「いえいえ、その程度の服など差し上げます。お気になさらずに」
気にするわ! 後で請求なんかされないだろうね?
「ええっと、ありがとうございます。それで魔物の猪ですが私は一匹分あればいいだけですので……」
「そうですか、それでしたら」
シェスさんは護衛の二人に指示を出して倒された魔獣の猪を集めさせていた。猪は百匹を下らないよ、そんなに持っていけないでしょ? と思ったのだが、そこは流石商人、マジックバックなる大量に物を収納できる魔法の鞄を複数持っていて、問題なく持っていけるそうだ。
丁度隣の町で商品を売り払い、私の住んでいる町で大口の商品を仕入れに行く途中で現在荷が少なかったのも幸いしたらしい。
シェスさんが私の倒した猪を買い取ってくれるとのことだ。勿論猪といっても魔獣の方の猪なので買取価格も割増だ、どうせ持っていけないから放置していくともりだったので非常にありがたい。
ところで護衛の二人が猪を集めに馬車を離れてよかったのかな、私が居た森の中まで入って行ったけど……え、私がいるから平気? こんな町娘に何言ってるんだか。
「こちらに精肉されたジャイアントボアの肉が一匹分ございます。エカテリーナさんが倒されたワイルドボアの上位種でして、こちらを差し上げましょう」
「え、いいんですか? ありがとうございます」
「いえいえ、こちらもも百匹以上のワイルドボアを売っていただけるのです、構いませんよ」
おお、この肉があれば店長から文句を言われることはないよ、ありがたやありがたや。
「ところで父様、森の中の道とはいえ、このような魔物が大量に現れるなんて、やはりアレのせいなのでしょうか?」
「ふむ、おそらくそうであろうな。しかしこのような数に出くわすとは予想外だったぞ。信用できる護衛をもっと雇っておくべきだったな」
どうやらもっと多くの護衛がいたらしいのだが、魔物の多さに途中で雇い主であるシェスさん達を置いて逃げてしまったらしい。さっきいた二人の護衛は逃げ出さないで雇い主の親子を守っていたのだ。
そうかそうか、ちょっと顔が怖い人達だったけど真面目で良い人達だったんだね。だけどいつの世も真面目な人が割を食うのはいただけないよね。こんな世の中だし仕方ないのかなぁ。
おっとそうだ、シェスさんとアンジェラちゃんは魔物の猪が沢山現れた原因に思い当たることがあるみたいだけど。
「あの、魔物の猪が大量に出てきたことに心当たりがあるのですか?」
「おや、エカテリーナさんはご存じなかったのですかな。最近勇者様がこの近くに住む魔物を討伐しようとやってきたのですが、討伐の影響で山に近いこの森の魔物達に影響が出ているのです。討伐区域から逃げたり移動したりする魔物がいて今回のような大規模な群れに遭遇することは珍しくはないのでが……流石に今回は予想外に多すぎましたが」
「勇者様はエカテリーナさんの町に滞在しているそうですよ、エカテリーナさんが住んでいるのはこの先のエスナの町ですよね?」
「ええ、そうですよ」
アンジェラちゃんの言う通り私が暮らしてる町はエスナの町だ。
しかし勇者様が来ているなんて知らなかった。いや、店に来るお客や同僚がそんなことを言ってたような気がするな。毎日忙しくて気にも留めてなかったよ。
ひょっとして前回の兎の肉や今回の猪の肉が一時的に町から無くなった件も関係してるのかな? 無関係ではない気がするなぁ。だってよく出回る食材の兎や猪の肉が丸ごと市場から無くなるなんてことはなかったからね。
「エカテリーナさんも運が良ければ勇者様と会えるかもしれませんね。ただ前回の勇者様も変わり者だったと噂でしたが、今回の勇者様も中々の変わり者らしいですよ。勇者様というのはそういうものなのですかな」
シェスさんは笑いながら私にそう話す。
今回の勇者って、少し前まで別の勇者様が居たの?
私が何となくそのことについて聞こうとした時、大量の魔物の猪を詰めたであろう魔法の鞄を沢山抱えた護衛の二人が帰ってきた。まぁ別にいいか。
彼等はその鞄をシェスさんに渡した後、私に近付くと声をかけてきた。
「お嬢さん、あんた凄腕の冒険者だと思うが、なんであんな格好してたんだ?」
「ああ、俺も気になってたんだ。まるで薬草採取にでも行く格好じゃないか。それにその武器だが、どう見ても鉈にしか見えないんだが」
護衛さん達が不思議そうに首を傾げる。
「あの、私は冒険者ではないのですけど?」
「はぁ、あんなに強いのにか、嘘だろ?」
「はい、私は只の町娘ですが」
「「「「……」」」」
どうしたんだろう四人とも目を見開き口をあんぐり開けて固まってしまった。
あれ、私、何か変なことを言った?
遠くの鳥の鳴き声がよく聞こえるくらいに沈黙した時間は優に五分は続いた。