音よ 夢となれ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、子供の時のプレゼントって、大切にとってある派か?
断捨離、とはいっても自分の足跡って、できる限り消したくないと思うの、俺だけかねえ。
思い出でもあり、戒めでもあり……ふとした拍子にそいつを見ると、涙さえにじんでくる心地にさえなる。ノスタルジーというか、無垢なあの頃の空気に、心がほだされることがよくあるんだ。
正直、俺には悔いがある。人からの注意を守らなかったばかりに、取り返しのつかないことになってな。いまでも引きずり続けているんだ。
最近、またその物品を見ちまって、ぶわっと昔のことがよみがえっちまってよ。
聞いてくれるか? 少し気が楽になるかもしんない。
俺が小さい時、じいちゃんにプレゼントしてもらった中に、メリーゴーランドをかたどったろうそく立てがあった。
てっぺんの傘の部分に、ろうそくを差すことができてな。そのろうそくに火をつけて少し経つと、音楽が鳴り始めて馬たちが回り出す。更にクラシックの曲がいくつか入っていたらしく、それらがランダムで演奏された。
俺にはさっぱり仕組みが分からない。じいちゃん曰く、友達にこのような小物を作るのが得意な人がいて、いくつかを購入。そのうちのひとつを、プレゼントして俺にくれたそうなんだ。
だが受け取るとき、じいちゃんが俺に少し気味が悪いことを教えてくれる。
「こいつがな、ひょっとしたらろうそくを立てていないとき、勝手に鳴り出す時があるかもしれん。そんなときには、できれば隠れ、それが無理なら動かずじっとしとくんじゃ。
よからぬものが近づいているのでな」
受け取ったばかりの時は、本気でびくついて、じいちゃんにつっかえそうとしたよ。だけどじいちゃんは、安全のためにも持っておけと譲らない。
このことは一応、家族で共有されたんだけど、親父もおふくろもその手の話にはさほど関心がない。件の説明も、孫の気を引きたいだけの与太話だといわれたよ。
俺自身は最初の半年くらい、警戒を怠らなかったものの、その間にじいちゃんがいうような勝手に鳴り出す事態には出くわさなかった。以降もなかなか出会えないときて、少しずつ警戒を緩めていたよ。
せっかくのプレゼントだし、使わないともったいない、という考えは家族で共通している。誕生日はじめとする祝い事で何かと引っ張り出され、ろうそくの明かりと共に、クラシックのメロディを食卓に提供してくれた。
仕事のないときは、ドリップコーヒーのパックや、シュガーボックスの並ぶガラス棚の中にちょこんと置かれている。もらって2年もするうちには、すっかり家具として、背景になじんだような心地さえしたよ。
最初に気が付いたのが、プレゼントをもらって4年後。俺が中学校にあがった頃のことだ。
クリスマスが近づいてきたんで、その日もこいつを使おうと思ってさ。試運転がてら、事前に何度か回してみようとしたのさ。
広げた新聞紙の上にメリーゴーランドを置き、傘のてっぺんにろうそくをセット。火をつけてほどなくすると、メリーゴーランドが回り出し、音楽が流れるんだが、何度か試して「おや?」と思った。
このメリーゴーランドに収録されているであろう曲は、全部で6曲。もらったばかりの頃に、ろうそくを抜き差しして100回近く確かめたから、まず間違いない。
そのうちの1曲が、どうしても出てこないんだ。確か、シューマンの「トロイメライ」だったと思う。
先と同じように、音楽が鳴り出してはろうそくを抜き、音楽が止まったら差し直す、という手順を繰り返した。以前は100回もやると、同じ曲に最低でも4回か5回はぶち当たった記憶がある。
それが今度は倍の200は数えているのに、1度も出てこないというのは、どういうことなのだろう。
ランダムなのだから、運が悪いといわれればそれまで。だが俺は納得できず、「次に差せば、今度こそ流れ出すんじゃないか?」という期待を抱きながら、もう100回ほど試したよ。
それでも、トロイメライがまた流れ出すことはなかった。曲名のとおり、夢となって消えてしまったかのように、ぱたりとな。
それから毎年のように、一曲ずつ。件のオルゴールから音楽が流れなくなっていった。
親は寿命が来たのだろうと話すが、俺個人としては納得していない。
もし本当に寿命なら、さびついた歯車が、動くたびに引っかかってしまうように、曲が途切れるなり、テンポが乱れるなりのノイズが入るはず。それも一曲に限らず、流れるすべての曲においてだ。
だが聞こえなくなる曲は、それこそ一音たりとも気配がなくなる。そして他の曲はもらったときと変わらず、よどみない旋律を提供してくれるんだ。
――家が留守のときに、誰かが手を入れているのか? でも、なんのために?
いろいろなことに追われていた俺は、この時までじいちゃんがしてくれた注意のことを、すっかり忘れていたんだ。
トロイメライが消えて数年。
すでに流れる曲は、ひとつだけになっていた。ヴィヴァルディの「四季」、そのうちの「春」だ。こいつも聞こえなくなったら、メリーゴーランドはお蔵入りになる。
俺はもう、何百回もろうそくを抜き差しするような真似は控えていた。流れる曲が絞れてしまった以上、むやみに命を縮める真似は避けたかったからだ。
その休日も、メリーゴーランドはガラス棚の定位置で、じっとしている。親は今朝から家を空けていて、珍しく俺一人での留守番だ。こんな日はカップラーメンに限る。
階段下の収納から、超大盛カップ焼きそばを取り出す。その仰々しい名前にたがわず、ひと箱で一日の大半のカロリーをまかなえるらしい。今日は外に出る予定もないし、多少時間をかけてでも、こいつを食べ切ってしまおうという魂胆だ。
雪平鍋たっぷりに水を入れ、コンロにかける。ご丁寧な包装を解き、中から出てくる相応の大きさのかやく、ソース、ふりかけを取り出し、指示に従ってかやくを麺の上へ振りまいた。
いよいよ後戻りはできない。お湯さえ注げば、あとはこの2000キロカロリー弱の怪物との一騎打ち。お湯になるのを待ちかねて、コンロの前に立ちながらじっと鍋を見つめるのも、四股踏んだ力士が、相手を見やるのと同じようなもの。
やがて俺はぐつぐつ泡立つお湯を見て、いよいよ雪平鍋を手に、流しへ移動させたカップの中へ、お湯を注ぎ出して――。
不意に、メリーゴーランドが鳴り出した。「春」を演奏しながら。
「え!?」と振り返りかけるも、じいちゃんの忠告もまた、俺の脳裏に電撃的にひらめく。「できれば隠れ、それが無理なら動かずじっとしとく」と。
これはあと数秒前だったらと思ったが、もう遅い。すこし傾けた雪平鍋からは、とくとくと焼きそばカップの中へお湯が注がれていく。
「春」の演奏が終わるまで一分と少しはあったが、いまのペースだと、とうてい間に合わない。すでにカップの半分近くまでお湯が姿を現わし、規定の線である8分目近くを目指している。
お湯は多めに沸かしてしまった。すべて注いでしまえば余裕でカップからあふれ出てしまうだろう。そうなればじっとしていることなどできはしない。
賭けだ。
俺はくっと手首を軽く返し、鍋の傾きをただす。お湯さえこぼれなければ、後はもちこたえられる。この瞬間だけ、うまくしのげれば……。
だが、力が入り過ぎてたんだろうな。鍋の残り湯は、俺がピタリと静止させるとともに、いくらかが波打ち、鍋の外へ飛び出してしまったんだ。
ボタタッ! と音を立てて、はがしきらない焼きそばカップのフタに、二滴、三滴。そこにも収まらないものが、カップのふちをおさえる指たちの上に……。
じっとしろなど、どだい無理。もろに食らった人差し指から湯気が立ち、遅れてやってくる痛さ、むずがゆさに、つい転がっていた台ふきに、バンバンと指を叩きつけちまう。
はっとした時には、もう遅い。「春」の演奏はピタリと止んでそれっきり。何秒待っても再開することはない。
振り向いた。そこには、変わりないガラス棚がたたずんでいる。中のメリーゴーランドも、他のポットたちにも異状は見られない。
だが、もうメリーゴーランドはろうそくを立て、火をつけてからいくら待っても、「春」も他の曲も、演奏してくれることはなくなったんだ。そしてとうとう、親からの宣言通り、俺の家の奥深くへ眠ることになったのさ。
――なに? こうして生きているんだから、じいちゃんの忠告も空振りに終わって良かったんじゃないか?
いや〜、ところがどっこいよ。やはり、言いつけを破ったつけが来やがった。
よーく聞いてろよ? こっちがあのとき、お湯を被った人差し指だ。こいつで床を叩くと……ほら、音が出ない。
――トリックとか疑ってんのか?
ほれ、トントントントントントントントントン。
どうよ? 他の9本指は、どこかにぶつけりゃ音が出る。でもよ、この人差し指だけはどうしようもないんだ。ピアノもインターホンのスイッチも、こいつで押す限りは音が出ねえ。
お前も、俺がこの人差し指でものを扱っているとこ、見たことないだろ? 自販機も親指で押してるしな。
どうもあの曲たちと一緒に、俺の人差し指は音を盗まれちまったみたいなのさ。




