東へ向かう夜汽車
教室を後にすると、廊下で青柳と出くわした。腕にかけられた紺色のスーツと手に持った菊の花が、ほんのりと濡れていた。どうやら背広で雨を凌いだらしい。
「どうだった?」
そう訪ねてきた青柳の目尻には細い皺が寄っている。やはり彼が若いという感覚は、ミエには分からなかった。特別歳をとっているとも思わないが、十分すぎるほどに大人だ。
「はい。謝ってきました」
「そうか」
ミエの反応に満足気に小さく頷くと、青柳は国語の準備室の扉を開いた。その横顔が、あまりにも悲しげで、思わずミエは青柳を呼び止めた。
「先生、」
ザーッ、と降り注ぐ雨の音が廊下に響いた。木製の床には、菊から落ちた雫で小さなシミが出来ていた。ひんやりとした風が、雨水を纏い渡り廊下から吹き抜けてくる。
「どうした?」
振り向きざまに、手に持った野菊が小さく揺れた。黄色いその花弁を見て、麦わら帽子を被った彼女を思いだす。
「そのお花は、女性からですか?」
青柳がこちらを向いた。細い皺が無くなるくらいに見開かれた目に、随分と穏やかな自分の表情が映りこむ。
「どうしてそう思ったんだ?」
「なんとなくです」
あの人の姿を思い出す。自分は、あんな顔が出来ているだろうか。優しくて綺麗な彼女のあの表情をできるだけイメージしてみる。
ミエの顔を見て、青柳は少しだけ目尻を拭った。ゴツっとした指が深く皺を寄せる。溢れた涙を隠すように、青柳は廊下の天井を見上げた。
「なんて言われたんですか?」
青柳はなにも答えなかった。ただ、見上げていた視線を手に持った野菊に移した。きっとそれが答えなんだと思った。
「後ろ髪を引かれたい時だってあるんじゃないですか?」
「そうだったかもな」
それでもだ、と青柳は続ける。
「幸せにならなくちゃいけないだ」
それは、先生が決めることなんですか? とミエは問いただしたくなった。それでも、喉元まで出た言葉を飲み込む。
「親から言われた見合いだそうだ」
それだけ言って、青柳は準備室へと入っていた。木製の扉が、軋みながらゆっくりと閉まる。
ただ、明日じゃダメなこともある。彼女は自分に言い聞かせていたんじゃないだろうか。そんなことを考える。東京ではないどこかへ、青柳に連れ出して欲しかったに違いない。
鳴り響く雷の向こう側に、汽笛のような音を聞いた気がした。
やがて、東京行きの夜汽車が街を出ていく。
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