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夏の花嫁  作者: 伊勢祐里
3/5

野菊

 大正時代の面影が色濃く残る竹原(たけはら)市内の道を、トボトボとミエは歩く。ローファーが綺麗に整えられた白い石畳をコツコツと弾いた。


 夏の陽から逃げるように、木造長屋の庇が作り出す長い影の中を歩いていく。わずかに傾いた太陽を眺めながら、まだアイツは学校にいるだろうか、と考える。


 そもそも、やはり自分が悪かった。猛烈な反省が、心の奥をくすぶる。チクチクとした痛みが、むず痒さのように変わり、堪えきれない思いを溢れさせた。



 かき氷の旗が、駄菓子屋の軒先でなびく。ほんの少し風が強くなってきた。ミエが麦わら帽子のツバ越しに、空を見上げると、まだ青空が広がっている。山間の向こうに、見える鼠色の雲が街にかかるまで、もう少し時間がありそうだった。


 どうして、表紙が良くないなどと言ってしまったのだろう。アイツが出来上がったことを嬉しそうに報告してきたから? そう自分に聞いてみたものの、心の中の自分はぶっきらぼうになにも答えない。



 本当は、嬉しかったはずだ。笑顔で見せてくるアイツの笑顔をなんというか、好きだ。



 それだと言うのに、いつも冷たく当たってしまう。そのたびに、言い合いになってぶつかる。数日、話せない日が続いて、ある日、ころっとアイツから話しかけて来てくれる。


 思いかけしてみても、ごめんね、と謝罪したことなんて一度もなかった。



 はぁ、とミエはため息をこぼす。モヤモヤとした胸の気持ちを、恋と照れ隠し以外の言葉で処理できないことが妙に恥ずかしく、同時に腹立たしい。


 心の中に居座るアイツの笑顔を思い浮かべるだけで、胸は弾んで幸せな気持ちになる。それだと言うのに、正直になれない自分はどうも子どもじみている。



 じわじわと街の隅の方が、オレンジ色に染まっていく。長屋の格子が、深く影を刻みだした。


 丁字路の真ん中に、胡堂(えびすどう)が見えた。小さなお堂のような造りをしている胡堂は、塩田が盛んだったこの街の守り神を祀っているらしい。戦争の影響で、工業が発展してしまったために、今はすっかり衰退してしまった。



 この角を曲がれば、もう学校だ。ミエは、覚悟を決めてその足を早めた。



「ミエじゃないか」



 角を曲がろうとしたところで名前を呼ばれた。振りかけると青柳が、学校とは反対方向からこちらに歩いて来ていた。


「どうしたその麦わら帽子?」


「ちょっと、成り行きで頂いて」


 そうか、と青柳は麦わら帽子を片手で掴むと、乱暴にさすった。


 子ども扱いされるこちに、少しムッとしたが、それほど悪いものではなかった。


「てっきり今日は戻ってこないかと思ってたよ」


「ごめんなさい」


「やけに、今日は素直だな」


 そう言った青柳の声は、いつものものではなかった。どこか切なげで穏やかだ。少なくとも、今朝、学校で見た彼とは些か様子が違った。



「謝ろうと思って」


「いい心がけだな」



 ぽん、と一つ優しく頭を弾かれる。カサカサとなる麦わら帽子のリボンが、ひらひらと風になびいていた。


「大人になった証拠だよ」


 そう言った青柳の手には、まだ咲ききっていない野菊の花が握られていた。


「先生、その花はどうされたんですか?」


「これか‥‥ 成り行きでもらったんだ」


 じっとりと、夕陽が沈んでいく。その陽を追いかけるように、灰色の絨毯みたいな雲が東の空から伸びて来ていた。

 西陽が差し込んだ街は、ノスタルジックな装いをする。この瞬間は、今しかないということを、まざまざとミエに知らしめる。あと何度、陽が沈むと、この一面に古さを残している街が、アスファルトの森になってしまうのだろうか。人の気持ちは、それよりもきっと、もっと早い。



「アイツ‥‥ 、京平(きょうへい)はまだいますか?」


「あぁ、お前に言われた絵を書き直してるよ」



 あんなに素敵だった絵を、書き直している。自分が言ってしまったせいだ。言葉に出来ない後悔が押し寄せる。脳内に、必死に書き直しているアイツの表情が浮かぶ。


 直さなくてもいい。そう今すぐ叫び出してしまいたい。


「だから、まだ教室にいるはずだけど、」


「先生ありがとうございます」


 朗らかな表情を青柳は浮かべる。


「行ってこい」


 はい。ミエは元気よく声を出し、学校の方へ走り出した。

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