トランクケース
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焦がすような陽射しが、ジリジリと全身に降り注ぐ。背中のコンクリートの熱は、すっかりミエの背中に馴染んだ。
閉じた瞼の向こう側に、太陽の輝きを感じ、白い光がぼんやりと浮かぶ。小さな雲がその光源を隠し、ひんやりとした闇が訪れた。
その時を待ち浴びたように、ミエは、ぱっと目を開く。
眩しさが、ミエの視界を奪い去った。太陽は雲の影に隠れているというのに、凛とした光が視界を覆い尽くす。
思わず、腕で視界を塞いだ。熱を孕んだ肌が、薄い瞼を焦がす。わずかに湿った額から溢れた雫が、耳元を伝い地面に落ちた。
ふぅ、と深く息を吸い込んだ。潮風の匂いが、肺いっぱいに広がる。心地の良い瀬戸内の海風は、すぐに全身に染み渡った。気持ちがいい。そう思って、ミエは、グッと体を持ち上げた。
視界に飛び込んできた外海側の防波堤に、テトラポットが並んでいるのが見える。穏やかな波を受けて、静かにその役割を果たす。その奥から差し込む太陽が、キラキラと波の低い海を宝石のように輝かせていた。
ミエは「ああぁ」と胸の中のごちゃごちゃとしたものを吐き出すように、恥ずかしげもなく大きな声を上げる。
温かく湿った風が、開いた口の中を泳ぎ回った。その空気を、ゴクリ、と飲み込むと、胸の中に穏やかな気持が充満していく。
熱を孕んだセーラー服の背中を手のひらで払う。大きな入道雲がそびえる真っ青な空には、二匹のカモメが飛んでいるのが見えた。
「お隣いいかしら?」
急に声をかけられて、ミエは肩をすくませる。ピクリ、と体を弾ませて、声のする方に首を回した。
視界の端に、麦わら帽子が揺れる。しなやかな長い髪が、その身を風の流れに任せていた。
目の前に立っていた彼女は、靡いた髪を真っ白な手がかき分けた。垣間見えた小さな耳たぶが、赤く火照っている。
右手に握られた茶色いトランクケースは随分と重たいようで、彼女の体躯はそれに引っ張られるように傾いている。彼女がコンクリートの上に置けば、ずしりと音を立ててコンクリートを響かせた。
はい、と思わずミエは声に出してしまう。ニッコリ、と彼女は微笑むと、ミエの隣に腰掛けた。
花柄のワンピースの裾をグッと持ち上げ、横向きに足を流す。細く真っ白な足が、熱を孕んだコンクリートの上に置かれた。
「熱くないですか?」
ミエは、少し心配なって声を掛ける。
「ちょっとだけ熱いけど、大丈夫。さすがに、あなたみたいに寝転がるのは、恥ずかしいけどね」
そう言って、彼女は口端を緩めた。薄っすらと引かれた紅が、彼女がすでに学生ではないことを示していた。
ぷっくらと膨らんだ唇に、薄っすらと艶がかかる。それでもミエは、彼女の歳が自分とそれほど離れていないように思った。
「あぁ、やっぱり気持ちいいな」
ミエとは反対側に置かれたトランクケースに彼女がもたれかかる。タイトなワンピースが、彼女の細い体躯を顕にした。綺麗な曲線が妙に色っぽく、ミエは思わずその脇腹のラインを舐めるように目で追う。
腰の辺りから、キュッと脇腹が締まる。肉付きのいい尻が、その色気のある細いラインを強調していた。
「どこかへ行かれてたんですか?」
口から出た自分の言葉は、スローモーションで耳に反響した。
流れた視線が、彼女の柔い卵のように丸みを帯びた頬の輪郭を捉える。白くきらめく汗が、薄っすらと塗られたファンデーションを弾く。凛とした肌が、細かく光の粒を吸い込んでいるようだった。
あまりの美しさに、時間がゆっくりと過ぎていく。目の前の彼女は今、少女と大人の女のその間にいるんだ。汚れを知らないミエの目に、それはあまりに美しく映った。
「え?」
産毛のように、薄っすらと茶色い眉が持ち上がる。
彼女の反応に、まずい質問だったか、とミエは口を手で覆った。
「あぁ、トランクケースね」
そう言いながら、大事そうに彼女はトランクを撫でた。
「今夜ね、東京まで行くの」
「東京ですか」
東京という響きが、ミエはあまり好きではなかった。なんとなく、胸の奥の寂しい部分が燻られる気がするからだ。
「そう、東京」
そう言って、彼女は国鉄の寝台特急兼をミエにみせた。大事そうにカバンのポケットにしまうと、海をじっと見つめる。静かな凪が、時間を止めるように佇む。
その双眸の奥に、名残惜しさに似た切なさが潜んでいる気がした。潮の香りが、彼女の甘い匂いと混ざりあい、とても切なげなものとなる。
ボォー、と遠くの方で舟の汽笛が鳴り響く。穏やかな空気が、その音をどこまでも響かせているようだった。
どうして、東京に行くんですか? そんな質問が、喉のすぐそこまで出て来る。ゴクリ、とミエがその問いを飲み込むと、随分苦い味がした。
「竹原南中学校かな?」
くるり、と向いた柔い顔に、思わずミエはドキリとした。
はい、ミエは慌てて軽く首を縦に振る。耳の後ろの辺りに作ったミエの二本の三つ編みが、ゆらり、と揺れた。
ふふ、と彼女が声を漏らした。両手の指を重ね合わせ、ぐっ、前に突き出す。真っ白な彼女の腕が、夏の陽射しを反射しながら、天に向かい伸びた。
「懐かしいなぁ。まだ、青柳先生いるの?」
「はい。もう、怖くて大変です。この間は、男子がギターの話をしてただけで、雷が落ちましたから」
「青柳先生は、考え方が古いからね。でも、優しいところもあるんだよ」
「そうですか?」
そう言って、彼女は懐かしそうに目を細めた。少し傾いた陽射しが、彼女の双眸を白く染めていく。反射した瞳が眩しくて、ミエは海の方に目を向けた。
「若いのに、熱心に教育してくれてることに感謝しないと」
「先生、もう三十歳ですよね?」
「先生の中では若い方でしょ?」
「そうですけど」
確かに、自分の祖父と変わらない歳の先生がいる中で、両親よりも年下の先生は、『若い』に属するもんだな、とミエは納得する。
「青柳先生と今でも親交があるんですか?」
ミエの質問に、真珠のような輝きをしていた彼女の双眸がくすむ。遠くで揺れている海の向こうを見つめながら、少し間、彼女は口を噤んでいた。