『機内にて』
外気温-60度。追い風の中で、速度はマッハ1に迫る。
しかしこうして小さな席に押し込まれ、空気と飯と一緒に運ばれていると、そんな外の事など何一つ関係ない。ここには狭いがトイレもあるし、太陽と反対側を飛んでいても、電気を点ければいつでも自分の場所を明るく出来る。
僕らは何だって出来るのだ。どこかの金持ちが月旅行に行くと息巻いている時代である。
飛行機の良さは、自分の死にほんの少し触れられる事かも知れないと考えた。
離陸した直後から、このまま空で果てる可能性もあるなと、僕は恐怖を伴う事もなく思っている。
レスターのオーナーであるタイ人の富豪が、サッカースタジアムの中心からヘリで飛び立った直後、隣の駐車場に墜落して死んだニュースをこの間見た。
言うまでもなく、僕らは道路を歩いていても、裸足で風呂場に入っても、布団の中で寝ていても、まるで飛行機が落ちるように突然死ぬ事がある。
だから後悔しないように、一本でも多くの作品を書かなくちゃならないんだ!
と、こんな風には帰結しないのが、僕の悪癖なのかも知れない。
何だかこのまま行くと、いつか「作品なんて、生きてても死んでても書ける」などと言い出しそうだ。
勿論馬鹿げてはいるけれど、ちょっと面白くはないだろうか。
百年も前に書かれたこんな一節を置いて、今回の旅を閉じよう。
――我々の後では、人が軽気球で飛行するようになるでしょうし、背広の型も変わるでしょう。もしかすると第六感というやつを発見して、それを発達させるかも知れない。しかし生活は、依然として今のままでしょう。生活はやっぱり難しく、謎に満ち、しかも幸福でしょう。千年経ったところで、人間はやっぱり「ああ、生きるのは辛い!」と、嘆息するでしょうが――同時にまた、ちょうど今と同じく、死を怖れ、死にたくないと思うでしょう。
2018年11月18日
※以下に写真が添えられています
http://joemasa.blue.coocan.jp/