第47話 逆撃
「おい、どういうことだそりゃ?」
「いえ、ですから……ネタ流すために行かせた連中がまだ1人も帰って来てなくて……。営業の方にそれとなく確認してみても、見てないって言うし……」
「……マジかよ、くそっ……」
手下からの報告に悪態をつくベアード。
今朝早くに動き出した、自分のビジネスの報告を聞く姿勢だったところに届いた、凶報という他ない報告に、奥歯を噛みしめてぎり、と音を鳴らした。
ルゥナとアイビス。2人のシノギの販路を一部統合し、そこに自分が表稼業で扱っているものを絡めることで、急速に発展させた商売のルート。範囲が広いのはもちろん、流通速度もむしろ以前よりも強化されており……扱う品物を問わず、有用なそれに仕上がっていた。
それを利用して、自分の主力の商品の1つであるドラッグ……現代日本において『脱法ハーブ』と呼ばれている形式のものを流通させようとした、まさにそのタイミングだった。
今まで極めて順調に進んでいたにも関わらず……突如としてそこに陰りが差したのは。
(複数のルートに、様子見もかねて流させるつもりだったネタが……いや、むしろその売人や運び屋ごと連絡が取れなくなってる。同時多発的にそんなことが、偶然で起こるはずがねえ)
「やられたか……くそっ、どこからだ? どこから察知されて、狙われてた!?」
そこはさすがの推理力と言うべきか、ベアードは即座に何が起こっているのかを推察して把握し、対処するために部下に指示を出していく。
まず、今話している者も含め、自分の部下で裏稼業のために動いている者達は一旦業務を停止、表に紛れられるものは怪しい動きはしないようにして、裏がメインの者は身を隠してほとぼりが冷めるのを待つ。各自、証拠になるようなものは徹底して処分させる。
流通させるために用意した商品の在庫は、保管していた倉庫から移動させる。その上で倉庫は別の用途に使用していたかのように偽装し、必要なら事故に見せかけて火を放って根こそぎ証拠ごと焼き払って跡をたどれないようにする。
手配していたネタの発注や輸送はストップし、こちらに届かないよう留保。それが間に合わない場合、確保していた別な納入先を指定して一旦冷ましておく。
違法な商品を取り扱う場合、摘発や横殴りのリスクは常にある。レイザーらの懸念通り、それらに対する備えも万全にしてあった。ものの数時間でそれらは構築され、追跡や摘発を逃れるための体制が万全に整うだろう………………普通であれば。
が、残念ながら今回は状況が違った。
全て看破され、対応されていたからだ。他ならざるレイザーの指示によって。
数時間後、進捗状況を調べたベアードの元に飛び込んできた情報は……その全てが、最悪の状況を示しているものだった。
そしてそれらを聞いて冷汗を流し、顔色を青くしたベアードは、その場で何もかも放り出して逃走することを決めた。
適当なことを言って手下たちにも撤収の準備をさせる。一刻も早く出ていくために。
(畜生……! 間違いねえ、この手の速さ……レイザーの野郎だ……! あいつさては、俺があの2人に近づいた時から……いや、もしかしたらそれよりも前から!?)
供給はもちろん、作成も含めて流通全体を止めようとしたネタの動きについては……そのラインの要所要所に即座に摘発の手が入り、そこから前後に手繰り寄せるようにして、ラインのほぼ全体が食い破られ……その結果として『止まる』ことになった。
動かそうと思っていた部下の半分は、動いた瞬間にそれを気取られて捕縛された。
残り半分は動く前に捕縛されたが。
それらの『逃げ場』として構築しようとしていたラインは、ベアードの部下ではなくレイザーの部下によって構築されていた。当然、完全にレイザーの制御下に置かれて、だ。
倉庫のほとんどもほぼ同時に手が入り……確認のために差し向けた部下のうち、戻ってきたのはわずか1名。その他は皆、捕らわれるか討たれたかしたらしい。
当然……倉庫の中身も没収された後だった。
(悪夢だ……! このたった数時間の間に、構築したルートも、関わらせていないはずのルートも、根こそぎ奪い取りやがった! あの野郎、どれだけの準備をしてたんだ……っ!?)
皮肉と言っていいのか……レイザーがベアードに仕掛けた策は、ベアードがやろうとしていたことのほぼ逆である。
あくまで業務提携、商売における協力関係として近づき、知らない間に相手のルートを調査し、掌握。そのルートに商品を流し、顧客をつかみ、主導権を握って乗っ取る。
ベアードはこれを、徐々に、それなりに時間をかけて気づかれないように進めていくつもりだったが……レイザーは力ずくで、たったの半日でそれをやってのけた。
もちろん、全てが盤石な形で完了したわけではない。所詮は力でルートを抑えただけだし、中身の掌握はまだまだこれからだ。お世辞にも『完成』などとは言えないだろう。
だが、現在ルートは既にレイザーの影響下にあり、逆にベアードの手からは完全に離れてしまっている。それだけでも十分に『掌握した』と言っていい状態だと言えるだろう。
ベアードの手から離れているのであれば、今後取り戻されないようにしつつ……ゆっくりと影響力を浸透させていけばいいのだから。何なら、こちらに都合よく作り替えながらでも。
それがわかっている……わかってしまっているベアードには、今のこの状況が、完全に自分の敗北であるということもまたわかっていた。
ここから自分にできるのは……自分にまで摘発の手が及ぶ前に、一切を引き払って逃亡することぐらいであろう、とも。
「仕方ねえ……捕まっちまえば全部終わりだ。だが、生き延びれば再起は測れる。商取引の中で、色々と商売のノウハウは知識にできた。しばらくはその応用で細々とやってくだけでも十分だろう……数年はこの辺から離れる必要があるか、くそっ」
どこまでをレイザーが把握した上でこの策を仕掛けて来たのかはわからないが……最悪を考えるなら、自分が『薬局』の主犯であることまで全て明らかになっていると考えるべき。
ベアードは楽観的な予測にすがることはせず、素直に『全て捨てて逃げる』ことを選んだ。
その胸の内にくすぶり続ける、暗い感情の炎は消さないままに、だが。
(このままじゃ終われねえ……くそっ、いつか、いつか必ず……何か別な形で……!)
諦めが悪い所は賛否両論だろうが、少なくともベアードは確かに、現状では最善の判断を下していたと言えるだろう。
自棄になって無謀な特攻をかけるようなことはせず、素直に自分の力の不足を認め、傷が広がる前に撤退する。いわゆる『損切り』は、今後に余力を残し、致命的なダメージをギリギリででも避けるための重要な決断である。
……ただし、通常であればその判断で間違ってはいなかったものの……
いや、実際この場面においても、それは確かに『最善』の判断ではあった。
……ただ、それでも足りなかった、相手が悪かったというだけだ。
もっと正確に言えば……どんな手を使うかは、最早重要ではなかったとすら言えるだろう。
……すでに、全ては終わっていたのだから。
何をするにも、あまりに遅すぎたのだから。
ベアードは今、部屋にこもって自分にしか扱えない……というよりも、部下たちにすら見せていない、機密度の高い書類の整理をしていたのだが、そんな部屋の扉が、こんこんとノックされた。
ベアードは、これから自分が部屋で片づけをするから、よほどの緊急事態でない限りは呼ぶな、と事前に言ってあった。にも関わらず、今、確かにノックの音が聞こえた。
嫌な予感を禁じ得ないままに、ベアードは扉に近づき……しかし、手をかけて開けようとしたその瞬間、
――バキィ、ドゴシャァア!!
「ぶげらっ!?」
なぜか金具が外れ、扉がそのまま開かずに自分の方へ吹き飛んできて……それに正面から激突する形になり、ベアードは部屋の反対側まで吹き飛んだ。
そして、壁と扉にサンドされる形となり……そのまま、衝撃で気を失った。
一体何が起こってそうなったのか、わからないままに。
☆☆☆
「……あれ、やっべ、死んでねえよな?」
「お前、わざわざノックまでしておいて何て入り方を……普通に開ければよかっただろうに」
「いや、何となく……あーよかった、生きてる」
たった今、扉ごと蹴っ飛ばしたベアードが、壁に激突した後ぴくりとも動かないので、若干焦って生存確認した後の会話がこんな感じである。
あー、よかった死んでなくて。ノリで非戦闘員にあんまり強烈なの叩き込むもんじゃねーな。
背後に立っているルゥナの、恐らくは呆れたような視線を感じつつ、用意しておいたロープを取り出して縛る。
小太りなせいで縄が肉に食い込んでちょっとアレな見た目になるものの、気にせず縛る。
ルゥナはその間、机とかを漁って何かめぼしいものがないかどうか調べてくれているが……横目で見ている感じ、片っ端から鞄に放り込んでいるようだ。
ベアードの私室だけあって、色々と役に立ちそうなものがある、って見通しは正しかったか。
考えてる間に……拘束完了。ベアードは、両手を後ろに回す形で固定された。
と同時に、
「う、うぅ……?」
身をよじり、もぞもぞと動き出すベアード。
もう気が付いたのか、結構早く復活したな。
腐っても何とかというか、レイザー達に一目置かれてただけのことはあるのかもしれない。
今となっては、思い出すだけ空しい過去の栄光というか、評価に過ぎないが。
目が開いて……その直後に、俺たちの姿を見つけたベアードは、とっさに飛び退って離れようとして……しかしそれが出来ず、すっ転んで床に倒れた。あーあー頭から……痛そう。
「て、テメェら……何でここに!?」
「心当たりがないわけではないだろう、ベアード。お前、ここが危ないと思っていたからこうして夜逃げの支度をしていたんじゃないのか?」
「だったら説明要らなそうだな。ベアードさん、見ての通りだ、あんたは逃げようとして失敗した。俺らがここに居る目的は、あんたが危惧した通りのもんだ。以上、質問は?」
世間話でもするかのように、軽い感じで話す俺ら2人に対して、ベアードは若干パニックになりかけている様子だった。どうにか抑えるのに成功しているが。
「何で、ここに、こんなにも早く……お、俺の手下共はどうした!? 気づかれないでここに来れるはずが……」
「全員外で寝てるよ。一応殺しちゃいないがな」
「バカな!? そんな……全員だと!? 嘘をつくな! そんな……それで気付かねえはずが……何も、何も聞こえなかったぞ!」
……ああ、なるほど。俺らが全く気付かれずにここまで来れたのが信じられないってことか。
確かに、あんだけの人数と戦闘になんかなれば、相当騒がしくなる。普通に考えて、一発で気づかれるよな。特に、ここはアジトの中で一番奥にある部屋だし。
そうなれば、さすがにベアードは察知して、隠し通路か何かで逃げようとしただろう。
……が、それはあくまで『戦闘』が起こっていれば、だ。
俺らがここを制圧するにあたって、『戦闘』は起こっていない。
実力差がありすぎて『戦闘』にならなかった……とかではなく、本当に、全く戦うことなく全てを制圧したのだ。
まあ、やったのは俺じゃなくルゥナだが。
前にも言ったが、ルゥナは人間ではない。有翼の亜人『セイレーン』だ。
セイレーンは種族固有の能力として、特殊な暗示効果のある歌を持つ。
主に海にすむ種族であり、よくある言い伝えでは……海を渡る船の前に現れ、その歌で船乗りを魅了し、海に身を投げさせてしまう、という感じだったと思う。
これは迷信でも何でもなく、セイレーンであるルゥナの歌には、ある種の暗示か、催眠術のような効果がある。言い伝えにあるように、聞いた者を操る……以外にも、様々な効果が。
そのうちの一つに、聞いた者を眠らせる、というものがある。
ここまで聞けばもうわかっただろう。このアジトの連中は、ルゥナの歌を聞いて、比喩表現なしに眠ってしまった……というわけだ。
ルゥナの歌は、それ相応の実力がなければ『抵抗』できない。一応、そういうのがいた時に備えて、俺が前で構えてたんだが……取り越し苦労だった。1人残らず夢の中だ。
ただ、奥の方にあるこの部屋には届かなかったようで、ベアードだけ無事だったわけだ。
「いつもながらマジで反則じみてるよな。ま、おかげで楽できていいけど」
「最大限効率的な方法を選択したまでだ。逆に……荒事が絡んでくる場合は、少なからずお前の力を借りることになる。適材適所というものだろう」
「そんなもんお前だって同じだろうに。この後何か食いにいかね? 俺おごるから」
「いや、おそらく……こういうことを予測するのはアレだが、レイザー様が打ち上げか何か企画するだろうから、不要だと思うぞ?」
「ああ、確かにありうる。ひと仕事終わった後、的な? そういうの好きだもんな、若頭」
「そういうことだ。それより、私に対して何かしてくれる気があるのなら、結k……」
「それはねえっつの」
軽口を叩きあう俺らを、いぶかしむような表情で見てくるベアード。
「お前ら……不仲って話じゃ……!?」
「……それ、やっぱ本気で信じてたのかよ」
「裏取りも何もかも不十分、自身に都合のいい情報だけ採用して利用しようとするとこうなる……いい見本だな」
ああ、そうだった。こいつ、当初から俺とルゥナ……レイザーの舎弟とソラヴィアの舎弟の、ライバル意識から来る仲の悪さを利用して罠にはめようとしてたんだっけな。
最近、序列では下のソラヴィア……の、舎弟である俺が、シノギとか色々上手くいってて上り調子だから、レイザーの舎弟であるルゥナがそれをよく思っていない……っていう、不確かな噂を利用して、嫉妬心その他を利用して仲間割れさせよう、みたいな感じで。
実際は全然全くそんなことはないので、逆利用させてもらったが。
「普通に仲はいいぞ? たまに一緒に飯とか食ったりするし、都合が合えば、お互いにシノギの手伝いとかすることもあるし」
「同じ『幹部候補生』として、競合心がないとは言わんが、あくまで文字通り、競い合い、高め合うための関係だ。互いにその手腕や実力に敬意を払うことこそあれど、嫉妬から相手の破滅を望んだり、出し抜いて追い落とそうなどとは考えたこともない……貴様と違ってな」
「っ……!」
大方、自分がそうだったから……ソラヴィアとレイザーが目の上のたん瘤だったから、俺らもそうだろうと思っちまったんだろうな。もうちっと冷静に状況を分析してれば違っただろうに。
俺らがいがみ合ってて、さらにそれを利用可能な材料がそろっている、っていう状況を利用することばかり考えちまったゆえの失敗だな。……同情する気にもならんが。
「さて、色々と聞きたいことはあるが……もうしばらくそのまま待ってろ。ああ、手首とベルトの所に仕込まれてた暗器とか刃物とかは没収してあるから。努々変なこと考えんなよ」
「……畜生が」
そんな悪態を最後に、ベアードは抵抗するのをやめた。
諦めたのか、はたまた油断させて好機を待つつもりなのか……どっちでもいいか。
とりあえず、ルゥナを手伝って証拠の回収を進めようと、俺が腰を上げた……その時、
『兄貴、兄貴! すんません、ちょっといいっすか!?』
(うん?)
『念話』ではあるが……聞きなれた声が、頭の中に響き渡った。




