第4話 献身と非情な現実
「んんーっ! んー、んーっ!」
「へへっ、生きのいいお嬢ちゃんだなあ」
「ちっとガキ過ぎるがな……まあ、女には違いないか」
……何が営利目的なら安全、だ。超ピンチじゃないか。
眼科で繰り広げられている光景に、ぎり、と歯噛み……したいのを堪える。
今は、どんな小さな音も出したくない。気づかれないために。
ハリウッド映画で、隠密行動系というか……テロリストとか相手に多勢に無勢の戦いを挑む時のお約束で、換気口というか、ダクトみたいな所を通って、俺は移動し……どうにか、目当ての部屋を発見することに成功していた。
アリシアが、監禁されている部屋を。
が、てっきり眠らされてるだけとかかと思っていたアリシアだが……いま正に、年齢制限間違いなしの展開に移行しようとしていた。
人質の安全どうこうを割とあてにしていたんだけど……ああでも、このことであの人に文句や恨み言を言ってもしょうがない。文句言うならあの連中にだろう。
いや、文句じゃダメだ……拳、あるいは刃だな。
この時点で俺は、自分でも驚くほど、頭は冷静になっていた。
カッとなって、金網を蹴破って下に飛び降りる、なんてこともなく……この後どうするか、冷静に考えている。こんな、色々な意味でギリギリにもほどがあるシーンを前にしても。
……たぶん、これは……前世での、『あの経験』のおかげだろうな。
人生、いつ、どこで、何が役に立つかわからないもんだ。
そんなことを思いつつも、俺は素早く考えをまとめ……まず、手元に魔法で水を作り出した。
2リットルくらいたっぷり作り……それを、ちょろちょろと、少しずつ金網から垂らす。
「へへへ……んあ!? 冷てぇ!?」
「っ、何だ!? ……って、何だよ、雨漏りか?」
「いや、外別に雨降ってねえだろ……それに、ちっと量が多いな」
それが気になったらしい男たちは、一旦アリシアから手を放し、こっちに意識を向ける。
『見て来いよ』なんて会話が聞こえる。どうやら、ダクトの中を覗き込むつもりらしい……狙い通りだ。3人くらいなら……なんとかなる。
男の1人が外から金網を外し、頭だけダクトに突っ込んできたところで……俺と目が合う。
驚いて声を出すより先に、鼻と口から大量の水を流し込んで……即座にそれを凍らせる。
呼吸器官がふさがれ、さらに氷で頭をダクト内に固定され、動けなくなった男が暴れる。
何事かと困惑する、下に残っている男たち。
俺は素早く、あらかじめ凍らせておいたダクトの底面を滑って移動し、素早く別な金網の所に。
今度は即座にそれを蹴破って下に飛び降り、その音に驚いてこっちを振り向いた男2人に、ナイフを投げつける。さっき死んだ見張りの死体から失敬してきたものだ。
それを、1人はもろに首筋に食らったが、もう1人は腕を犠牲にして防いだ。
しかし、その両方に……むしろ『防がれる』ことを前提にしていた俺の、追撃が迫る。
『氷の針』……つららのような、鋭く尖った氷の塊が、何本も放たれた。
「……っ!? ま、魔法……使い……!?」
これはさすがに防げなかったようで、全身……というか、心臓とか首元とか、急所を思いっきり狙って放ったそれにより、男2人は絶命した。
残る1人……ダクトに頭を突っ込んで呼吸困難でぴくぴくしている男にも、心臓に『氷の針』をプレゼント。これで、3人。
「……ふぅ」
わずか20秒足らずの間に、3人殺したわけだが……意外と冷静でいられるな。まあ、後から思い出して色々悩んだりするかもしれないが。
それでも、今はそんな時間すら惜しいので、ありがたい。
邪魔者が片付いたところで……床に転がされている、アリシアを助けようとして……
「んーっ! んーっ!」
猿轡を噛まされているアリシアが、必死の形相で、何か叫んでいた。
? もうこいつらは始末したのに、どうしたのか……ひょっとして、いきなり目の前で殺人事件が発生したことがショックで叫んでるのか? それは、その……まあ、いきなりショッキングな映像を見せたのは申し訳ないけど、こうしなきゃならなかったわけで……
……なんて、アホな思考は最後まで続かなかった。
――ドスッ!!
「がっ……!?」
「ん―――!! んんん―――!!」
突然、背中から衝撃……を通り越して、異物感。
何かが、俺の背中から……皮を破り、肉を貫いて、胸の側に抜けた。
同時に……悟る。なぜアリシアが、あんな必死な形相になっていたのか。
怖がっていたとか、ショックを受けてじゃない……俺に、知らせようとしてくれていたんだ。
もう1人いる、と。
「この、ガキがっ……! よくも、よくも仲間をやってくれたな!」
ごぼり、と俺の口から血があふれ出て、胸を染める。傷口からも出てる。
痛い。同時に……息苦しい。ってことは……肺をやられたか?
その異物感……刃物だろうと思われるそれが、背中側に引き抜かれ……同時に、背中に、今度は蹴り飛ばされたような衝撃を覚えて、床に転がる。
ほとんど反射的に、俺は自分に『治癒』を使っていた。
傷の大きさからして、あまり意味はなさそうだが……やらないよりはいいだろうと思う。
床に倒れた俺が見たものは……3つ。
1つ目は、目の前に広がる赤い水たまり。
うわ、あれ全部俺の血かよ……致死量じゃないか? 大丈夫か、俺?
2つ目……今の光景があまりにショックだったのか、気絶して床に倒れ込んだアリシア。
吐血(大量)と、俺の胸から刃が生えたのは、さすがにアレだったか……。もともと、誘拐やら強姦未遂で精神的に参ってただろうしな。無理ないか。
そして3つ目。今まさに俺を刺した張本人である、4人目の男が、憤怒の形相で俺を見下ろし、睨みつけていた。手には、血まみれの短剣。
「殺してやるぞ、このガキがっ……!! 生意気な……亜人の癖に、大人しく、奴隷らしくしてりゃいいんだってのによ!」
――ドゴッ、ドゴッ!
「あがぁっ、うぐぁ……っ!?」
そのまま、倒れた俺の腹を、何度も蹴りつける。
その衝撃に息が詰まり、肺から空気が抜ける。口と傷口、両方から抜けているような感触で……激痛も相まって、呼吸が満足にできない。手足がしびれて来た。
……なのに、やけに俺の思考は……冷静だった。
こんな、比喩も冗談も抜きに、死にかけの状況でも。
痛みを無視して、頭を働かせる。
作戦を考えて……まとめて、よし実行。
何度目かの蹴りが、俺の腹をとらえた……その瞬間。
俺は魔法で、俺の血にまみれている靴を凍らせ……そのせいで踏ん張れなかった男は、一瞬だけつるっと滑って体勢を崩す。
そして、その一瞬の間に……俺は、水の魔法で大量に水を出し、男の足元にぶちまけ……即座にそれを凍らせる。
さっき、ダクトで除いてきた奴にやったのと同じことだ。
「なっ、何だこれはっ!? あ、足が……」
即席の氷の枷に両足を捉えられ、驚いて隙だらけになるその男に……俺は、ゆっくりと両手を向ける。それに気づいた男は、
「ち、畜生、このガキィ! 生意気だぞぉ!」
手に持っていた短剣を投げてくる。俺の眉間めがけて。
しかし、そのたった一本の短剣は……俺が放った、先程に倍する数の『氷の針』のうちの1本と衝突して、相殺。力なく墜落した。
その事実に顔を青ざめさせるより先に……残り十数本に全身を貫かれて、男は死んだ。
そして、それとほぼ同時に……俺も限界に達して、倒れた。
『――! ―――!』
誰かが、誰かを呼ぶような声で、目を覚ます。
どうやら、気絶してたらしい。まあ、あの傷だ、無理ない。
……あのまま永眠しなかっただけ、よかった。
けど、あいかわらず傷は深刻なレベルのようで。目が……開けてるはずなのに、霞んでよく見えない。
……何より、体が……もう、痛みをほとんど感じていない。コレ……やばいかも。
しかも、さっきから何だか……熱いな?
「アリシア様! アリシア様! ご無事ですか!」
ん?
……この声! ひょっとして……レオナルドか? 警備隊長の!?
何でここに……ひょっとして、異変に気づいて捜索隊でも組まれたのか!?
そして、そんな声にこたえるように……
「ん、う……あ、あれ……ここは……? っ! れ、レオナルド?」
「おぉ……ご無事でしたか、アリシア様!」
アリシアも、目を覚ました。
「なぜ、あなたが……っ! そうだ、私、攫われて、そして……あ、あああ、アイビスっ!」
一瞬、寝ぼけて記憶があやふやな感じだったようだけど、すぐに今の状況やら何やらを思い出して……そして、俺のことも思い出したようだった。
「あ……ああああっ! アイビスが、アイビスが! レオナルド! アイビスを助けて! この子が私を……私を、救ってくれたの!」
「っ……そうでしたか。失礼します」
そんな声と共に、俺の首筋に、男の……というか、剣を握る者によくある、固い掌の感触が。
よかった……助かる。ああでも、果たして間に合うか……一応、自分にできる範囲で『治癒』使って何とか持たせておいたけども……
と、次の瞬間、俺の耳に……耳を疑う言葉が聞こえて来た。
「……アリシア様。残念ですが……もう、死んでいます」
「……えっ?」
……えっ?
い、いや……あの? い、生きてますけど!?
ちょっ……え、そんな脈弱かったかね、俺? おい、レオナルドさん!?
「そ、そんな……嘘よ! そんなの嘘! レオナルド、早くアイビスを助けて!」
「アリシア様……お気持ちはわかりますが、もう無理です。失われた命は、二度と、戻ることはない……それよりもアリシア様、逃げましょう! もうじきここにも火の手が回ります!」
はい? 火の手!? え……こ、この建物、燃えてんの!? 道理で熱いはずだよ!
「アリシア様、私の手では、あなたお1人を運ぶので精一杯です……残念ですが、彼は……アイビスは、ここに置いていきましょう!」
「そんなの嫌! 仮に、し、し、死んでるのだとしても……それなら、きちんと弔ってあげないと……私の、私の大切な友達なの! 命の恩人なのっ!」
そう、アリシアが言った瞬間……空耳だろうか?
『ちっ』って……舌打ちの音がしたんだが。
そして次の瞬間、
「……さっさと死んどけよ、面倒くせぇ……亜人が(ぼそっ)」
……おい、マジか。
こいつ、気づいてるよ……気づいてて、見殺しにしようとしてるよ。
俺が、亜人だから。気に食わないからって。おい、マジか。
ダークエルフの優れた聴覚は、どうしようもないくらいに、残酷で、陰湿な、この場においては聞きたくなかった、人間の本音というものを、俺に教えてくれた。
……マジか。
俺、死ぬのか。
見殺しにされるのか……あんなに頑張ったのに。
指一本動かない、うめき声一つ出せないこの状態で、こんなところに……しかも、火事の中放置されたんじゃ、確実に死ぬぞ。
……まあ、でも……どうしようもないか。
それに……マジで火の手、回ってきたっぽいな。
轟々と燃える壁、
比喩でなく、物理的に熱くなっていく、周囲の空気、
失われていく酸素、苦しくなっていく呼吸、
そして……それ以上の勢いで、俺の体からは……熱が、力が、命が失われていく。
「放して、放してレオナルド!! アイビスが……アイビスがまだ!
「もう手遅れです、アリシアお嬢様……どうか、どうかお聞き分けください!」
「嫌……嫌! 私、私っ、こんなの嫌ぁぁあああ―――っ!!!」
アリシアの悲鳴と、そのアリシアを諌める、レオナルドの声。
まだそんなに距離はないはずだけど、随分と遠くに聞こえる。死にかけて、耳か脳の働きが鈍くなってきているのかもしれない。自慢の耳だったんだが。
ああ、もういいよ、俺のことは。どうせ、助かるか微妙だったし。
だから……アリシアは、きちんと逃がしてくれよ。無事に、屋敷に届けてくれよ。
そんな彼女達の声も、離れていったからか、はたまた耳が音を拾えなくなったか……何かの理由で、ついに聞こえなくなった。彼女を抱えて、この場から逃げ去ったらしい。
目も、もう何も映していない。真っ暗だ。
さっきまで体全体を駆け巡っていた激痛も、もうなりを潜めている。
これはもう、本格的に死ぬな……と、妙に落ち着いた感じで、俺はこの現状を把握していた。
不思議と、怖くない。
この状況をあっさり飲み込んで、あきらめて、『まあ、仕方ない』なんて思えてるのは、自分でも不思議だけども……どうしようもない恐怖の中で死んでいくよりは、いいか。
一回死んで、そしてなぜか『二回目』の生を経験なんぞしていたからか。
あるいは……悔いはない、という思いがあるからか。
できることを全部やり切って、燃え尽きたみたいな感じが、頭の中にあるからか。
……どっちかっていうと、後者な気がするな。
(まあ、いいさ……よかった。今回は……守れた)
前は、だめだった。守れなかった。
けど、今回は……守れた。
『転生』して手に入れた、二度目の生の終わりにしちゃ……上出来かもしれない。そう思うことにしよう、うん。
(……先生、俺……今度は、守れた、よ……)
…………そろそろ、だな。何だか、眠くなってきた。
火に焼かれるか、煙を吸うか、出血多量か……何が原因で死ぬかはわかんないけど……まあ願わくば、あんまり苦しくない方で……逝きたいもんだ。