第35話 レオナと仕事
スラムに住んでいるような孤児が就けるような仕事というのは、決して多くない。
むしろ、表通りで動けるようなものではほとんどない、と言っても過言ではないだろう。
そこそこに整って居る町であれば、スラムの孤児などは『浮浪者』でひとくくりにしてされてしまい、汚らしいものとして見られる。飲食業などには間違っても使われることはないし、せいぜい荷物を運ぶような日雇いの仕事がある程度だ。それも、足元を見て徹底的に安く使われる。
労働基準法などという気の利いたものがないこの世界では――あっても変わらないかもしれないが――賃金などというのは、雇う側の意思ひとつだ。酷い時は、何か理由をつけて支払わなかったり、棒引きされたり、現物で支給されることもある。
もっとも、それが食べ物であれば、そう悪い条件でもないが。スラムの孤児にとっては、食べ物の確保のために働いているようなものなのだから。
それは、レオナが所属している孤児のグループでも同様だ。
アイビス達に助けられた後も、彼女は、彼女達は、いきるために働かなければならなかった。
掃除や靴磨き、荷物運びといった仕事を見つけてこなし、駄賃程度の金を稼ぐ。
額としては小さな金でも、皆が生きていくために必要な生命線だった。
アイビス達にもらった金を使うことも考えたが、一時しのぎにしかならないのはわかっていたし、もしこの先、不測の事態で金が必要になったら、と考え、レオナたちはきちんと話し合った末に、どうしても必要な時にしか使わないことにした。
(例えば……この中の誰かが病気になったりしたら……)
それは、いつもついて回る……命にかかわる問題。
彼らのような孤児が、軽い物でも病気にかかるというのは、死に直結する。
ろくに食べられていない孤児では、体が弱い者も多い。
加えて、金がなければ食べて栄養をつけることもできず、医者にかかることもできず、薬を買うこともできない。そうなれば、たとえ風邪であっても、死につながることは珍しくない。
事実……レオナは、そうして死んでいった者をもう何人も見てきた。
そのたびに、金があれば、薬があれば、食べ物があれば、と思って来た。
ない物ねだりだとわかっていても、思わずにはいられなかった。
時には物乞いをして、時には犯罪に手を染めてでも、なんとか工面しようと駆けまわって……しかし間に合わず、仲間を看取ることになった。そんなことが何度もあった。
何度もあっても、慣れるようなことではない。レオナには、それが怖かった。
(幸い、今は……食べ物も、毎回じゃないけど何とかなるし、仕事も、時々だけどもらえる。前よりは生活に余裕も……まあ、余裕ってほど大層なもんじゃないけど、ギリギリじゃなくなった)
食べ物は、最近増えた飲食店の裏道のゴミ捨て場をあされば、残飯が手に入る。
見つかると殴られるから、夜中にこっそりいかなければならないが。
しかし、それ以外にもレオナ達には、もう1つ食事の当てがあった。
「はいはい、皆、いっぱいあるから並んでね? 順番は守らなきゃだめよ?」
今、レオナたちは……近くにある教会が行っている炊き出しの場に来ていた。
ここでは、粗末なものだが、食事が無料で配られているのだ。それを目当てに孤児が集まる。
また、わずかながらもらえる駄賃を目当てに、その雑用を手伝っている孤児もいる。
レオナもその1人だ。獣人ゆえに普通の子供より頑丈で体力があるのを活かして、重いものを運んだり、女ながらも力仕事で役に立っていた。
今は休憩中で、他の子どもたちと一緒に、食事の席に居る。
安く買える固いパンと、小さく切った野菜や肉の切れが入ったスープ。決して上等な品とは言えないが、孤児たちにとっては御馳走だ。
弟妹たちも皆、美味しそうに食べている。それを見ながら、レオナが満足そうに笑っていると、そんな彼女に声をかける者が1人いた。
「ほら、レオナちゃんも食べなきゃダメよ。一杯お手伝いしてくれて、疲れているでしょう?」
1人分のスープとパンを横から差し出しながらそう言うのは、教会に勤めるシスターの1人だった。レオナにとっても顔見知りで、よく声をかけて、気にしてくれる、優しい女性。
「あ、シャーリーさん……い、いやほら、私はもう食べたから」
「嘘ばっかり。小さい子たちにほとんどあげちゃってたじゃない。お姉さん見てたわよ?」
「あぅ……」
シャーリー、と呼ばれた女性は、ちゃんと食べなさい、と言って、テーブルにレオナの分の食事を置く。それを受け取って、レオナはおずおずと食べ始めた。
「全く……面倒見がいいのはレオナちゃんのいいところだけど、自分のこともちゃんと大切にしてね? レオナちゃんに悪いことがあったら、悲しむ子がたくさんいるでしょう?」
「ん……わかった、気を付ける」
「約束よ? この間も、詳しくは聞いてないけど……何か危ないことをしたんでしょ?」
「そ、それは、その……だ、大丈夫だったから!」
しろどもどろになるレオナを、困った子ね、とあきれた目で見るシスター・シャーリー。
しかし、それ以上追及するようなことはしなかった。スラムに住んでいる孤児にとって、仕事やその日その日の生活で苦しい思いをするのは当たりまえのことだし……それをなんとかするために、あまり人には言えないようなことをするのもよくあることだ。
シャーリーはそれをよくは思っていないが、同時に自分が何か言える立場でもない。自分に彼女達全員を救うようなことができない以上、偉そうなことは言えない。
それをわかっているからこそ、歯がゆく思いつつも、こうして口で言うことしかできない。
それを表情には出さない。明るい、面倒見のいい、優しいお姉さんとして接することで、押し隠していたが……レオナを含む、数人の孤児は、それに気づいていた。
だからこそ……レオナは、考えていた。
(あいつらの面倒を見なきゃいけないのもそうだし……シスターにこれ以上負担をかけるのも嫌だ。やっぱり……ドギューラさんの仕事、受けることにしよう。危なくても、一番稼ぎがいいし……)
数日前に訪ねてきて話をしていった、小太りの自称・商人。
時々、自分たち孤児に対して『仕事』を持ってくる、その……レオナ個人としては、感謝はしつつもあまり好きになれない男のことを、彼女は思い出していた。
その時の、その決断が……新たに波乱を呼ぶことになる、とも知らないで……。
☆☆☆
ここ最近、『ヘルアンドヘブン』では、縄張りないしシノギの現場の見回りを増やしている。
『薬局』の件もそうだが……そっちはあえてタッチしないようにしているので、それが理由じゃない。ただ単に最近、何かと物騒だからだ。
何と言うか、世の中が荒れてきているような、そんな気配というか……大げさな言い方かもしれないが、そんな感じがするんだよな。
ここんとこ、ソラヴィアの指令で行くカチコミなんかも、規模の大小はあれど、なんか増えてきてるような気がするし……社会情勢に動きでもあんのかね?
ちなみに今日は、事務系の作業をデモルに任せて、俺とカロンで縄張りの見回りである。
まあ、あんまり治安がいいとは言えない剣と魔法の世界であるからして、大小のもめごとはそこら中に転がってるが……俺たちが動いて鎮圧するようなことはめったにない。
用心棒の仕事も、大体は下っ端の組員が担当するし。
最近は、俺の『幹部候補生』って肩書もあってか、そういう現場に駆り出されることも少なくなってきた気がするんだよな。その代り、下っ端じゃ手に負えない戦闘やらカチコミになると、上役から指令入って俺たちが出動するんだが。
そういうわけで、俺たちがこの界隈で用心棒仕事をすることって、最近はあまりないんだよな。それこそ、こういう見回りの最中に何か起こって、見逃すのもアレだから鎮圧に動く、とかそういうのでなければ。
で、今回はその珍しいケースの1つであるらしい。
見回り終了。さー帰るか。せっかくだし何か土産でも買っていくか。それならこっちにうまい店見つけたんですよ兄貴。持ち帰りもできます。マジか案内しろ。
こんな感じでいつもとは違う道を通って帰ろうとした、その帰り道。
「……ん?」
近道するために裏道を歩いていた時、突然カロンがきょろきょろとあたりを見回し始めた。
「? どした、カロン?」
「いや、今何か変な音? 声? が聞こえたような……あん?」
「……あぁ、今のは俺にもわかったわ」
聞こえたからな、はっきり、足音が。俺の耳にも。
直後、前と後ろから、武装した――と言っても、剣とかまともな武器じゃなく、鉄の棒とか角材とか持ってるだけの――怪しい連中が現れ、俺とカロンにじりじりとにじり寄ってくる。
……どう見ても友好的な連中には見えないが、一応聞いとくか。
「何だ、あんたら? 何か用か?」
「黙ってそのでかい鞄を置いていけ。そうすれば何もしないで逃がしてやる」
「お前ら金を運ぶだけの小間使いだろ? 大人しく言うことを聞いた方が身のためだぜ」
……? 今のセリフだけでも、何か違和感が……というか色々と勘違いしてるような。
この鞄を置いてけとか、金とか……いや、コレの中身、土産に買った食糧なんだが。
だが目の前の連中は……恐らくだが、カロンが持っている(荷物自分が持つっす、って言って)鞄の中身が金、あるいは金目のものだと知っている(勘違いだが)様子。
さらに言えば、衝動的な犯行じゃなく、計画的なそれっぽく見えるな。最初から、ここで俺たちを襲おうと準備してた、ってことか?
……いや、多分そこが『勘違い』なんだな。
襲おうとしてたのは俺たちじゃなく、今日この時間にここを通るはずだった……あるいは、これから通るであろう何者か、ってところか? そいつが何か金目のものを持っていて、それを奪おうとして待機してたら、偶然俺たちが通って……ってところか。
「何ぼさっとしてんだこのガキ、早くしろ! 痛い目に遭いてえか!」
「……でもコレ、言ってわかってるくれるような感じじゃねえよな」
誤解だって説明しても、嘘言って逃げようとしてる、と見られて終わりって気がする。
というか、そのまま襲い掛かって力ずくでどうにかしようとしそうな気がする。
「おい、面倒くせぇよ。もうこいつらノシちまおうぜ。金はそれから奪えばいいだろ」
「ああ、どうせ裏でヤバいもん売ってこさえた金だ。奪られても泣き寝入りするしかねえからな……ああでも、こいつらがその分、責任とって酷い目に遭うかもしれねえか」
「ならもうここで殺っちまうか? 服剥ぎ取って放っとけば、孤児が野垂れ死んだように見えんだろ。いいもん着てるみてえだし、これも売っちまおうぜ」
というか今にも襲い掛かってきそうだ。そして色々と勝手に情報吐いてくれてどうも。
で……どうやら遠慮する必要がない類の連中らしいので、全員まとめてぶっ飛ばした。
内容は割愛。特筆するようなことなんか何もなかったからな。
で、だ……ここからが問題だったんだよな。
ただのゴロツキならそのまま捨てといてもよかったんだが……最近色々物騒だ。具体的には、カチコミの回数が増えたり、その原因になるような半グレの組織が乱立してきてて。
この連中も……今来た人数は大したことないが、もっと大きなグループとかだったら面倒だなと思って、一応取り調べた方がいいか、ってことになった。
『契約』のパスを介して『念話』でデモルに連絡。何人か現場によこしてもらうことになったので、後はそれを待ってるだけ……かと思っていた時だった。
『周囲の様子見てきます』つって走ってったカロンが、帰ってきた。
その手に……見覚えのある女の子を、襟首掴んで引きずって、だが。
「戻りました、兄貴」
「ご苦労。……それどうした?」
「路地の入口の所にいました。恐らく、邪魔が入らないための見張りっすね」
そう言いながら、右手にぶら下げている女の子に……この間とは打って変わって、苛立ちと疑念を含ませた視線をじろりと向ける。
「あ、ぁあ……ご、ごめん、なさ……ぅっ……!」
その視線の先で……今にも泣きそうな表情になっているレオナは、見ていて気の毒なくらいに震えていて、足に力が入らないのか、立つことも満足にできない、といった感じだった。




