第30話 アイビスとアリシア
組に入ってまだ3年そこらの俺は、未だにカロン・デモルとの3人部屋だ。
2人と一緒に住んでることに特に不満はないが……自分だけのプライベートなスペースみたいなものは、ほぼないと言っていい。
今まではそれでも特に不自由はなかったものの、今回はちょっとそれが違う。
今回俺が買ったアリシアを……さすがにここに入れるわけにはいかないし。
最後の手段として考えはしたものの、できれば避けた方がいいだろう。彼女も年頃の女の子だし……何も起こらないとわかっていても、男と一緒の生活は好ましくないだろう。
彼女は奴隷なわけだし、そんなこと考慮しても仕方ないとか言われるかもしれない。実際、ただの雑務用の奴隷を持つ者の中には、男女だろうがお構いなしに雑魚寝させている店とかもある。奴隷に対しては、そういう扱いでも問題ないので。
ただ、俺としてはできれば……個室とは言わないまでも、もうちょっとマシな環境を用意できないもんかと思っていたわけだ。
「で、ソラヴィアに相談したら……事務方の雑用に、読み書き算術のできる雑用係が欲しいって話だったから、そっちに居てもらうことになると思う。大変だとは思うけど……」
「ううん、十分よ……ここまでしてもらえて、本当に助かる。ありがとう、アイビス」
今俺は、アリシアに『拠点』を案内している所だ。
今後アリシアは、『ヘルアンドヘブン』の雑用係としてここに住むことになるので。
言った通り、アリシアは読み書き算術ができる。貴族として高い水準で教育を受けていたので……そのあたりの能力は、そこらのゴロツキとは比べるべくもないレベルだといっていい。
ちょうどそういうのに需要があったのは幸いした。おかげで、居場所は簡単に作れた。
「同じ職場の先輩になる人らは、まあ……ちょっと元気がいいというか、雑な感じもあるけど、基本いい人たちばっかりだから。まあ、甘やかしてはもらえないだろうけど」
「わかってるわ。頑張って仕事を覚えなくちゃね……これでも私、『行儀見習い』で働いてた経験もきちんとあるんだから、割と戦力にだってなる自信あるのよ? 事務でも、それ以外でも」
「そりゃ頼もしい。きちんとできるところを見せてやれば、何も言われねーだろうしな」
アリシアは元貴族のお嬢様であるにもかかわらず、自分が庶民……それも、あんまり褒められたような職業でない連中と一緒に暮らし、一緒に働く立場になることに、ほとんど抵抗はなかった。
むしろ、やる気満々だったくらいだ。何でかわからんけど。
まあ、基本的にここは……ゴロツキだろうと子供だろうと、割と寛容に受け入れるとはいえ、弱肉強食独立独歩、働かざるもの食うべからずな雰囲気のある職場だ。どんな身の上だろうと、組織に所属する以上は甘やかされることはまずない。
アリシアが、貴族としての生活に慣れきっていて、自分では何もできないような箱入り娘状態だったりしたらさすがにまずかったが……どうもそのへんは心配いらなそうだな。
……参考までにソラヴィアからは、『自分で囲ってしまう手もあるが?』なんて言われたりしたが……いや、さすがにそれはちょっと。愛人か何かじゃないんだから。
幹部クラスには、奴隷に限らず、気に入った女に住処や仕事、金まで全部与えて、愛人として『囲って』おくこともあるそうだが……まだ下っ端同然、成人もしてないガキがそんなことしても、不相応もいいとこだ。何を色気づいてんだって、笑われるだけだっての……。
それに、そっちの方がそりゃ楽かもしれないが、それだと今後のことを考えると、好ましくないだろう。アリシアはもう……言い方はあれだが、貴族じゃないんだ。これから自力で生きていく必要がある以上、その為のスキルを身につけなきゃいけない。
そうするのに一番手っ取り速い方法は、実際に社会に出て働き、色々経験することだ。
俺はアリシアを、確かに助けたいと思ったものの……そのまま何もしなくていいような、甘やかす境遇に置きたかったわけじゃないんだし。……中途半端ではあるものの、今後のことを考えてと言うかね?
一応そう言ったら、
「あははは……わかってるわよ、そのくらい。私だって、アイビスにおんぶにだっこで養ってもらうなんて嫌よ。私にも何かできることがあるのなら、それを自分でやって生活していきたいわ」
「ははは、そう言ってくれると俺としてもまあ、安心するというか、助かるというか……」
「ふふっ、見てなさいね。あなたが安心するどころか、逆にびっくりするくらい、元貴族だって逆に思えなくなるくらいに頼もしくなってみせるわ。……まあ正直に言うと、アイビスに囲われて、養ってもらって……貴方のためだけに生きる、っていうのにも、ちょっと興味あるけど」
「おいおい……だから、まだペーペーなガキがそんなことできないって」
「わかってるってば、例え話よ、例え話。それにアイビスにそこまで負担かけらんないし……無駄飯食らいの何もしない女を養うなんて無理だし、嫌でしょ? ペットじゃないんだから」
「……俺、君にペットみたいな感覚で買われた過去あるけどな」
「う゛……そ、それはその、ね? あの頃の私は、まだてんで子供で、人の尊厳とかそういうのもよくわかってなかったというか……かわいい弟みたいなのができてはしゃいでたというか……」
「いや、別に尊厳がどうのって話はしてねーけど……冗談だって、冗談。何も気にしてないよ……何だかんだ言って、あの頃は俺も楽しかったし。まあ、今が楽しくないわけじゃなくてな?」
「……そう言ってもらえると私もほっとするわ」
すると、ふとアリシアは……その顔に浮かべていた笑みに、少し影を落とした。
何か、つらいことを思い出したかのように。
「……正直に言うとね? 私……心配していたの。あなたに、恨まれているんじゃないかって」
「は?」
恨まれてる、って……何で? 何がどうして、どこからそんな発想出てきた?
俺、今言ったことに嘘はねーよ?
あの頃は……ボールとか投げて『取ってこーい!』っていう犬みたいな遊びさせられたり、
『絶対に似合うと思うの!』って言われて、アリシアのお古の女の子用の洋服とか着せられて女装させられたり、その状態で散歩させられるなんていう恥辱プレイを命じられたり、
燃える城から勇者がお姫様を救出するおとぎ話を読んだアリシアに『脱出ごっこやろう!』って言われて、段差の上から飛び降りるアリシア(お姫様役)を、その下で俺(勇者役)が受け止めるように指示されて、結果体の小さかった俺はそれができずに潰されたりしたけど、
そういうのも全部含めて、あの頃のいい思い出であって……どうしたアリシア? 赤くなって。
「違、それ違う、そういうのじゃなくて……というか、何で覚えてるっていうか蒸し返すのやめて本気で恥ずかしいです……え、えっと! ほら……それより後、一番最後のことよ。私たちが……命の恩人であるあなたを、犯罪者にして、濡れ衣を着せて……」
「あー、それね……いやだからそれは、気にしてない……とまでは言わないけど、アリシアが悪いわけじゃないし、何も責めるつもりもない、ってこないだ言ったじゃんか」
「それでもよ……自分がそういう立場になって、ようやくわかったの。わかったつもりで、わかってなかった……私たちがあなたに、どれだけ酷いことをしたのか、って」
さっきまでとは一転。明らかにトーンダウンした声で、アリシアはぽつりぽつりと話し出す。
「この間、貴方達が私を買わずに帰った時……残念だったのと同時に、少しほっとしたの。私は……あなたに合わせる顔なんかないって。理不尽な濡れ衣で、全てを奪っておいて……私に、あなたに助けてもらう資格なんてない。なのに、少しでも期待してしまった自分が恥ずかしかった」
………………
「それでも、もう一度あなたが来て……今度こそ私を買ってくれる、と知った時、私は決めたの。あなたに、私のできる限りの償いをしよう。できることなら何でもやろう……って……」
………………
「だからアイビス。私……何でもするわ。元々この身はもう奴隷だもの、何をさせるのにも不自由なんてない。だから、貴方の気のすむように、好きなように、何でもしょあぁあぁああ!?」
え、何をしたかって?
魔法で小さな氷の粒を作り出して、それを素早くアリシアの背中に放り込んだだけです。
「せ、せなっ、冷たっ!? あ、あああアイビス、な、何を!?」
「悪い、重い空気に耐えきれなかった」
「――はぁ!?」
突然のことに動転している感じのアリシア。
数秒前までとは打って変わって、神妙な感じが消し飛んだ勢いで、
「なっ、何を言って……あ、あのねえ!? 私は真面目に、本気で話をして……ふぎゅっ!?」
しかしその途中でさらに俺は、今度はアリシアのほっぺたを両側からつまんでむにゅーっと。
「ふぁ、ふぁいいひゅ!? はにふるの!?」
「あのな……言っとくけど、俺別にそういうこと考えてアリシアを助けたわけじゃないからな?」
ぱっと手を放し、痛そうに頬をさするアリシアに――そんなに力は入れてないんだが――ため息交じりにSEKKYOUを開始。
「長い説教はするのもされるのも嫌いだから簡潔に言う。気にしなくていいと言われたことをいつまでも気にするな。引きずるな。表に出すな。自分にも相手にもいいことないから。以上」
「な、何を言って……私は」
「アリシアがどうとらえているかまで、俺にどうこう指図する権利はないから、それについてはまあいい……けどな、それでそれ以上歩くのをやめるようなことになっちゃ余計にダメなんだよ」
……いつだったか、誰かに言われたことの聞きかじりであるように思える。
いつ、誰に聞いたのかまでは覚えていないけど、面白いようにすらすらと口から出て来た。まるで、今彼女にはこう言わなきゃいけないんだと、体がわかっているかのように。
「怒る側が怒られる側に、何で『もういい』とか『忘れろ』って言って、その話を切るかわかるか? そのことに捕らわれたままじゃ、前に進めなくなるからだ」
もちろん、問題が完全に片付いたからだろか、気にしなくていいような些細なことだったから、っていう理由もなくはないだろう。そういうのはケースバイケースだし、他に色々な事情があって言い方を選ぶことになるパターンもあると思う。
けど、これについてだけは、どんな問題を『許す』場面でも共通だと、俺は思う。
「失敗を反省するのは大事だ。けどその反省は何のためにするのか? 次、同じことを繰り返さないようにするためだ。罰を受けるのも大事だ。何で大事なのか? 何かしら負担を負って、苦しい思いを強いることで、次にそれを起こさないための、自他への戒めとしてだ。わかるかアリシア、全部『次』に繋がってるんだ……その『次』を見失うことは、一番あっちゃいけないんだよ」
「次……でも、私は……」
「デモも体験版もない。いいかアリシア……俺はお前に、何も『全然そんなこと気にしなくていい』って言ってるわけじゃねーんだよ。むしろ俺だって、正直あの一件については未だに思うところがあるし、その後にありえない対応してくれやがった上の連中に言いたいこともわんさかある。機会があれば、落とし前つけさせることだって考えるだろうさ」
「だ……だったら、だったら私も!」
「お前は違う。あの時お前は被害者でしかなかったし、こうして謝ってくれた。だから俺は、アリシアに対して何か言いたいこともしたいこともない。本当にだ。むしろ俺は、アリシアにもこの件をさっさと吹っ切って前に、次に進んでほしい。つか、できることなら一緒に『次』に進みたいと思ったし、何か『次』があるか危うい立場にお前はいた。だから……俺が買ったんだ」
何一つ嘘は言っていない。
俺はアリシアに対して、思うところなんて一つもない。
悪く思っているのは、あの件を(恐らくは)主導したのであろう、レオナルドとエバンス氏、それに……誰だかはわからないが、内通して情報を流しやがった真犯人の方にだ。
俺と同じで被害者でしかなかったアリシアに対して、つける文句なんて何もない。
にもかかわらず、こんな風にいつまでもうじうじしていられても、こっちの気が滅入る。
そんなつもりで買ったんじゃない。そんな暗い顔で、聞いてて鬱になるような話をしてもらうために、一緒の職場に連れてきたわけじゃない。
彼女の気持ちを考えずに勝手なことを言っているのかもしれない。
それでも、俺は……
「俺は! アリシアと一緒にこの先ずっと楽しく、幸せに生きていきたいんだよ!」
「…………っ……! アイ、ビスぅ……!」
直後、アリシアは顔を真っ赤にして、涙をあふれさせ……それを隠すかのように、俺に抱き着いてきた。彼女の顔は俺の肩の上に乗るように、しっかり密着して。
抱き着いている彼女の体が、小刻みに震えているのが伝わってきた。
気のせいか、服の肩のあたりが濡れたようにも感じる。
……まあ、気になるようなものじゃない。
こんなんで、少しでもアリシアの心がましになるなら……胸ぐらい、いくらでも貸そう。
……身長足りなくて、肩で悪いけどな。
もうちょっと背丈、足りないな……まだアリシアの方が高い。追い抜けるのはいつのことやら。
そのまましばらく待って、震えも収まったころ。
「ありがと、アイビス……もう、大丈夫」
穏やかな声音で、アリシアは静かにそう言った。
「そっか……そりゃ、よかった」
なんとなく、ホントに大丈夫そうだな、っていうのが分かったので、そろそろ離れようか……と、俺が思ったところで、ふと思い出したような調子で、アリシアは呟いた。
「そう言えばアイビス?」
「ん?」
「さっき、私に最後に言ってくれたこと、私としてはすごく情熱的で嬉しかったんだけど……ねえ、自分で何言ってるかわかって言ってた?」
は? 情熱的?
え、俺何か変なこと言ったっけ? えーと、確か……最後に言ったのは……。
『俺は! アリシアと一緒にこの先ずっと楽しく、幸せに生きていきたいんだよ!』
…………あれ、今気づいたんだけど、ちょっとコレ、結構俺恥ずかしいこと言ってね?
言った時はもう、勢いで言っちまった感じあるけど、これ聞きようによっては……つか、傍から見てたらこんなん、完全にプロp……
「あ、あそこの建物の陰に誰か……」
「っっ!?」
「……冗談よ」
……まあ、元気になってくれたのであれば何よりだと思うことにする。
「と、とりあえず離れるか、アリシア」
「えー……嫌。もうちょっとこうしてたい」
「おい」
「久しぶりなんだからいいじゃない……私と幸せになってくれるんでしょ? あ・な・た?」
「おい!」
前言撤回。おいちょっと元気になりすぎじゃないのかお前。
ていうか今更だけど、意識しだすとその……く、くっついてるわけで今、アリシアの体の柔らかい感触とか、ボリュームのある胸部装甲とか、漂ってくる女の子特有のいい匂いとか……
「……あ、カロン君とソラヴィアさん」
「っっ……はぁ、二度目はもう通じねーよ。ったく……」
「ごめんアイビス、今度のは本当……あ、行っちゃった」
……………………
この後めちゃくちゃ追っかけて走った。誤解を解くのにめっちゃ苦労した。




