第28話 取引、そして……
ある夜。
『ヘルアンドヘブン』拠点の1つ……偽装教会・孤児院の中に設けられた、ある一室にて。
自らの居室の1つである、その部屋のリビングにて……幹部・ソラヴィアは、酒の入ったグラスを傾けながら、物思いにふけっていた。
氷と共にグラスに入っている酒は、数日前、休暇での遠出から帰ってきた、自分が面倒を見ている3人の舎弟が、土産にと買ってきたもの。透き通った上品な黄金色と、口から鼻に抜けていく芳醇な香りが、そこらではお目にかかれない上等な品であることを伝えてくる。
酒を飲み下して、ほぅ、と息をつく。その頬はほんのりと赤く上気している。
見る者が見れば……いつになく機嫌がいい様子だということに気づけたかもしれない。鉄面皮の仏頂面で知られるその顔に、薄くだが、笑みのようなものが浮かんでいることにも。
その理由はいくつかあるが……酒の味もあるが、『3人』から贈られたその酒が、寸分たがわず自分の好みの味だったこと。
すなわち、彼らが自分の好みをきちんと把握していて、狙ってこれを買ってきたということ。
それに加えて、テーブルの上に置かれているものが、もう1つの理由だった。
片手で持てるくらいの大きさの、しかしずっしりと重い革袋。
先程、酒と一緒に彼らから受け取ったものだ。中には、金貨がぎっしりと入っていた。
だが、ソラヴィアが喜んでいる理由は……金貨をもらったからではない。
「運もあるのだろうが……やるようになったものだ。あんなに小さかったあいつらが……いつの間にか、これだけ稼げるようになっていたか。しかも、『買い物』に使う分をきっちり引いてこれだ……やれやれ、随分と無粋というか、無駄な心配をしてしまっていたようだな、私は」
まだ駆け出しの、任侠の『に』の字も分からない頃から、自分が……やや放任主義ではあったものの、色々と面倒を見て来た、有望株の舎弟3人。自分や組の稼業を手伝わせたりして給料を出していて、時には上納金そのものを面倒みてやった時期もあった。
その彼らが、初めて自分たちの『シノギ』から、自分の元に持ってきた『上納』。
月々の決まった額の外……自分たちの意思で、自分達の上役の納めるための金貨。
生々しい話だが、ずっしりとくるその袋の重さは、そのまま、3人の成長の証だと言える。
どれだけやれるようになっているかを試す意味も込めて、休暇を与えて送り出し……戻ってきた彼らが引っ提げていたのは、予想を、期待をはるかに超える戦果だった。
冗談のような大金に加え、それを得るために披露してみせた策略や、それによって組織やフロントに副次的にもたらした利益……さらには、『シノギ』そのものの開拓までやってのけた。
まだ成人にも至っていない子供3人が、たったの2ヶ月足らずで叩きだした戦果だ。
それを知った時は、ソラヴィアは喜ぶのも忘れて、驚きのあまり呆気にとられたものだった。その様子を見ていたレイザーに、『珍しいもん見た』と大笑いされたほどに。
「ふふっ、以前は弟子など持っても面倒なだけだと思っていたが……中々どうして、楽しませてくれるじゃないか、うちの連中は。ひいき目かもわからんが、これは本当に将来が楽しみだな」
そう思うと、自然と口元が緩むのを感じながら……ソラヴィアは、今の気分と、目の前の金貨の袋を肴に、その後しばらく晩酌を楽しんだ。
「……おっと……ほどほどにして寝ないといかんか。明日は約束通り……あいつらを『買い物』に連れていかなきゃならんしな」
☆☆☆
当然ながら、俺はこんなところで、こんな取引をするのは初めてなので、店の人から色々と説明受けながら手続きを進めていくことになっていた。
……取引『された』ことならあるんだけどな。
それも、因果なもんで……その時に俺を買ったのは、今から俺が買う人だったりするんだが。
というわけで、今日俺は、ソラヴィアと、さらにカロンとデモルも一緒に……例の奴隷商に足を運んでいた。
理由はもちろん決まっている。
この間までの一件で貯まった金で、彼女を……アリシアを買うためだ。
色々と書類に記入して、この内容で間違いないかとかの確認も……そういうのを、こないだ応対してくれた店長さん自ら教えてくれている。
「はい……これで結構です。では、代金の確認をさせていただいてもよろしいですか?」
「はい、こちらです」
そう答えて、俺はあらかじめ用意して、袋に入れておいた代金を出した。
中から出したのは、1枚が牛乳ビンの底よりもやや大きい、ずっしりと重量感のある金貨――大金貨。1枚で100万ロールになるそれが、全部で15枚。
しめて1500万ロール。アリシアを買うための金額ぴったりだ。
あまりに額が大きいため、ほとんど目にする機会すら少ない代物だが、こういう時は役に立つ。
それをきちんと数え……さらに、額が額だから慎重に、偽物ではないことを確認した上で、店長さんはにっこりと笑って言った。
「はい、確かに1500万ロール、お預かりしました。では、すぐに領収書と……商品をこれへ」
「はっ、直ちに」
店長さんの指示に、店員がそう言って一旦退出し……1分もしないうちに戻ってきた。
その後ろから……待ちわびた人物が、一緒に部屋に入ってくる。
この前見た時よりも、かなり顔色とか血色がよくなっていて、体つきも、痩せ気味だったのが解消されているように見える……アリシアを。
商品としての価値を上げるためなのか、結構いい暮らしをしていたのかもしれない。痩せているよりは、こうして健康的な体つきをしている方が、見栄えもいいし人気も出るだろう。
もっとも、不特定多数への売り込み武器になるはずだったそれも……今となっては、貰われていく先がすでに決まっているわけだが。
部屋に入ってきたアリシアは、すぐに、中央のテーブルについている俺を見つけると……すぐに事情を察したのか、その顔に、隠しきれないほどの驚きや興奮を浮かべていた。
……自惚れとか気のせいでなければ、喜びや嬉しさが入っていたようにも見えた。
そして、そんな彼女の姿を見て、改めて……俺は俺で、今のこの状況を理解しなおした。
「今日からお前のご主人様になるお方だ。失礼のないように、きちんとご挨拶なさい」
「は、はい……! アリシア、です。これからよろしくお願いします、ご……ご主人様……!」
店長さんに言われて……顔を赤くし、戸惑いながら、勢いよく頭を下げてそう言ってくるアリシア。そんな、傍から見ていたら滑稽かもしれない様子を、俺はぼーっと見ていた。
笑うでもなく、呆れるでもなく……俺の方も、恥ずかしながら、あんまり余裕がなかった。
となりでカロンやデモルが『へー』とか『ほう』とか言ってるのも、どこか遠くに感じる。
彼女を、机の上の書類を、そして支払った金貨を順に見て……今更ながらに、理解する。
俺は、奴隷として……彼女を買ったのだと。自分の所有物にしたのだと。
今日から彼女は、自分のところに来るのだと。
現実味や実感が……あるようなないような、不思議な感じだ。
いや、まあ……無理もないかもだが。こんなの、初めてのシチュエーションだし。
奴隷なんて買うの初めてだし、手続きしている間も、正確に把握してはいなかった。
でも、こうして目の前にして……この後、帰る時になっても別れることはない、と認識すると……あー何だ、何て言ったらいいんだこの不思議な感じ?
わくわく? ドキドキ? そわそわ? おどおど? ギラギラ?
……ダメだわからん、語彙が足りん!
というか、何だ本当に……自分で自分の感情がわからない。俺は一体彼女を見て何を……
「おい、何をさっきからボケッとしてるんだお前は」
「……はっ!?」
と、ソラヴィアからのツッコミで正気に戻った俺。
……と、とりあえず考えるのは後にしよう。
まだいくつか手続きとかあるし、アリシアの方も準備とかあるらしいから、それをしながらでも……何なら、そうだ、もうこれからずっと一緒に居るわけなんだから……
……これから、ずっと一緒に……ええい鎮まれ邪念!
何だろうな、コレ……感動の再会シーンとかにでもなってもよさそうな感じの場面だと思うんだが、俺の情緒不安定×挙動不審のせいで、微妙な空気になった気が……
デモルやカロン、ソラヴィアからの視線も、『どうしたんだこいつ』みたいな感じのものに思えるような……そうでもないような……
……まあとりあえず、ひとまず目的は達成したんだから、一件落着ってことで。
グダグダな空気になりつつあるのは理解しつつも、今日はこれまでってことで、俺たちはそれぞれ準備を済ませて……アリシアも一緒に、帰路に就くこととなったのだった。
と、いう感じに終われればよかったんだけども。
実はこの後、もう一波乱あったのである。
☆☆☆
アリシアを引き渡すにあたり、色々準備するってんで、一旦席を外した後のことだ。
じゃあ俺たちも帰る準備しないと、と思ったんだが、なぜかソラヴィアからストップが入った。
そのまま、テーブルに座っている俺たち4人。
その正面に座っているのは……さっきからそうだが、店長さん。いつもと同じ、人のよさそうな笑みを浮かべている。
誰かほかの人が来るわけでもなく、さっきまでと同じ面子で……これから何か別な商談でもするんだろうか、と、思った時だった。
突然……隣に座っているソラヴィアのまとう空気が変わった。
「「「……!?」」」
それを肌で感じた俺たち3人。
自然と背筋が伸びる。緊張感とか、条件反射的なやつで。
ソラヴィアから放たれているその空気は、普段の、優しくて気のいい姉貴分としての彼女のそれではなく……ヤクザの幹部としてのそれだ。意識していなくても、周囲を威圧するような……隠しきれない気迫ないし覇気、みたいなものを、今のソラヴィアは放っている。
臨戦態勢の時に放つ殺気とか気迫ほどじゃないにせよ、明らかに平時に放つような空気じゃないのは確かなわけで……い、一体これから何が始まるんだ!?
そんなことを考えたと同時に、もう1つ、強烈な違和感に気づく。
真正面に座っている、店長さんが……さっきまでと全く変わらない様子で、にこにこと人のよさそうな笑みを浮かべていることに。
……これだけ近くに居れば、素人であっても多少なり感じ取れるであろう、ソラヴィアの気迫を受けていながら、顔色一つ変えないって……? おかしい、よな?
極度に鈍感、ってわけでもなさそうだし……ひょっとしてこの人、只者じゃない?
というか今気づいたが……ソラヴィア、若干緊張してないか?
……まさかとは思うが、この人を……店長さんを前にして?
でもそれじゃまるで、この人がソラヴィアより上の……
「アイビス、デモル、カロン……まず初めに1つ、お前達に説明しなければならんことがある」
そんなことを考えていた中、口を開いたのはソラヴィアだった。
説明……って何を? と聞き返そうとした時だった。
「ああ、いいよソラちゃんそれは。私の方から説明するからね」
…………『ソラちゃん』?
え、何今の呼び方……え? ソラヴィアを、ソラちゃん……え!? 何それ、どういうこと!?
「いえ、ですがそういうわけには……」
「いいんだよ、私の方から頼んだんだから。それも、遊び心なんていう年甲斐もない理由でね。なら、きちんと自分の口から言うのが筋ってものだろう。どの道、自己紹介も必要だからな」
「はあ……オジキがそうおっしゃるのでしたら」
…………はい!?
え、ちょ、ソラヴィア今何て言った!? お……『オジキ』!?
あまりにも予想外な展開に、驚きを隠せない状態の俺たち3人が視線を集中させる先で……やっぱり変わらない微笑みを浮かべている、店長さん…………だと思っていたお爺さん。
その笑みのまま、耳あたりの優しい声で……さらりと告げた。
「だましていて悪かったね、ソラちゃんの舎弟くん達。私は……名前は、ヴィルヘルム・ガレス。この奴隷商の店長というのは嘘で……本当は、『ヘルアンドヘブン』と同盟関係にある組織『旭枢会』の会長をしている者だ。以後、よろしく頼むよ」
この後しばらく、俺たち3人は開いた口がふさがらなくて……ソラヴィアから拳骨で物理的に元に戻されるまで、しばし間抜け面をさらしていた。




