第2話 貴族令嬢の遊び相手
牢屋から出された俺は、すぐに客の元に連れていかれることはなく……商館の別室で『身支度』を整えさせられた。
まず、首輪以外の衣服全てをはぎ取られ、風呂に入れられて体を洗われた。
木桶に水を張っただけのアレじゃなくて、本当の……正真正銘の風呂だ。そこで、湯と石鹸で、体中ピカピカに、磨くように洗われた。頭のてっぺんから足の先まで。わきの下や耳の裏……ちょっと口に出すのが恥ずかしい部分も、隅から隅まで、内側まで、全部。
しかし、それをやってくれた商館の従業員……一応女だったんだが、その手つきも態度も、色気のかけらもない、ただひたすらに事務的な感じだった。
生理的に仕方がないというか、俺の体の一部分がつい反応して変形してしまったのを見ても……顔色一つ変えず、眉ひとつ動かさず、最初から最後まで事務的に洗っていた。
そのうち恥ずかしがってるこっちがバカらしくなったので、途中からはなすがままって感じで、俺も何も考えずに、納品前の整備をされていた。いつの間にか、変形も収まってたし。
ほどなくして洗浄が完了すると、今まで着ていたぼろきれのような服ではなく、清潔で、それなりに身綺麗に見える服を着せられた。さらに、風の魔法で髪の毛を乾かされ、くしでとかされ、香油だか整髪料だかまで使って、整えられる。
転生して依頼初めてなほどに整った容姿になった俺は……その段階で、いよいよ『納品』の時を迎える。応接室っぽいソファに座って、これから俺の『ご主人様』になる、誰かを待つ。
誰かに『買われた』ということはすでに聞いているが、誰に買われたのかまでは知らない。
というか、いつの間に見定められ、買われたのか……それっぽい場面があった記憶も、それっぽい会話を聞いた覚えもないから、まったくわからん。
ひょっとして、寝てる間に、とかか? うーん……
声と表情に出さずに考えていると……がちゃ、と扉が開いた。
すっくと立ちあがる奴隷商人に合わせて、慌てて俺も立ち上がる。立って、出迎える。
ノックもなしかよ、と一瞬思うものの……こっちが店側で、あっちは客だった。そりゃノックなんていらないわな。
そして、入ってきたのは……いかにも、って感じに身なりのいい、3人の男女。
壮年の男性1人に、年若い美女が1人。
そして……その美女について歩くように入ってきた、俺(現在)と同い年くらいの、幼い少女。
その少女と……ふいに、目が合った。
☆☆☆
あれよあれよという間に話は進み……俺はそのまま、購入者である貴族の家にお持ち帰りされた。
うん、予想通りだけど……やはりというか、俺を買ったのは貴族だったのだ。
只今、その馬車に一緒に乗せられて、その家に向かっている最中である。
「いやあ、それにしても、運がよかったな。まさか、ダークエルフの奴隷が入っているとは……」
「ええ、本当に。商人も、気前よく値引きして売ってくれましたし」
「ああ、これは末永く、大事にしなければならんな……なあ、アリシア?」
「……えっ? あ、は……はい!」
と、ぼーっとしていた……というか、俺の方を見ていて、話を聞いていなかったらしい女の子が、父親らしい男の声で、はっと我に返る。
生まれて初めて見るダークエルフが物珍しいからか、はたまた、聞く限り、自分専用の奴隷を持つということが初めてで緊張しているのか……さっきからじっとこっちを、目を輝かせて見てくるので……こっちとしても反応に困る。
「おいおい、しっかりしろよアリシア。お前が面倒を見るんだぞ?」
「そうよ? これからあなたの『おともだち』になるんだから、きちんとお世話するのよ?」
……何か、ペットショップでチワワでも買ってきたみたいな会話が耳に届く。
ひょっとして俺、健全な意味での『愛玩動物』として買われたのかね? 今こうして目の前で……また、興味深そうにこっちをガン見している、小さな女の子用に。
「えっと……わ、私、アリシア。よろしくね……え、えっと……」
「……あ、アイビス、です。よろしく……お願いします」
商品引き渡しの時に一応名乗ったのだが、どうやら忘れてしまったらしかったので……再度、俺の名前を教えておいた。
さて……結論から言えば、俺の予想はおおむね当たっていた。
俺が買われて連れていかれた先、『アルーエット家』は、そんなに大きくない中小の貴族家で、階級は子爵。ただ、今代の当主は有能で、王室からの覚えもめでたく、昇格も見込まれているそうだ。
しかし、それだけに仕事は忙しく……あの時はああして一緒にいたものの、普段は色々な政務であちこちを飛び回ったり、大都市圏での軍務を含む仕事を任されたりして、1年の半分も家族と一緒にいられないらしい。
その間、その妻が代官たちと協力してどうにか領地を経営しているが、これもまた多忙。結果として、娘は乳母とかメイドに任せっぱなしなんだとか。
不憫に思った両親は、遊び相手でもいれば……と考え、その白羽の矢が立ったのが俺ってわけだ。
同じ貴族の子女とかじゃなく、何で奴隷なんて遊び相手に買い与えたのかというと、派閥とか権力が絡むしがらみとか、色々あるようで。
加えて、有能でも中小貴族の域を出ないアルーエット家は、横のつながりはあまり広くない。自分達が見ていられない間、娘の相手を安心して任せられるような、丁度いい相手がいない。
だったら、奴隷の首輪で行動を確実に縛ることができ、上手くすればそのまま長い時間をかけて従順な従者に育つ可能性もあり……最悪、何か間違って壊れたりしても大丈夫な奴隷を、っていう考えの結果だったようだ。
そしてそこで、奴隷商館で……珍しいダークエルフの奴隷を見つけて、購入したと。
ダークエルフのような希少な亜人は、人間にはできないことを多くこなす。魔法的に。
二番目の目的である『従者育成』を考えた場合、これがいいかも、と思ったようだ。
他にも、どうやら『アルーエット家』は、亜人差別に反対派らしく、娘にも亜人と仲良くすることを、小さいうちから知って、覚えてもらいたい、っていう思惑もあったらしい。
そういうわけで、俺は、この家の1人娘……『アリシア・アルーエット』の、よく言って遊び相手、悪く言えばペット的な位置づけで、この家に招かれた。
そんな俺の現在の1日の流れは、当然ながら、奴隷商のところにいた時とは全く違う。
使用人用の棟の、広くはないが、かなりいい感じの部屋を1つ与えられている。
例えるなら……ビジネスホテルの一室って感じだ。それなりにふわふわ感のあるベッドと、小さな1人用の机とイス、それに収納用の戸棚とクローゼットがある部屋。クローゼットの中には、当然だが俺の服がしまわれている。
そんな部屋で寝起きしているわけだが……この体はなかなかに寝起きがいい。
毎朝、6時にはぱっちりと目を覚ますことができる。
日本にいた頃の習慣で、二度寝はせずに起きると、魔法で水を出して木桶にため、服を脱ぎ……着替えの前に、その水で濡らしたタオルで寝汗をさっとぬぐう。
魔法の使い方は……なんとなく体が覚えていた。
何というか、例えが難しいんだが……日本人が、箸の使い方を、細かい理屈でなく、経験で、というか手で覚えているのと同じような感覚だ。
練習したこともないはずなのに(少なくとも俺の記憶の限りでは)、この、空気中の水分から水を作る魔法や、その他色々な……派手さはないが便利な魔法をいくつか使えるようだ。
現在、仕事の合間を縫って色々練習している最中である。
そうしてさっぱりしたら、着替えなど身支度を済ませる。
この家に来てから支給された……煌びやかとかではないものの、清潔で気品のある感じの服。
その後、少し魔法の練習とかをして時間をつぶす。まだ、次の『予定』まで余裕があるから。
そして、頃合いを見て部屋を出て、さらに使用人棟も出て、この屋敷の本邸へ向かう。
入り口を守る門番2人が、駆け足で近づいてくる俺を見て一瞬身構えるものの……顔を見て俺だと確認すると、その構えと警戒を解く。
俺はぺこりと一礼して中に入り……奥の方にある、俺の主人であるアリシアの部屋に行く。
扉をノックすると、その中から『どうぞ』という声がかかる。
しかし、アリシアの声ではない。その母親の声だ。まあ、2人は一緒に寝てるんだから当然だが。
アリシアの母親……アスタリア・アルーエットは、多分だが、俺と同じくらいには早起きだ。俺がこうしてノックをする時、必ず起きている。
毎朝はっきりとした声で、寝ぼけた感じに聞こえたことはこれまで1度もない。
そしてそれは多分、アリシアも同様だ。
失礼します、と一言断って部屋の中に入る。
寝室の中央にでんとある大きなベッドの上に、寝間着姿のアスタリアとアリシア。アリシアはまだすやすやと寝ていて、アスタリアがその髪を優しくすいてやりながら、頭をなでている。
アスタリアは、俺が入ってきたのに気づくと、にっこりとほほ笑んで迎えてくれる。
「おはよう、アイビス。今日もよろしくね」
「おはようございます、アスタリア様」
その手元でなでられているアリシアは当然無言だが……俺は知っている。このアリシアの寝顔が、毎朝、狸寝入りであると。
寝たふりをしていて……そして、俺が起こすのを、わざわざ待っているのだと。
ベッドの反対側に回り込み、ゆさゆさ、と、その肩に手をかけて揺さぶりながら、
「アリシアお嬢様、起きてください、朝ですよ」
「ん……うん、そうね。おはよう、アイビス!」
ぱちっ、と目を開け……次の瞬間、不意打ちで肩にかかっている俺の手を取り、グイッ、とベッドに引っ張り倒す。倒れこんできた俺を……身長差から必然的にそうなるんだが、胸元で受け止め、そのままぎゅ~っ、と抱きしめる。
ここまでが、毎朝のこと。気分は、テディベアかなんか。毎日飽きもせずにようやる……まあ、悪い気分じゃないけど。アリシア、いい匂いだし。やわらかいし。
それを微笑まし気に見て笑うアスタリア。
彼女から見たこの光景は……ペットとじゃれ合う愛娘、って感じの構図だろうか。
こんな感じで、俺の一日は始まる。
☆☆☆
俺の日中の生活は、大きく分けて2つ。
アリシアの遊び相手になっているか、使用人の仕事をしているかだ。
どっちかと言えば、後者の時間が多い。
アリシアは貴族の子女として、色々と習い事やら何やら用事も多く、俺と一緒にいる時間はそう長くない。その間俺がさぼってられるわけもなく……仕事をきちんと割り当てられる。
まあ、別に特別な作業とかがあるわけでもなく、家事手伝いが主の雑用なわけだが。
幸か不幸か、奴隷であり、亜人である俺に、屋敷にある高価なものの手入れなんかを任せるわけにはいかないようで……侍従としての上司達が割り振ってくるのは、何も特別な技能や知識を必要としない、ごく簡単な作業だけだった。
小学校とか中学校で、集団行動の一環として掃除の経験を積んで、ノウハウを知っている俺からすれば、普通にこなせる内容だ。……どうでもいい話だけど、アメリカとかだと、学校では生徒が掃除したりはしないんだそうだ……だから何って話じゃないけどさ、全然。
そして、習い事とかが終わると……今度は俺に、アリシアの遊び相手としての時間がやってくる。
「あっ、アイビス! こっちこっち!」
「ねえ、今日は何して遊ぼっか? あ、そうだ、この前お母様が……」
「私、今日は先生にダンスを教えてもらったの! 後でアイビスにも見せてあげ……ううん、アイビスもいっしょに踊りましょ!」
俺がここにきた当初……最初のうちこそ、アリシアは緊張していたものの、今ではすっかり俺を友達認定し、遊びに誘ったり、その日あったことを話すおしゃべり相手にしたりしている。
彼女とは、用事があったりしない限り……許される限り一緒だ。
遊ぶときはもちろん、食事の時も、昼寝の時も、とにかくいつも。習い事の時に、わがまま言って俺を同行させたこともある。邪魔にならないように待たせておく、って条件で。
俺と一緒の時間……特に、一緒に遊ぶ時間は、貴族の子女として、色々疲れることも多いらしい彼女にとって、かけがえのない癒しのひと時になっているようだ。先輩の使用人が、最近のお嬢様はよく笑うようになった、なんてこぼしているのを聞いたことがある。
そう考えると……まあ、別に、酷使されているわけでもないということもあり、今のこの暮らしは……俺的にも、そこそこ充実していて楽しいし、割と気に入っている。
一緒にいる時、一緒に遊ぶときにアリシアが見せる笑顔も、かわいくて癒されるし。
「ほーらアイビス、取ってこーいっ!」
……たまに、こんな風に……ちょっとずれたというか、ツッコミどころがある行動をとる時もあるんだけども。
え、今何してるかって? 庭でアリシアが、フリスビーっぽい円盤を投げて、俺にとって来いって……なんか、うん……犬だよね、コレ。扱いが。
アリシアには多分、そんな悪意とか、邪な意図はなくて……ただ単に、楽しそうだからやってるだけなんだろうけどもさ……大事にしてくれてるのは、確かだし。
アリシアに『天然』の可能性を疑いつつ、フリスビーを追って走る俺。
ちらりと見れば、にこにこと満面の笑みを浮かべるアリシアと……その隣で、引きつったような感じに見えなくもない笑みを浮かべているメイドが1名(付き添い)。
フリスビー(仮)が失速する直前に、俺がジャンプして両手でキャッチすると、アリシアがきゃっきゃと喜ぶ姿が目の端に見えた。
……どうでもいいが、この遊び……意外と楽しいから困る。
思いっきり体を動かしたり、飛んでくるものをキャッチするのが特に。
……肉体年齢に精神が引っ張られてる……のか?
☆☆☆
そのまま、時間の許す限り……具体的には、次のアリシアのスケジュールにさしかかるまで、一緒に過ごして遊んだら……俺は、使用人棟に戻る。
もし可能なら、まだ一緒にアリシアと……夕食も一緒に取ることがある。
けど、この日は別な貴族家との会食ということになっていたので、アウト。
そういった席に、奴隷である俺は同席できないので、今日の『お友達』の仕事は終了だ。
「……今帰りか? ダークエルフの小僧」
歩いてる途中で、横合いから声をかけられる。
見ると……そこにいたのは、しわ1つなくピシッと軍服を着こなした、1人の男。
金髪をオールバックにして後ろになでつけ、細いツリ目が特徴的な、一応イケメンな感じの男。背も高く……がっしりとした体つきは、軍服の雰囲気も相まって、力強さを感じさせる。
「あ、お疲れ様です。レオナルド様」
「……夕食の時間はすでに始まっている。さっさと行って済ませて、さっさと寝ろ」
ぺこりと会釈する俺に、この警備部門の一部隊を担う隊長である、その男……レオナルド・ダースは、そうぴしゃりと言って、一瞥もせずにすれ違う形で立ち去った。
その、すれ違う一瞬に……ちっ、と舌打ちの音が聞こえたのを、俺は聞き逃していない。
……というのも、ここに住んでしばらくのうちに知ったんだけども、どうやらあんまり俺のことが好きじゃないようで。理由はわからんけど。
今みたいに……舌打ちしたり、にらんできたりする程度で、まあ、実害はない。今のところ。
だから、気にしないことにしている。
まあ……この通り『亜人』だしな。色々と、好き嫌いみたいなのもあるんだろう。
今日も気にしないことにして、俺は使用人棟に戻り……食堂で食事を済ませ、部屋に戻る。
そして、朝と同じように魔法で水を出し……体を、朝よりも念入りに拭いて、寝間着に着替えて、寝る。これで、俺の一日は終わりだ。
……うとうととした意識の中で、ふと、思う。
異世界転生なんて、とんでもない経験したにしては……何というか、平穏で地味な生活だな、と。
ああでも、いや、ダークエルフに転生して、奴隷になって貴族の家に仕えるなんて、十分にぶっ飛んでると言えなくもないか。
まあ、いいや。だからってどうこうないし……今の生活が楽しければ、それでいいだろう。
ぶっちゃけ、よくわからん『転生』なんてことについては……誰に対して文句を言っていいのかも分からんし、あきらめてる。
その上で、奴隷という身分……買われた相手によっては、悲惨な人生を歩むことになったんであろう、この身分であるが、幸いにも、人道的に扱ってくれる人に買われることができた。
身分そのものに何も思うところがないわけじゃないが、こんな右も左も……というか、種族含め自分のわからない『異世界』なんぞで、贅沢言うもんじゃない。
衣食住満たされてるってだけで、御の字だ。だったら……それを満たしてくれている、雇用主、もとい所有者に、誠心誠意尽くすくらいのことはするべきだろうと思う。