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脳天をかち割れられたクラスメートの身体がゆっくりと力を無くし、周囲の机を巻き込みながら倒れこみ、激しく音を鳴らした。頭に突き刺さったもののせいか、何度かバウンドしたようにも見える。
その音が、血の匂いが現実感を呼び起こす。
「きゃぁああああああああ!!」
女生徒の悲鳴が、決して広くはない教室を揺らした。
目に焼き付いた光景を振り払いながら、生人は考える。
なんだこれ?
その思考に頭が向きかけた途端、脳がその考えを拒絶する。違う必要な情報じゃない、今考えなきゃいけないのはそんなどうでもいいことじゃない、除外する。
深く息を吸う。取り込んだ酸素が全て血の中に押し込まれる錯覚さえ起こしながら、生人はそれでも冷静だった。脳が冷え切っていた。熱いのは、身体を突き動かす心臓の脈動。目の前で死んだ人間へ向ける感傷さえ、認識することは出来なかった。
どう、する?
向いた思考が合致する感覚。脳がそれを待っていたとばかりに動き出し、血が全身をめぐる。そう、何が起こっているかは重要じゃない。必要なのは何をすべきか。
生人は自分とは真反対にある教室後方のドアを確認する。逃げる、今は逃げるべき。血が巡り、身体を這いずり回る電気信号が自分自身に囁きかけてくるのを、生人は認識する。
ドアには、既に多くのクラスメートが殺到し、我先に逃げようとしているようだが、肝心のそのドアが開いていない。
「速く開けてよぉ!!」
「あかねぇんだよ!!」
「押すんじゃねぇ!!」
ドアが開かない。逃走ルートには使えない。今の生人にはその情報だけで十分だった。その情報を除外し、自分が座っていた椅子を両の手で持ち上げた。
ドアがダメなら側面。窓をぶち破ると生人は決め、そして窓を見て、一旦停止する。
窓が黒い。
本当につい先ほどまでは、校庭を見渡すことができた、その無色透明の窓は、日の光も通さぬほどの漆黒を体現している。
停止していた身体を生人は無理やり動かす。窓が黒い。そんなことは後で考えればいい。いや、後で考える必要すらない。ぶち破る。
カイィン、と弾力を含んだ音が木霊した。椅子を使って全力で叩きつけた窓は、傷一つ負うことなく、その存在感を露にする。結果として、生人の手に痺れが起こっただけだった。
逃げられない。きっと、これは逃げられない。
脳が一つの答えを出す。電気信号が、身体を伝う血が、自分に語り掛けていた声を、大きくする。
「どうなってんだよ!!」
「知るか!!先生は!?」
「たすけ、痛いぃいいいい!!、だれがぇえええあああ!!」
教室に入ってきたゴブリンは、後方のドアに群がるクラスメートを標的にし始めた。教室前方から雄叫びを上げながら移動し、手に持つ武器で手当たり次第にクラスメートを殺し始める。
地獄みたいな光景だった。
―――さぁ。
生人は、脳が、身体を伝う血が、電気信号が、明瞭に声となりつつあるのを感じた。その身体の集合体が、神経を介し、シグナルとなって、全身を駆け巡る。
―――さぁ、さぁ、さぁさぁ!! 突っ立っていては死ぬぞ!!
もはや、音声だ。意識の底から這い出る、自分自身の産声だ。
―――逃げ場はない!! 背中を見せれば生き残れない!!
生き残れない。その言葉を聞いた瞬間、生人の中で何かが弾けた。
それは、怒り。転校が多い中で、ひたすら溜め込んでいた火種。
理不尽だと思っていた。住む場所を転々と変えられ、それでも両親は生人の為だと公言する。小学生の時から続いたそれは、生人の中に火種となって燻っていた。愛着があった場所など一つもない、故郷は何処かと言われれば、生まれて一週間と立たない内に引っ越した産婦人科がある街の名前を告げる。そんな事を繰り返している内に、自分という存在が非常に矮小に思えるようになった。
両親の言いなりに、無感情に繰り返す引っ越し。誰も登録されることのない、スマホの連絡先。在籍した高校で、名前だけを残す部活動。
そこに居ても、直ぐに消える存在。忘れられる存在。吹けば、消える存在。それが生人だった。
だから、だからこそ、そんな存在のまま死ぬのは真っ平御免だった。
生きる、生きる、生き残る。強く心に言い聞かせる。この怒りが消えてしまわぬよう、もっと大きな炎になってしまえと思いながら、何度も何度も繰り返し心に言い聞かせる。
「どう、すればいい?」
心の中の自分に問う、脳の中にいる自分に問う、血液の中にいる自分に問う。
―――どうすればいい!? 嗤わせるな、答えはとっくに出ているぞ!!
そうだ、答えなんてとっくに出ている。
また一人、名前も知らないクラスメートがゴブリンに喉を噛みつかれ、死んでいく。
―――殺せ。
そうだ、殺そう。殺すことでしか生き残れないなら、殺そう。迷いなく、油断なく、確実に殺そう。それで俺が生き残れるなら問題はない。
拳を握った。今まで生きてきた中で最も強く、その拳を握った。
―――あいつらを殺せ!!
そうして、生人は自分の中にある本能に火をくべた。生物なら持っていてしかるべきその本能は、外敵のいない、命の危険がない生活を送るために多くの人間が欠落させていく本能。生存本能と言えるものだった。




