馬車
朝食も食べ、食後の紅茶も飲み終わるころには、昨日約束していた午前7時ごろとなった。
「では参りましょうか」
ジェームズはおもむろに立ち上がる。
「しっかり頼むよ」
「もちろんさ」
ミーティにジェームズが声をかけると、さも当然のように答えた。
事務所から出ると、昨日は分からなかった街並みがはっきりと見通せる。
「おお、綺麗ですな」
思わず大河内はジェームズに言った。
「ええ、私はこの街並みを気に入って、ここに事務所を構えることにしたのですよ。気に入ってくださり、ありがとうございます」
にこやかにジェームズが話してくれた。
そう話しをしている間に、呼んでもいないのに馬車がやってきた。
「頼みよ」
「へい、旦那」
馬丁に何かを渡したジェームズは、後ろがボックスになっている馬車へと乗り込んだ。
「どうぞ、連絡はすでにしておりますので、ご安心ください」
「これも料金のうちなのか」
大河内が呟くようにいうと、よいしょっといいつつ馬車へと乗り込む。
意外と高さがあったが、どうにか足を上げた。
そして、3人共乗り込んでから、天井を2回叩く。
すると、それを合図にして馬車はゆっくりと、ガタガタと動きだした。
「本当でしたら、ここに鉄道が走るはずでした。
土地の買収もままならないようだが、それでも確かに道路沿いに何か囲いがある。
「グッディ子爵卿は、どのような方ですか」
大河内の従者が、ジェームズに尋ねる。
そういえばそれを聞きそびれてここまできたことに、大河内は気づいた。
「どのような方、と言われましても。昔ながらの貴族。といったところでしょうか。私が卿と知り合ったのも、ミーティが貴族の三男だということもあります」
「それはどういうことですか」
大河内も男爵をもっている華族だ。
それとはやはり違うらしい。
「古くは、西暦500年ごろにスコットランド男爵となりました。ただここの男爵は、貴族とは認められていません。叙爵を授かるのは1235年に貴族院の議席の一つを受け取るときになります。1550年、グッディ子爵が授けられ、これからご案内しますアマーダンハウスが建設されたのはそれから15年後でした。のちにはグレートブリテン貴族の男爵となりましたが、鉄道投資に失敗し、今のアマーダンハウス以外の全てを売却しました」
「それで、そこも売るしかないことになったのだと」
大河内がジェームズに言った。
それに、ジェームズはうなづいて答えた。
「ミーティは、もともとドイツ系の貴族の三男で、法廷弁護士となったのも、彼自身がスペアであることが原因と考えています」
「スペアとは」
大河内は思わず質問をした。
「貴族の嫡男で、その爵位を引き継がない人のことです。次男以下が大概該当しますね。長男が相続前に死んだ場合に、その者らが引き継ぐことになるので、代わりという意味からそう呼ばれています」
「スペア、か」
「ですから、貴族の称号を持つ者は、次世代を産ませることが重要視されます。なにせ、これまで引き継いできたものが、自分の代で途切れさせたくはないですから」
「ということは、貴族は大抵は、結婚しているか子持ちっていうことになるが」
「ええ、ただ、今のご時世、土地や資産を切り売りしないとどうしようもないという家が多くなっているのは事実です。特に、古代からの貴族階級だった方々というのは、時代の変化に取り残されやすいですから」
「とすると、どういうことだ。結婚もできないということか」
「その通りです。事実、これからお会いします子爵卿は、未婚です。新大陸の大金持ちや、新興家と繋がらないと、家を維持するのは大変なのです。それも、貴族という家柄が好きだという、なんとも言い難い方々と戦略的に結婚しなければならないほどに」
「私は嫌われてここにいるのかな」
思わず、大河内がジェームズにボソッと言う。
「大日本帝国は、確か貴族制度がありましたね。その階級をお持ちなのですか」
ジェームズが尋ねる。
「ええ、まあ。主君である砂賀家当主は子爵位を、私自身はその約800年間筆頭家老としての家柄で、男爵位を授かりました」
「それはそれは。ならば話は別でしょう。そのことは、子爵卿もご存知ではないので」
砂賀家は1100年台前半に墾田によって土地を得た砂賀行司によって造られたとされる。
この時から、大河内はいたというのが、伝承上の家系図だ。
ただし、実際に筆頭家老職となったのは、1338年に室町幕府から守護として認められて以降であり、今の1900年からみると、だいたい560年前ということになる。
「何はともあれ、歴史をご存知の方は、子爵卿は歓迎なされるでしょう。どこぞの馬の骨よりかは、はるかにマシでしょうし」
ジェームズが言いつつ、外を眺めつつも、物思いにふけりだした。
それをキッカケにして、大河内も従者も静かになった。
ガタン、がたんと、路面状況が悪いようで、馬車は時折飛ぶ。
それがまるで催眠術のようになって、いつしか眠りについた。