コーヒーを淹れるという贅沢
朝、六時に目が覚めて伸びをする。関節がぎしぎしと時間をかけて動く力のない伸びだ。けれどこれをしないと私の一日は始まらない。修さんの一日も始まらない。
修さんが眠っていることを確かめて、私はゆっくり寝床から這い出す。隣の間のコンロに火を点けて、片手鍋で湯を沸かす。鍋もコンロも少し歪んでいるから、水面は少し斜めになる。茶色い天井を映した水に小さな泡が立つ。
パンをトースターに入れて、卵を二つ、フライパンで焼く。蓋をして待つ。修さんを起こすのは用意ができてからだ。
手際が悪いのを年のせいにすることはできないなぁ、と、狭い部屋をいったりきたりしながら思う。こんなことならば修さんがボケる前に色々教えて貰っておけば良かった。そうすれば卵だってあんなに無駄にすることはなかっただろうに。
湯の沸くしゅんしゅんという音を聞きながら、私は挽いた豆を慎重に紙の上に入れた。コーヒーの味などよく分からないが、修さんが好きなアメリカンなら、得意だ。若いころ、それはなんだと聞いたら色々説明してくれたが、首を傾げる私に、彼はため息をついて「薄いコーヒーだ」と呆れたように言った。薄いコーヒーが、彼は好きなのだ。
「修さん、いま起こすからね」
ドリップが終わったのを確認してから、修さんに声をかける。白い頭が奥で動いた。朝日を受けて、修さんの目がきらりと光ったのが見えた。
いま起こすからね、と呼びかけて、修さんのところに移動するまでの時間――修さんを抱きかかえて起こすまでの時間、これが、意外と長い。彼を待たせることになるこの迂遠な時間が自分の老いを一日の中で一番実感させてくれる。なんてことのない数秒に、今更駆け寄ってはくれない時間の残酷な性質が凝縮されているのだ。
それでも私は、修さんの元にゆく前に、「いま行くからね」、「いま起こすからね」、そう話しかけるのをやめることはできなかった。「いま」と言うたび私に目を向ける彼が、愛おしいので。
待たせている間、修さんは私のことを大人しく待っていることもあれば、何か喚いているときもある。まだかろうじて一人で起き上がることもできるので、手を伸ばしてカーテンを引っ張ったりもしている。
今日の修さんは大人しい修さんだった。手を伸ばす私に掴まり、ぶつぶつ文句を言いながら立って歩く。
「おはよう修さん、アメリカン、いれたよ」
「ああ、いい匂いがするな」
「そうだね。修さん、やけどしないようにゆっくり飲むんだよ」
「ご親切にどうも。悪いね」
「いいんだよ。僕は修さんの家族だから」
修さんは、あまり気楽な性格ではなかったから、眉間には深い皺が刻まれている。二人で外に散歩に行くと近所の子供に泣かれたことがあるくらい、強面だ。その彼が破顔する。
「そうかぁ、ありがとなぁ」
「うん」
美味しそうに鼻先で匂いを堪能してから、修さんがアメリカンを一口飲む。音を立てて啜って、はぁー、と満足そうに溜め息を吐く。
私は胸がいっぱいになった。朝食に、コーヒーを淹れるという贅沢。好きなものを食べさせてやれる贅沢。三日前、お医者様が言ったのだ。彼にコーヒーを飲ませてあげて下さいと。
「修さん、コーヒーおいしい?」
「君が淹れてくれたのか」
「そうだよ」
「ああ、うまい」
「僕のこと好き?」
「君は誰だ?」
「修さんのことが大好きな人だよ」
修さんはぽかんと口を開けて、そうか、と頷いた。パンをぽろぽろこぼしながら咀嚼し、コーヒーの水面をじっと見つめていた。
「それはありがたいね」
「うん、ありがたいね」
一日が穏やかに始まっていく。
私は、明日も、明後日も、一年後も、生きている限りコーヒーを淹れるだろう。美味しいのか美味しくないのかすら分からない薄いアメリカン。とても、幸せだ。




