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1話

取り敢えず○○編にせずとも、これだけで他先生に負けないようにベトナム、湾岸、ユーゴスラビアまで続く大河小説にしたいと思っています。

山本論文から12年、加賀艦上での零式複戦運用試験から4年たった1941年7月11日

当時、最新鋭で第二航空戦隊の中核にあった空母蒼龍は随伴の軽巡阿武隈と暁及び初霜級駆逐艦6隻を率いて近い内に発生するであろうソ連ないし米国との軍事衝突に備えて館山沖で様々な演習を実施していた。


そしてその空母蒼龍艦内では…………

この日、第2航空戦隊司令に着任したばかりの山口多聞少将は司令官室の机を前に様々な戦術資料や報告書に目を通していた。

と、そんなときであった。突如伝令兵が部屋に飛び込んできて「た、大変です!ソ連陸上部隊がノモンハンへ侵入してきました!!」と山口に報告する「つまり俺たちにもうすぐ出番が来るのか………よし、今日の訓練は艦艇からの防空射撃と回避運動下での迅速な発着艦だ!!いいな?」と言うと伝令兵は「はっ!!」と言って退出すると山口は蒼龍の艦橋へと向かった。

山口が艦橋に上ると第2航空戦隊の参謀長である柳本柳作の見守る中、その彼に代わってこの船の艦長となった山見浩二大佐が見張り員たちの叫び声を聞くと即座に取り舵を命じ、航海長の瀬田健少佐が舵を左に回していた。


それを見て山口は大声で「(甘いな………)敵機直上、急降下!!」と叫び、操舵を担当していた瀬田少佐は慌てて面舵を命じて艦を右に転舵させるように命じる。

そして転舵を終えると後ろを振り向いたある水兵が「あっ、司令!!」と言うと山口司令は豪快に笑い飛ばし「さすがだな。君たちなら心配はいらないよ」とつぶやくと山見は「冗談じゃありませんよ……司令………」と苦笑しながら返した。


この日の訓練は夕闇が空を包むまで続き、夜になる前に山口司令は蒼龍搭載のカッターで水雷部隊の旗艦である阿武隈へ移動し、夜間の第1水雷戦隊の訓練を視察したのである。


一方、館山沖で二航戦の演習が行われている頃、小笠原諸島沖では………

戦艦長門に乗り込む第1艦隊司令である南雲忠一少将の指揮のもと、世界のスーパーテュウェルブと称された長門型戦艦の長門に陸奥と第1戦隊第2戦艦隊所属の巡洋戦艦阿蘇と大雪、そして1か月前に辞任した島田繁太郎海軍長官の意向でなんとか早期に就役した大和型戦艦の大和が戦列を並べて砲撃訓練に勤しんでいた。


長門、陸奥、阿蘇、大雪は1933年の近代化改修で41㎝45口径砲に代わって搭載された次世代戦艦用の97式41㎝50口径連装砲による射撃を開始し、それから数秒するとその後方から更に巨大な雷もしくは火山の噴火のような爆音のような音が響き渡り、その砲弾を放った主砲身の先から飛び出ると黒々とした砲煙が後ろへと向かっていく。


そして今まで最も巨大な大砲であった50口径41㎝砲の砲弾が形成した巨大な32本の水柱の後ろにそれよりはるかに巨大な水柱9本が形成されると、南雲は「すごい………」と唖然とした表情で呟くと長門の艦長である東田忠雄大佐が「司令、あの戦艦の同型があと5隻控えていると聞きますが、米国ではあの戦艦と同じ能力を持つ巨大戦艦(アイオワとモンタナ級)が9隻控えていると聞きます」と言うと「だからこそ我々は戦艦を補う為に航空戦力や重雷装巡洋艦、そして水雷戦隊を強化しているそうだが、山本閣下の仰る通り、いくら戦力を揃えても彼らには我らの想像を超える生産能力があるので勝てないのが事実だ………」と南雲はため息混じりで続くと「それが国力の差なんだ」とある参謀が続いた。


閑話休題

大和は皇国の新たな国防の旗手となり、1941年12月から45年8月まで続いた八ソ満州紛争では八洲海でウラジオストクのソ連海軍の最新鋭戦艦ソビエッキー・ロシヤと、黄海においてはナチス・チャイナことドイツ領青島に駐屯するドイツ海軍のシャロンホルスト級巡洋戦艦と死闘を繰り広げ、1950年代には米軍を支援すべく朝鮮半島に建国されたソ連の傀儡国家へ艦砲射撃を加え、1975年には南ベトナムで敗走する米軍を支援する活躍を見せた後に再び退役し、冷戦末期の1987年にはVLSなどを搭載して再就役すると、1991年にはクウェート解放作戦に参加し、アブドラ・フセイン大統領率いるイラク軍への艦砲射撃を加え、1995年には当時、最新鋭だった巡洋艦金剛と駆逐艦村雨を率いてNATO軍に参加し、ユーゴスラビア軍を牽制すべくアドリア海に長躯展開するなど、大八洲皇国の国威発揚の為にその老体に鞭を打って大活躍を見せるのであった。


そして2005年にこの大和型の船体構造をもとに建造された大八洲海軍の新たな象徴となった原子力戦艦三笠の就役と共に現役を退き、2007年からその雄姿を江田島海軍兵学校の沖合いに記念艦として留めているのである。


閑話休題。

上空を観測のために旋回していた零式水上観測機が撮影した大和の咆哮は”新型戦艦大和の咆哮”と名付けられ、その翌日の新聞に大和は41㎝砲搭載の新型戦艦として紹介されたのである。


そしてこの時公表された大和は251mで満載排水量5万6000t、41㎝53口径砲装備の大型戦艦とだけ公表され、正式なスペックの公表は親ソ派で反八派と言われるルーズベルト大統領が独ソ戦のさ中に死亡し、後任の反ソ派のトルーマン大統領の就任後、1944年7月に八米軍事協定が締結されてからであった。


それはともかく、大八洲皇国は着々と海軍軍備を揃えつつあったのである。

三笠は帝国の冬、九州戦争編に出て来る扶桑の焼き直しです。

(外見はMk-42がメララ式速射砲に変更され、CIWSは全廃して代わりに近接防御ミサイルであるRAMを載せているのが異なるポイントです。因みに役割は自らも誘導可能なものの、基本的にはイージス艦などにミサイルを提供する事です。)


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