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9話

史実の1944年の地震相当の地震です

2015年中には執筆再開予定です。更新放棄しててすみません。

1942年5月11日

満州での戦闘が苛烈さを増す中、この日、大八洲皇国本土でも国家の根幹を揺るがしかねない巨大災害が発生。そう、それが沼津・伊豆半島大震災である。


この日の早朝に伊豆半島大震災とその直後に発生した死火山と思われていた愛鷹山の噴火。それにともなう静岡エリアの大混乱に続き、沼津市などが都市機能を一時的に喪失。更には富士山の噴火も懸念されたが、それは杞憂に終わった。


同日午前10時

首相ら政府要人らは戦時徴収兵募集の為に仙台での一般公開を終え、横須賀へと向かっていた戦艦比叡以下横須賀鎮守府所属の艦隊の一部を被害の少ない銚子に停泊させるように命じる。


これは比叡と言う戦艦がお召艦として皇族を乗せるキャパシティの優れた船であると言う事もあってであり、比叡に一時的とは言え災害対策本部を設置するためでもある。


閑話休題。比叡が銚子港で皇族や陸海軍省や内務省などの高級職員が乗艦出来るように待機する中、6機の館山航空隊所属の96式陸攻を偵察の為に伊豆半島方面に向かい、同じく陸軍は2個大隊を即応体制に置き、更に内務省は帝都及び横浜市などを戒厳令を発令したのである。

同日正午過ぎ

伊豆半島北西部で震度5の地震が発生。浜松・沼津市が壊滅的打撃を蒙る。

翌日までに何回かの余震があり、15日までに収束したのである。


実際の大日本帝国よりも早かったとは言え、静岡に大きな地震が襲ったことで我が皇国の工業力はある程度の被害を受け、1943年6月1日のソ連の大反攻作戦とも言える北海道侵攻(こちらからすれば北海道本土決戦)を許してしまうことになったのである。


5月21日

特務艦鳳翔艦上

「ソ連との満州および朝鮮半島での戦闘、静岡周辺の壊滅、伊豆半島での火山活動、ここ数か月、諸君も知る通り我が皇国は建国以来未曽有の危機に見舞われている………」

そう南雲忠一中将が言うと黒島参謀が「その通りです。ですが自然災害ならともかくソ連に関してはドイツとの対立というのもあり、米国が支援を引けないと言うのも事実です。さらに言えばルーズベルトとスターリンは非常に親密な中にあり、いつ何時米国が我が国に対して戦端を開くか、それもわかりません」と続く。


すると最上型航空巡洋艦と鈴谷型重巡洋艦合わせて4隻を率いる栗田健夫中将が「とは言いましても流石に自然災害に襲われた国を攻めれば、それは大統領の支持率にかかわりますぞ?」と続く。


すると第4艦隊司令の西村祥治中将が「とは言え、いつそれがなんどきどうなるか、それは我々軍人は知らないものだ。それが政治と言うものだ」と栗田の発言をけん制する。すると栗田は黙り込み、他の将官たちも西村に同意する。


会議が終わると鳳翔から南雲と西村を乗せた2機の垂直離着陸航空機が飛び立つ。

その機体の名は2式垂直離着陸機と呼ばれる次世代型航空機だ。

そしてその機体は機首のプロペラの代わりに3枚のプロペラを機体上部に装備し、尾翼部分にも同じく3枚装備し、機首には非常に広い操縦室が備わっている。


閑話休題。2機の垂直離着陸機は空へ上昇し、海軍省へと向かっていた。


一方、伊豆半島の火山活動はここ数日で低落したとは言え、大きな余震があるだろうという事もあり、警戒が続いていたのである…………


5月27日。伊豆半島火山群が再び噴火し、東京や横浜、横須賀などで都市・港湾機能が低下したので、海軍横須賀鎮守府を封鎖し、多くの所属艦船を横浜の陸軍船舶部所属船と共に一時的に四日市へ施設を避難させ、ソ連艦隊がいつ何時太平洋に現れても対処出来るようにしたが、その反面、連合艦隊旗艦の鳳翔や練習巡鹿島や掃海母艦へ改修されつつある睦月型駆逐艦などの艦艇に対して防塵設備を付与した上で横須賀に残して新たな災害に備えたのである。

(幸い、多くの戦闘艦は大湊や仙台、秋田、函館などに入港しており、被害を免れることになっていたが、横須賀軍港のドックが使えないのは帝国海軍にとって痛手であり、)


なお東京はこれから火山活動が収まり、火山灰を排除し終わるまで封鎖される事も決まり、政治上の首都は名古屋となったのである。


更に鳳翔には浮かぶ首相官邸や陸海軍省としての機能も求められ、その僚艦である龍驤についても陸軍の一部輸送船や陸海軍がチャーターした国内の3大海運会社である帝国海運、八洲船舶、神戸汽船の貨客船ともども避難民を収容して、空母蒼龍と翔鶴とそれの護衛である重巡洋艦筑摩、三隈とそれに軽巡洋艦名取と同艦が率いる第5水雷戦隊の護衛の元で仙台へ向かったのである。


とは言え、東京が数年間にわたり都市機能を失った帝国は戦時中だったのもあったか、経済的には大きな損失を受けたが、東京が復興し始める70年代までは名古屋が大きく発展し、戦後八洲の中心都市となったのである。


が、この時の被害は帝国経済が立ち直るのに20年を要したことが証明している。


余談になるが1964年の五輪は名古屋で行われている。

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