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ほんの些細な出来事と私

作者: 空き缶文学

読んで頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

 彼は病気だ。

 何よりも快楽を求めて、温もりを欲しがる。

 日が増すにつれ回数が多くなり、正直彼の体が心配になってしまう。

 彼は私と違って普通の人間。

 人類の脅威であっても、簡単に死ぬことができる。

 だけど、誰かに殺されることはあり得ないだろう、誰も彼を殺す力は持っていないから。

 私は死ねない、誰かに何回殺されようが死ねない。

 そんな私の体は彼の所有物。

 所有物であっても、彼の健康は気になる。

 そこで、回数を制限させてみた。

 極端に少なくすると逆効果だろうから、一日一回から始めよう。

 私がキッチンで大量の皿を洗っていると彼はテーブルを軽く何度も叩き、落ち着かない様子。

 一応約束は守ってくれているけど、一日一回でも難しいのだろうか。

 左右に目を動かして、肩を震わしている。

「大丈夫……?」

 皿洗いを中止して、私が声をかけると彼は苦笑しながら頷く。

「うん、大丈夫、かな」

 嘘をつくのが下手で表情と言葉が一致しないのはいつものこと。

 大抵笑顔で済ます癖もあるし、なかなか決断を下せない優柔不断な彼。

「やっぱり、難しい?」

 感情を出せない希薄な私に比べれば全然良い人なのだろう、年齢も性別も問わず人気のある彼は人として常識のある生活をしている。

 そんな生活を送る彼にとって欠かせない行為に制限を設けたのだから。

「難しくないよ。ただちょっとワガママを言うと一日三回にしてほしいなぁって」

 彼はテーブルに両腕を置き、そこへ顎を乗せる。

 少しでも隙があるのなら甘えようとする行動に私は首を横に振った。

 皿洗いを再開し、うな垂れる彼に背を向ける。

 そういえば院長は早朝から港の方へ出かけたらしい、私達より若いのに多忙で感心してしまう。

 最後の皿を洗い終えて、タオルで手を拭きながら静かになった彼の方を振り向く。

「いない…………」

 いたのは読書に集中している子供。

「武、オジサンは?」

「オジサン? さっき入れ違いでどっかに行ったよ」

 暇を潰しに行ったのかもしれない、私はあまり気にかけず午前の仕事を進めた。

 屋上で洗濯した衣類を干していると子供達も手伝いに来てくれて、予定より早く終了。

「ねぇ、オジサンと結婚とかどうなの?」

 年長組の大輔が空になったカゴを持ちながら突拍子のない質問を私に投げる。

「どうして急に……仕事仲間だからそういことはないよ」

 褐色肌の大輔は太目の眉毛をしかめて、真正面を向く。

「べつにぃ」

 年頃になると少し興味が湧くのかもしれない。

 そう考えると孤児院でも子供らしい生活を送れているのだと実感できる。

「お姉ちゃん」

 今度は唯が後ろから声をかけてきた。

 親がいるのは孤児院で彼女だけ、誰よりも心が強くてしっかりしている。

「オジサンとケンカでもしたの?」

 唯は口元に手を寄せて、私にしか聞こえないよう呟く。

「ううん……ケンカはしてない、どうして?」

 否定して質問を返すと、唯は少し頬を赤らめた。

「なんとなく、かな」

 唯も笑ってごまかす癖がある。

 親に似て正義感は強く、自分のことを投げやりにしていることが多い。

 大輔の腕を引っ張って唯は走り去っていく。

 夕方になっても彼は帰ってこなかった。

 食事の準備をしている間も、子供達が食べ終わって片付けをしている間も帰ってこない。

 どこに行ったのか、子供達が特に心配しているが、心当たりはある。

「オジサン、帰ってこないな。なにやってんだろ」

「うん、いつもならもっと早く帰って来るのにね」

 皿洗いを手伝ってくれている唯と大輔。

 私は軽く息を吐いて孤児院の外に出た。

 外には子供が遊べる広場と町へ続く道がある。

 日が落ちて、暗くなった景色を照らす街路灯を頼りに進むと、一台の自動車が孤児院の前で停まっていた。

 自動車の横には女性が怒った口調で誰かと喋っている。

 もう少し近づいてみると、怒られているのは彼だった。

 私に気付いた女性は警察官で、知り合いであり唯の母だ。

「どう、したの?」

「違法風俗店に入り浸っているところを発見したので、こうして送りにきました。先輩がこういう人なのは知っていますけど、ね」

 何も言えない彼は困ったような笑顔で頷き、また、笑ってごまかしていた。

「ごめん……私がちゃんと見張っていなかったから」

「いいえ、本人自身の甘えです。もう若い年齢じゃないですし、もうちょっと落ち着いてほしいですね。まぁ、あまり人のことは言えませんけど」

 彼女は似た者同士だということをわかっている。

 彼と彼女は同じ存在であり、殺されることはない。

 人類の脅威が二人もいるのに世界は何もせず、ただ見守っているだけ。

「それでは失礼します」

 彼女と別れて、私は彼と対面する。

「えと、ただいま」

 強い香水の匂いがして、思わず後ろに下がってしまう。

「おかえり……楽しかった?」

「え、いや、えっと」

 頭を掻いて、笑ってごまかそうとする彼に私は無意識だろうか、右手を伸ばしていた。

 右手に力を込めて彼の頬を叩く私がいることに気付き、思わず目を丸くして自身の手を引っ込める。

 頬に手を添えて私より驚いている彼。

「なんで、約束を破るの? 風俗は別になんでもいい、私はただ体を心配して……ううん、無理なら無理ってはっきり言ってよ」

 想像もしていない言葉が口から発せられていく。

 何を言っているのだろうか。

 私は彼の所有物でしかないのに、彼が何をしようが決めるのは彼自身なのだから。

 なのに胸の奥から沸き上がる熱い何かに動かされ、口が動く。

 彼は笑っていない、ただ呆然と私を見ている。

「この約束が無理なら、また別の方法を考えるから……」

 もう一度言う、彼は病気だ。

 脳に強い衝撃を受けてしまった後遺症ともいえる、性依存。

 受け止めてくれる女なら誰だっていいのだ。

 やはり、依存している彼にとって一日一回というのは無理なのだろう。

「ごめん、その約束、今の俺には無理だよ」

 笑みはなく真顔でしっかりと私を見つめている。

 ようやくはっきりとした答えが聞けて、私は胸を撫で下ろした。

「そう……」

「だ、だから、少しずつゆっくりでもいい?」

 彼はいつもの優しい笑顔に戻って子供のように私を覗き見る。

 大きい両手が私の手を包み、頬に唇が添えられた。

「うん」

 甘える時はいつも頬にキスをして、離れない。

 この甘えがずっと続かないように二人で時間をかけて治療していこう。

 もう一度、はっきりと告げる。

 彼は病気だ。

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